中国で50~60年代に流行した連環画(子供向けの絵物語、中国式の漫画)から、三国志の関羽が神格化された物語「関聖帝君(原題:关圣帝君)」をご紹介。219年の樊城の戦いで、志半ばに倒れた関羽であるが、非業の死を遂げた人物には強い霊力が宿ると言われており(日本でも菅原道真とかの例があり)、関羽も死後長い時を経て商売の神としてあがめられるようになった。この連環画にはその過程が描かれており非常に興味深いので、関羽ファンは読んでみることをお勧めする。
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漫画でわかる中国語連環画『関聖帝君』04 日本語翻訳(関羽が神となる物語)
中国で50~60年代に流行した連環画(子供向けの絵物語、中国式の漫画)から、三国志の関羽が神格化された物語「関聖帝君(原題:关圣帝君)」をご紹介。219年の樊城の戦いで、志半ばに倒れた関羽であるが、非 ...
(81)関羽一行は南天門に到着して見ると、四大天王がすでにそこで待っていた。四大天王は関羽を見ると興奮して「火徳星君が返ってきた。人間界で長い間忠義を尽くし、天下の模範となったと聞いている」と言った。
(82)関羽は誇らしげに胸をはり、自らの長く美しい髭をなでながら「火徳星君か、私はすでに関羽として楽しくやっている」と笑った。一路、皆笑いながら霊霄宝殿にやってきた。
(83)霊霄宝殿に着くと、関羽一行は玉帝に謁見した。玉帝は大いに喜び、自ら殿の下に降りて、関羽を立たせて「火徳星君よ、今回人間の世界に行って、天神としての本領を発揮して、忠義誠信を世に広げ、我々神族のために栄光を勝ち取った」と言った。
(84)「現在、人間界の皆はお前の忠義誠信と、勇猛なさまに感激し、お前の保護を得たいと望み、すでに廟を立てて、関聖帝君と崇めている。朕も皆の希望通り、お前を関聖帝君に封じたいと思う」
(85)「今後、引き続き人間界に住んで、部隊を引き連れて妖魔を倒し、人民の幸福を守り、崇拝を受けるが良い」と玉皇は言った。関羽は礼をした後、部下たちを連れて、太白金星(金星の化身の神。中国の民間伝承によく出るとても有名な神)に引き続いて宮殿を出て、人間界に行く準備をした。
(86)太白金星は関羽たちを引き連れて南天門から出ると、指をさして下界を見た。中国内外が見えたが、どこもかしこも関帝廟で、線香が盛んに焚かれ、人で賑わっていた。
(87)皆がこれを見ていると、太白金星は笑いながら「万民がこんなにお前を愛しているのに、まだ行かないのか」と言った。その後、両手を前に出すと、関聖帝君一行は次々と人間界に降りていった。
(88)関聖帝君は皆を連れて関帝廟に着くと、すぐに皆と相談して「天上での1日は、人間界の千年だ。皆分かれて、天下の各地を視察して、民衆の状況を理解し、どうするかを決めよう」と言った。皆は声を揃えて答えると、すぐに分かれていった。
(89)人間界では隋唐五代の戦乱を経て、北宋王朝が統治する時代となっていた。この日、宋の徽宗(きそう)は突然上奏文を受け取った。「解州の塩田の上空に濃い霧が広がっており、塩田で塩を干すことができず、朝廷の収入に影響がでています」というものであった。
(90)徽宗はすぐに人を派遣して解州に視察に行かせると、当地の民衆は皆、蚩尤(しゆう、中国神話上の悪神)が悪さをしていると言った。伝説では、蚩尤は黄帝(神話神話の三皇五帝のうち、五帝の最初。中国文化の基礎や医学を創始したとされており、中国人の先祖と呼ばれることもある)に討伐されて以後、その魂は塩田に留まり、最近、当地の民衆の夢に出て、男の子と女の子を生贄に出すように要求した。
(91)徽宗皇帝はこの情報を得ると、すぐに信州の竜虎山から張天師を呼び、彼に蚩尤(しゆう)を倒すように命令した。張天師は伏して進み出て「もしも蚩尤(しゆう)を倒したいのなら、必ず関帝君にお願いしなければ」と奏上した。
(92)徽宗皇帝はこれを認め、張天師は皇帝を連れて関帝廟にやって来た。関聖帝君は皇帝からの依頼を受けると、心の中で、国のため、そして民のため、自らが妖魔を倒しに行かなければいけないと感じた。刀を持ち、馬にまたがり、張天師と一緒に解州の塩田に直行した。
(93)すぐに、関聖帝君は塩田の上空にやって来た。濃い霧の中に隠れて黒い邪気があるのを見て、関聖帝君は両手で刀を握り、馬を操り、突然、五岳を切るように、上から下へ黒色の邪気を切った。
(94)すぐに濃い霧が霧散し、黒い邪気の中に、青い顔で牙をもった怪物が関聖帝君の前に現れた。関聖帝君は刀を横に振り”羅刹の腰斬り”、青龍偃月刀がうなりを上げ蚩尤(しゆう)の腰を斬りつけた。
(95)晴天に落雷が鳴り、天地が鳴動し、蚩尤(しゆう)は消え、青龍偃月刀の上に蚩尤(しゆう)の黒い血が滴った。「蚩尤(しゆう)は真っ二つに斬られた」張天師と民衆は歓声を上げた。塩田は生産を恢復した。
(96)徽宗はこの情報を得ると、すぐに自ら文武百官を引き連れて関帝廟に向かい、大宋王朝の万民を代表して関聖帝君に感謝し、関聖帝君を”崇寧真君””義勇武安王”に冊封した。この後、毎年、自ら祀った。
(97)しばらくして、北方の女真貴族が金朝を建国し大挙して侵略し、宋の徽宗親子を捕虜とし、北宋は滅亡した。金朝の軍隊は中原に侵入して以後、虐殺を行い、天下は大混乱し、民衆は大きな困難を受けた。
(98)万民を救うため、関聖帝君は周倉をつれて雲に乗り中原にやって来た。彼が頭を低くして一瞥すると、太原城が業火に包まれ、野蛮な金軍が漢族の匠を捕まえて、金朝に奴隷として連れて帰ろうとしていた。
(99)関聖帝君は大いに起こり、強風を引き起こし、天地は暗転し、沙と石が飛び交った。城の中のすべての民衆が旋風に巻き込まれ、嵩山の峰を飛び越えて、江南に飛んでいった。
(100)金の兵士たちは疑念を感じ、頭を上げると、周倉が雲の中で刀を持ち、兵士たちを指して「この野獣どもめ!さっさと中原から出ていけ」と怒鳴った。金の兵士たちは恐れおののき、地に臥して許しを乞うた。
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漫画でわかる中国語連環画『関聖帝君』06 日本語翻訳(関羽が神となる物語)
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