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【写真】1978年前後しなびた漁村だった頃の深センの貴重な写真

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1978年鄧小平により改革開放が進められた時にはまだ人口3万人程度の萎びた漁村であった深圳。1980年に中国初の経済特区に指定されると急激な成長を遂げ、ファーウェイ(華為)、ZTE(中興通訊)、DJI(大疆創新)、BYD(比亜迪)などの中国を代表する企業が本社を置き、人口1200万人強など、その実力は広州を抜いて中国第3位の都市となった。奇跡の発展を遂げたといわれる深センの昔の郷愁漂う深センの写真を見てみよう。

 

当時の深センの市街地の様子。今からは想像もできない田舎の住宅街という感じである。

 

当時の羅湖通関(罗湖关口)の様子。大陸の人がゲートを通って香港側に行こうとしているところの写真とのこと。

 

おばあさんが香港から深センに戻る様子。掛官が通行証をチェックしている。

 

壁に貼られた新聞を読む人たち。この当時、テレビなどという高価なものはなく、壁に貼られた新聞が大変重要なニュースソースであった。

 

当時のにぎやかな往来。多くの人が通行しているのが分かる。人だかりができているのは、将棋やトランプでもやっているのであろう。

 

右端に外国人が映っている。改革開放が始まって間もない時期であるが、すでに多くの外国人が視察に来ていたようである。

 

当時は国営であった果物屋さん。品揃えも豊富そうで、商売は順調そうである。

 

住宅地区。日本の地方の漁村などに行くとこのような場所がまだ残っている気がする・・・。

 

深圳中学の学生たち。門には教育要改革と書いてある。

 

当時の深セン駅。右の出口から出てきている人を見ると、やはり外国人が多く訪問していたようである。

 

とある通りの様子。車などはひとつもみあたらず、自転車ばかりである。

 

幼稚園で撮影された子供たち。服装を見るとけっこう厚着をしている。深センは基本的には熱いが、冬はすこし寒くなるので、短い冬にとられた写真であろうか。

 

 

以上、深センの古い写真の紹介でした。この漁村がわずか40年でこれであるから「奇跡の成長」と言われるのも納得できる。

 

 

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