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中華圏で神と崇められる関羽

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日本人にとっての関羽とは、三国志の中の存在のみであるが、関羽は中華圏では広く神様としてまつられている。孔子の文聖に対して、関羽は武聖と呼ばれる場合もあり、あの孔子と同等の扱いを受けるくらい有名である。今回はそのエピソードを簡単にご紹介したい。

 

 

関羽は実は商業の神様

 

関羽と言えば劉備・張飛と3義兄弟として有名で、蜀漢の建国に多大な貢献をするも、樊城(はんじょう)の戦いで孫権軍により殺害された。古来、強い念を持ったまま死ぬと、その念が地上に残り続けるといわれてきたが、その通り、関羽は死語にその念を納めるために神としてまつられることになった。

 

日本でも菅原道真が死後、怨霊となるも天満天神の信仰対象となり、学問の神様となったのと似ていますね。

 

意外なことに、関羽は実は、勝負の神などではなく、商売の神様として、商売人にまつられることが多い。何故そうなったのかは諸説あるものの、厳しい商売の世界での勝利を願った商人の気持ちが何となくわかる気がする。関羽が商売に必要な義理や信義に厚い人物だったことや、元は塩の密売業者で算盤や大福帳を開発したという伝説、また山西商人にとって地元の英雄だったなどの様々な理由から現在は主に商業の神として崇められているようである。

 

関羽はいつから神になったのか?

 

唐の時代には仏教の隆盛とあわせて神格化が進んだようである。旧くは三国時代の高名な武将として、武神として崇められていたが、徐々に商業の神に変遷していった。

 

関羽は様々な呼称を持っているが、関帝関聖帝君(かんせいていくん)などと呼ばれることが多いようである。そのほかには、関公美髯公びぜんこう)などとも呼ばれる。諸葛亮孔明からは髭殿と呼ばれたりしていたようである(笑)

 

なお、神としての関羽は一緒に死んだ関平(三国志演義では養子となっているが正史では実子とされている)、周倉(実は三国志演義にしか登場しない架空の人物)を左右に引き連れていることが多い。

 

関帝廟とは?

 

現在では世界中の中華圏に関羽を祭る関帝廟がある。日本では1873年(明治6年)に横浜中華街に関帝廟がつくられ、旧暦6月24日 (8月8日)に関帝誕という誕生日にまつわる神事がおこなわれている。また、神戸中華街にも関帝廟があるので有名である。

 

三国志好きの方はぜひ訪れてみることをお勧めする。

 

 

神、関羽の神々しい姿(写真)

 

以下、関羽のかっこいい画像を見て癒されましょう!

 

関羽は孔子の春秋の解説書である『春秋左氏伝』を好み暗唱もできたようで、儒教の知識に富んでいたとされる。ちなみに、足元に散らばっているのは、船ではなく、昔の中国の金塊です!さすが商売の神様。

 

同じく『春秋左氏伝』を読みふける関羽様!武聖だけあって、虎の敷物の上に座っています!

 

後ろに控えているのは周倉。横山光輝三国志の周倉とそっくりですね。架空の人物のため、馬に乗った関羽と一緒のスピードで走って付き従ったという伝説もあります。

 

竜をまとう神の関羽!

 

馬にのるりりしいい関羽。

 

何かわかりませんがとにかくかっこいい関羽。

 

最後の一枚は蜀の五虎大将軍が全員揃っています!かっこいいですね!私が一番好きな画像。皆さんもぜひパソコンや携帯の壁紙にしましょう!

 

最後に

 

中国や台湾、香港などで個人商店に行くと、関羽の像を置いているのをたまに見たりしますが、これは関羽が商売の神としてあがめられており、商売繁盛を祈願して置いているものです。

 

私も家に関羽像があります(笑)皆様もよろしければ是非!

 

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