1906年というとまだ清朝の時代。アメリカでは1908年からT型フォードの量産が始まっていたものの、日本や中国ではまだあまり自動車は普及していなかった。では、どのような乗り物が主流だったのか?今回はその貴重な写真を見てみたい。
大型の馬車の様子。貴族が乗るような馬車ではなく、もっとグレードが低いもの思われる。それでも、なかなか快適そうである。
人力車。浅草の雷門のあたりで見るものとあまり変わらない。乗っているのは貴族の婦人と子供のようである。
人が担いで運ぶ”こし”。江戸時代の時代劇を見ていると良く出てくるあれの中国版である。おそらく偉い人が乗っているのであろう。
ラバのこし。装飾を見る限りはそんなに豪華な感じではない。中国ではラバがよく使われるのであるが、ロバと馬を掛け合わせたラバは体が丈夫で粗食に耐え、病気や害虫にも強く、足腰が強く脚力もあり、蹄が硬いため山道や悪路にも適しているらしい。睡眠も長く必要とせず、親の馬より学習能力が高く調教を行いやすい、とても経済的で頑健で利口な家畜である。
一頭引きの馬車。装飾を見る限りではそこそこ豪華である。
ラバにまたがる満州族貴族。写真を見る限りはかなりの小型である。
台車。諸葛孔明が発明した木牛(長柄をつけた四輪の車)、流馬(一輪車)のようなものであろう。
おまけ1音楽隊。なんか大きなベルのようなものが気になる・・・。
おまけ2散髪。辮髪を結うのは結構大変だったはずである。