今回は1947年という非常に貴重な時期の北京のカラー写真をご紹介。この時期は、大戦も終了し、まだ中華民国時代という特殊な時期あたり、非常に平和そうに見える。
1945年に第2次世界大戦が終結すると、中国では1946年から国共内戦が再開。アメリカが国民党への援助を打ち切った一方、ソビエトの大規模な援助を受けた共産党が徐々に優勢となる。南京国民政府は中華民国憲法を1947年に制定し、憲法に基づいて蒋介石を総統(国家元首)とする憲政政府を成立(1948年)させることで中央政府としての正統性を示そうとした。しかし劣勢を挽回することはできず、1949~50年にかけて台湾に撤退することになる。そのちょうど微妙な時期にあった北京の写真となる。
ちなみに、アメリカでは、占領地政策と戦後処理、共産党寄りの議員が増えるなどして国民党への援助を打ち切るという判断がなされたのであるが、これが後に大きな禍根を残したとして、後の強烈な赤狩りにつながる。
この時代に、天安門に掲げられている肖像画は蒋介石である。非常にめずらしい写真で、肖像画の下には孫文の「天下為公」という言葉も掲げられている。
上の写真を反対から撮った、天安門上から天安門広場方面を見下ろした写真。天安門広場は1954年に作られたため、当時は広場はまだなく、「千歩廊」と呼ばれる道が通っていた。
故宮を南方から空撮したもの。奥に移っているのが故宮で、手前が現在の中山公園にあたる部分。奥には景山公園がうっすらと見える。
故宮内部の午門の前の内金水橋。川には水が流れているようである。人は映っていない。
前門通りから天安門広場方面へ向かうと出てくる前門(正陽門)。当時は誰かの肖像画がかかっていたようである。
北京城のどこかの門。場所不明。
当時、前門の前には電車の駅があり、多くの人が利用していた。
故宮周辺。
故宮周辺。
前門商店街。多くの人で賑わっている様子が良く分かる。
当時の主要運搬手段は、車と駱駝であった。駱駝は非常に重い荷物を背負って移動することができた。
場所は不明だが、おそらく故宮の中。おじいさんたちがくつろいでいる。
露店販売のおじさん。非常に生活感のある写真である。売っているのは北京名物の揚げパンだろうか。
盧溝橋の写真。日中戦争の引き金となった場所であるが、1947年時点ではすでに平時の静けさを取り戻している。
故宮の後ろにある景山公園の写真。
ここには、明の最後の皇帝である嵩禎帝が首を吊ったとされる木が残っている。
当時の頤和園の様子。
頤和園の昆明湖の様子。