150年前の台湾のカラー写真をご紹介。日清戦争で日本が台湾を割譲されたのが1895年のため、日本植民地化のさらに20年ほど前の1871年の写真。清朝は台湾への投資をほとんど行わなかったため、発展は遅れていたが、米がよく取れたことで有名であった。なお、当時の人口は200万人ほどで、清朝が台湾への女性の渡航を禁止していたため、原住民との混血がすすみ、現在の台湾住民のもととなったといわれている。
大きな木の根元に作られた神社。
木の下で休んでいる人たち。清朝統治下のため辮髪にしている人が見られる。
井戸で水を汲んでいる人。よく見えないが辮髪のようである。
茅葺屋根の家の前での集合写真。足をみると、纏足はしていない。
母親と娘とのこと。
娘の単独写真。
川辺での原住民の写真。かなり日焼けしているように見える。服装が独特。
同じく、河辺にて。子供や老人もいる。
母親と子供。同じ帽子をかぶっていますね。だっこ紐でおぶわれている子供がかわいい。
水牛を利用した牛車。
牛車の上に人が乗っている。
けっこうカラフルな服を着ている人たち。
夫婦の写真とのこと。なんとなく、琉球の服装を連想させる。
犬をつれた猟師の写真。いいからだ!
以上、150年前の台湾の原住民の写真でした。上の写真はどの民族にあたるのか分かりませんが、現在、政府認定の原住民は16民族いるようである。中国大陸とは異なった台湾の文化が無くなることなく存続していくことを切に希望する。