中国で50~60年代に流行した連環画(子供向けの絵物語、中国式の漫画)から、三国志の関羽が神格化された物語「関聖帝君(原題:关圣帝君)」をご紹介。219年の樊城の戦いで、志半ばに倒れた関羽であるが、非業の死を遂げた人物には強い霊力が宿ると言われており(日本でも菅原道真とかの例があり)、関羽も死後長い時を経て商売の神としてあがめられるようになった。この連環画にはその過程が描かれており非常に興味深いので、関羽ファンは読んでみることをお勧めする。
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漫画でわかる中国語連環画『関聖帝君』01 日本語翻訳(関羽が神となる物語)
中国で50~60年代に流行した連環画(子供向けの絵物語、中国式の漫画)から、三国志の関羽が神格化された物語「関聖帝君(原題:关圣帝君)」をご紹介。219年の樊城の戦いで、志半ばに倒れた関羽であるが、非 ...
(21)この緊急のまさにその時、観音菩薩が突然振り向き、馮長生の顔に仙気を吹きかけた。その瞬間、馮長生の顔はナツメのように赤くなり、美しいひげが胸のところまで延び、濃い眉毛に切れ長の吊り上がった目になり、顔かたちがまったく変わってしまった。
(22)馮長生は自らの容貌が変わったと知ると、堂々と歩いて廟を出た。官兵から逃れ、観音菩薩が助けてくれたことに感謝して、馮長生は名前を関羽と変えて、このことを心に刻んだ。
(23)ある日、関羽が涿郡にやってくると、多くの人が大きな石の椅子の周りで議論をしているのを見かけた。その傍らの柱には大きな豚肉が吊るされていた。その近くの壁には一枚の紙が貼ってあり「この石を持ち上げられたら、豚肉を差し上げる」と書かれていた。
(24)この張り紙は涿郡の肉屋の主人の張飛が貼ったもので、彼はこの方法で天下の英雄と交友を結びたいと思っていた。関羽は観衆をかき分けて、左手を腰に据えて、右手で石を軽るく握ると、頭の上に持ち上げてあたりを三周して、再び軽々と元の場所に戻した。
(25)周りで見ていた観衆は歓声をあげた。関羽が肉を取ろうとすると、大きな手が彼の腕を掴んだ。それはまさに張飛であった。張飛は彼を傍らに引っ張ると、両手を合わせて「英雄の名前を教えて下さい」と言った。
(26)まさに英雄は英雄を知る、この二人は前世で縁があったかのように、一目で昔からの知り合いのようになった。酒を飲みながら、語りあかした。関羽が突然ため息をつき「諸侯が割拠し、奸臣が政治を操り、民は不安に怯えている。しかし私は逃亡中で、いつ日の目を見ることが出来るか分からない」と言った。
(27)「難しい事など何もない。我が涿州にはもう一人英雄が居る。名前を劉備と言い、漢室の中山靖王の末裔だ。我々が手を結んで、一緒に軍を起こし、功績を立てれば、候や王になれる」張飛は言い終わると、すぐに門を出ていった。
(28)すぐに、張飛は劉備を呼び入れた。劉備は涙を流しながら現在の情勢を語り、3人で兄弟の契を結ぼうと提案した。こうして、3人の武勇を兼ね備えた英雄豪傑は張飛の家の桃園で後を炊いて祭壇を作り、義兄弟の契を結んだ。
(29)やるといったらすぐにやるで、張飛はすぐに家財を売り払い、郷勇を募集し、漢王室を助けるという大旗を掲げた。劉備は雌雄一対の剣を、張飛は丈八蛇矛を選んだが、関羽だけが八十二斤の大刀を刀工がどれだけ打っても満足しなかった。
(30)天は徐々に暗くなり、白く明るい月が天空に登った。突然、炉の中から真っ白い一筋の光が天空を射抜いた。ちょうどこの時、天上には青龍が飛んでおり、この光に射抜かれて死んだ。青龍の魂は刀の中に吸収され、龍の血が刀に込められた。
(31)青龍偃月刀はついに錬成された。関羽は大いに喜び、刀工にたくさんの褒美を与えると、青龍偃月刀を手に取り、軽々と振り回した。観衆はみな目がくらみ、大いに感心した。
(32)関羽はこの武器を握って、張飛と一緒に劉備に従った。彼らは董卓を討伐し、呂布と戦い、奸雄曹操に対抗し、数多の功績を重ねた。関羽はまた勇士の周倉を得て、関平を義理の息子に引き取り、西涼の汗血馬の赤兎を獲得した。
(33)数十年の奮戦の中で、関羽は忠、勇、信、義を余すところなく示し、天下の諸侯に敬愛され、世間の豪傑から尊敬を集めた。すぐに関羽将軍の名前は天下に知れ渡り、「関」の字の大旗がたなびいた。
(34)しばらくして、三国が並び立つ形成ができ上がった。劉備は領土を拡大するため、自ら西征することになり、関羽を荊州の守備に残した。荊州の正面は曹操で、背面は呉の辺境に接し、戦略的に非常に重要な場所であった。
(35)関羽は呉を軽視しており、彼の相手はずっと魏の曹操であった。すぐに、荊州の兵を使って曹操軍を猛攻し、双方ともに死闘を繰り広げ、戦況は過酷を極めた。しかし、関羽は、呉の大将呂蒙がこの機に乗じて荊州を奇襲し、麦城を取り囲むとは想いもしなかった。
(36)その日の深夜、呂蒙は、関羽が荊州を救うために必ず通る道に罠を仕掛け、月が暗く風が強いのを利用して、いくつもの鉤爪を使って赤兎馬を倒し、この英雄親子を捕まえ、夜のうちに呉の宮殿に送った。
(37)呉の孫権はその忠と勇を惜しみ、投降を進めたが、関羽は死んでも服従しなかった。呂蒙はこの状況を見ると、すぐに「関羽は気概があり、劉備に忠誠を誓っております。孫権様、後の憂いを残さないようにしてください」と言った。孫権もどうしようもなく、関羽親子を斬首するように命令した。
(38)呂蒙は関羽の頭を掲げて麦城に向かい、大きな声で「城内の蜀の兵士よ、関羽将軍は既に我が軍により殺害された。すぐに城を開けて投降しろ。命は助ける」と叫んだ。城内の将軍や兵士は、これを聞くと号泣した。
(39)「関羽将軍はすでに亡くなったのだ、私が生きていてなんの意味があろうか」と言い、勇士の周倉は泣くと、すぐに剣を抜いて自殺した。兵士たちはこれを見て、すぐに真似て、たぎる血を吹き出し、城内には死体が積み重なった。
(40)曹操のご機嫌を取るため、呂蒙は関羽の首級を洛陽に献上した。宮殿の中で、関羽の頭を見ると、ひげは直立し、目は見開いて怒っていた。曹操は驚いて、急いで関羽のためにジンコウ(香木)の体を作り、落葉の城外に埋葬し、「関林」と名付けた。
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漫画でわかる中国語連環画『関聖帝君』03 日本語翻訳(関羽が神となる物語)
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