小米(Xiaomi、シャオミー)の創業者で、中国でも成功している起業家として非常に有名な雷軍の成功の秘訣を解説した記事を見つけたので紹介したい。なお、雷軍は2019年時点で、第十三回全国全人代代表、全国工商連副主席,北京市工商連副主席、小米科技有限责任公司董事长兼CEO、北京金山軟件有限公司董事長などを兼務している。2017十大経済年度人物も受賞している。
夢を抱いて必死に頑張る
雷軍は大学にいた時、シリコンバレーの創業の物語を書いた一冊の本に心の中に火を付けられた。その時から彼は、将来、必ず天地を揺るがすようなことをやって、偉大な人間になりたいという夢を心の中に定めた。
武漢大学一年の時には成績は学年トップで、大学二年の時にはすべての課程を修了し、ほとんどすべての奨学金を得た。大学三年生の時にはソフトウェア開発を手伝って百万長者となった。
多きな野望を抱く
1991年に雷軍は大学を卒業し、1992年に金山に入社、16年間勤めプログラマーからCEOになった。2007年、雷軍は金山を株式公開し、38歳で退職、成功して名をなし、お金の自由を得た。これは多くの人が夢見るようなすばらしい成功と言えるでしょう。
人は失うことを恐れる動物であり、一度成功して名声を得ると、その後は新たな試みをすることができず、失敗してしまうと過去の名声を失うのではないかという恐怖を持つことになる。しかし、野望に促されて、雷軍は42歳で「事業を始めて失敗したらすべてを失う」という恐怖を克服して再出発し、Xiaomiを設立した。
2017年に、あるメディアが《雷軍の黄金の日々》という報道をしたことがあったが、雷軍はタイトルだけを見て、内容はまったく読まなかったという。なぜなら「今日のこの程度の成績は大したことではない、小米Xiaomiはまだ始まったばかりだ」と思っていたからである。50歳の雷軍には、明らかにもっと大きな夢と野望がある。
台風が来たら、豚でも飛べる
雷軍は「私はいくらか良いプログラムを書いたことがあるが、本当に良いタイミングに出くわしたことがなかった。プログラムを書いている時に、良い市場人材や経営人材に出会えなかった」 と言っている。後に彼は”風”の重要性に気づき、時流には乗るべきであり、逆らってはいけないと気づいた。それでXiaomiを創立する時に、正確にスマートフォンを買い換えるる時間サイクルまで踏み込んで精査している。ノキアがだめになり、アップルが勃興してきたばかりの時に、小米が生まれて、新しいモデルを用いて、わずか3年間で中国一位になった。実は成長速度は、想像をはるかに超えていたのである。
しかし、豚の理論の前提には、十分な知識の蓄積が必要であり、業界に対する研究と推進力がなければ、機会が訪れたとしても無力なのである。
パートナー探しに注力
雷軍は「多くの人は創業のパートナーを見つけるのが非常に難しいと言いますが、私はとても簡単だと思っています。もしも、良い人を見つけられないなら、それは人探しにかける時間が足りていないだけです」と言っている。雷軍が最初に採用した方法は、エクセルでロングリストを作って、一つ一つパートナーを探していくだけであった。
最初、一人のハードウエアのエンジニアを探すため、雷軍は90以上の電話をかけた。ある一人のハードウエアのエンジニアを説得するために、10時間も続けてXiaomiに参加することについて話し合いをした。「彼はXiaomiが利益を上げられるか疑問を持っていたので、私は彼に”あなたと私のどちらが金持ちか?”と聞いて、彼は当然私の方が多いと答えたので、私は彼よりもお金を稼ぐことが出来るので、我々二人で分担して、あなたは製品を作る事に責任を持ち、私はお金を稼ぐことに責任を持つ」と言いました。彼が最終的にXiaomiに加わることを選んだのは、まさにこの言葉のおかげであった。
人は自分を高く評価して、他人を過小評価するものであるが、他人の価値を認めることができるのが雷軍の最大の魅力である。だから、雷軍のそばには彼を信頼するグループのようなものができて、そこにとんでもない忠誠心が生まれたりする。
雷軍は後退を全身にすることを好む。このサークルのみんなは頭が良かったが、以前プロジェクトをやっていた時、当時は特に条件が良くなかったのであるが、雷軍は「今日損しても慌てる必要無い、明日には報われるかもしれないから。すべてをにコントロールするのではなく、コントロールしないのが一番いいコントロールです」と言っていた。
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