今回は中国にたくさん存在する石窟のうち、特に有名な10大石窟をご紹介。驚くべきことにほとんどが世界遺産である。仏像だけでなく、壁画なども非常に興味深いものが多く、是非一つでも良いので訪問してみることをお勧めする。ちなみに、仏教だけでなく、道教、儒教の神様が祭られているものも多い。
莫高窟(ばっこうくつ)
またの名を千佛洞、甘粛省敦煌市鳴沙山の東の山麓に位置する世界遺産。五胡十六国時代の前秦の時代に建設が開始され、南北朝時代から宋の時代に増設をされ、南北全長1680メートル、洞窟735戸、壁画4.5㎡、泥で作られた仏像2415体と、世界で現存する中では最大規模で、内容も最もバラエティに富む仏教美術の聖地。莫高窟の建築、仏像、絵画などが一体となった立体芸術は後世に非常に大きな影響を与えた。1900年に莫高窟が発見された際には、世界の仏教界が驚いた。
雲崗石窟(うんこうせっくつ)
山西省大同市武周山の南麓にある世界遺産。北魏時代に建立され、東西1kmにわたり、主な洞窟が45個、大小の洞窟が252個、石像が51000個以上も共存する中国最大規模の石窟群の一つ。雲岡石窟は、石窟芸術の“中国化”の最初の例と言われている。
龍門石窟(りゅうもんせっくつ)
河南省洛陽市の伊河両岸の竜門山と香山にある世界遺産。北魏孝文帝年間に建立され、南北朝から宋代まで朝代にかけて建築され、南北の長さは1キロメートル、現存する石の仏壇が2345、仏像10万体あまり、石碑が2800あまり。そのうち、“龍門二十品”は魏の書道の真髄であり、褚遂良が書いた“伊闕仏壇の碑”は初唐の楷書芸術の典型である。
麦積山石窟(ばくせきざんせっくつ)
甘粛省天水市の麦積山に位置する世界遺産。後秦時代に建てられた221の洞窟、632体の泥の彫刻、1300平方メートル余りの壁画は、精巧で美しい泥芸術として世界に知られ、東洋彫刻芸術の陳列館とも呼ばれる。麦積山の塑像は、民族意識が芽生えつつある時代の背景と、仏教が世俗化しつつある時代背景の2つの特徴を兼ね備えている。
楡林窟(ゆりんくつ)
楡林窟は万仏峡とも呼ばれ、甘粛省瓜州県楡林河峡谷の絶壁に位置している。北魏時代に創立され、隋唐から宋代まで絶えず増築された。現在、43窟、延べ面積4200平方mの壁画、彩色された仏教絵画856、彩色された仏像244体が現存する。洞窟の形や表現内容、芸術スタイルは、莫高窟とよく似ており、莫高窟の姉妹窟とも呼ばれています。
大足石刻(だいそくせっこく)
重慶市の大足区に位置する世界遺産。唐時代に建てられ、世界八大石窟の一つと言われ、足区に23箇所が分布している。宝頂山、北山等19箇所に集中しており、西暦9〜13世紀の世界の石窟芸術の最高レベルを代表している。大足石刻は“五山造像”(北山、宝頂山、南山、石篆山、石門山)に代表され、その中でも宝頂山の磨崖仏は最大規模で、最も精巧に造られている。石刻は儒教・仏道・道道の3つの宗教を含んでおり、その中で仏教が最も大きな割合を占める。
炳霊寺石窟( へいれいじせっくつ )
甘粛省永靖県積石山の西側の崖上に位置し、黄河に面している世界遺産。西晋初年に建てられ、183の石窟、石像694体、泥の像82体、壁画は約900平方メートル。昔は唐述窟と呼ばれていたがこれは、羌語で“鬼窟”の意味。明朝の永楽年後には炳霊寺と呼ばれるようになり、これは“千仏”“10万弥勒”の意味。
響堂山石窟(きょうどうさんせっくつ)
河北省の邯鄲市峰鉱区にある。北斉時代に開削され、石窟は16箇所、5000体余りの彫像、また多くの彫刻等がある。石窟は奥深く、人が洞穴の中で腕をたたくと山彦が聞こえるため“響堂”とも言う。石窟は南北に二つに分かれ、約15kmある。皇帝に関連する中国三大石窟の一つで“中国の石窟芸術の縮図”とも呼ばれている。
鞏義石窟寺(きょうぎせっくつじ)
河南省鞏義市に位置し、黄河の南岸、伊洛河の北岸、ボウ嶺の下にある。北魏時期に創立され、もともとの名称は希玄寺で、宋代に“十方浄土寺”に改称され、清代に石窟寺と改名かれた。現存する洞窟は5つ、千仏壇は一つ、小仏壇は255個、磨崖仏は3体、仏像は7743個、碑文は200枚余り。その中の《帝後礼仏図》は中国に現存する唯一の石造彫刻図である。また、石窟寺は三蔵法師玄奘の出家の地としても有名。
キジル石窟
新疆の拝城県、明屋塔格山にある世界遺産。龟兹(きじ)国(西暦3世紀)時代に建てられたもので、石窟庵は236、壁画は1万平方メートル余り。これは中国で開削された最初の、最も西に位置する大型石窟群である。石窟内の壁画は非常に豊富で、仏教を表現した“本生物語”、“仏伝”、“因縁話”などの壁画の他にも、世俗の生活を表現した壁画が多く、龟兹文化の百科事典として知られている。