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【写真】1920~30年代の大連の古いカラー写真

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1920~30年代に撮影されたという日本占領下の大連の旧写真を紹介します。清朝の滅亡から幾ばくも無い時代ですが、結構近代的に発展しているように見えます。というのも、大連は昔、関東州(よく聞く関東軍はここに駐留していた軍隊のことです。東京の関東ではありません)と呼ばれ満州とは別の日本の植民地とされて大きな投資がなされていたからです。

 

大連朝鮮銀行。バロック風?ロマネスク風?のとても立派な建物です。

 

大連大広場。今の中山広場。計画的に作られた通りは今でも面影を残している。正面の建物は、旧横浜正金銀行大連支店で建物は現存している。大連に行ったら見に行くと良い。

 

横浜正金銀行。正金=現金のことで、政府が管理する特殊な外為決済銀行として、香港上海銀行などと並ぶような存在であった。

 

大連警察署。非常にモダンな、西洋風のつくりとなっている。

 

大連港(客運)。大きな蒸気船が停泊しており、多くの客でにぎわっている。

 

大連港。こちらには帆船が多く停留している。

 

老虎灘。現在同様に、当時から景勝地として有名であったようである。

 

大連港の事務所。こちらも西洋風の建物となっている。

 

民生署。すべてが当時の日本と同様に西洋風のモダンな建物。

 

中山広場にある大連大和ホテル。現存しており、大連賓館として宿泊することもできる。

 

星海公園。現在では、近辺の星海広場がアジア最大の広場として整備されているが、もともとは日本占領時代に星が浦として開発された海水浴場である。

 

星海公園。日本人がここに遊びに来ると、日本の海を思いだす、と言われた。とても人気があったという。

 

大連日本橋。中山広場から西北したところに今も現存する。現在は「勝利橋」と呼ばれており、大連港と大連駅とを結ぶ鉄道を跨ぐ陸橋。

 

大連の繁華街。電柱が日本と同じなのが印象的。当時は浪花町と呼ばれとても栄えていた。日本の軍艦浪花号からとったらしい。

 

最後に一枚古い写真を。1894年に起こった甲午農民戦争の際に旅順にあった北洋水師海軍公所を占領した日本軍の写真。額の”海軍公所”は李鴻章が書いたものだという。

 

以上、大連の古い写真を見てきましたが、大連の場合は、きれいに保存されている建物が多いのに驚きます。日本人が古い時代に作ったものを、中国人が現存させてくれていることに感謝しつつ、今後の日中友好を願いたいですね。

 

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