1930年代、アジア第一の都市と言われた満洲国の首都、新京をご紹介。現在の吉林省長春にあたる。ちなみに、中国では満洲国は偽満国と呼ばれており、正式な国家として認められていない。新京は満州国で唯一の特別市であった。首都ではあったものの、人口としては、奉天(瀋陽)、哈爾浜(ハルピン)に次ぐ第3位の90万人程度であった。
新京一の大通り、日本橋通り。現在の勝利大街にあたり。道路の幅も広く、自転車やバス、歩行者などが行き交う様から活気を感じる。また、両脇の建物も西洋風で非常に綺に整備された街並みとなっている。
次は、現在の長江路、当時の吉野町。日本のお店が両脇に立ち並び、完全に日本のような雰囲気になっている。歩いている人も和服を着ているのが印象的。ちなみに、1940年代の満洲国には4000万人以上の人口がおり、日本人も200万人以上住んでいたとの事。
病院の前のバス停の風景。道の広さが印象的。服は洋装となっている。非常に平和そうな昼下がりの風景というイメージで、当時の殺伐とした時代背景からは想像できない。
満州国政府(満州国国務院)の建物。西洋風だが、真ん中の部分はお城のようにも見える変わった雰囲気の建物。残念ながら現存していない。
場所は不明であるが、非常に広い道路。奥の方には西欧風の高い建物が見える。手前にある該当もモダンな雰囲気となっている。
今でも現存する人民広場。満洲時代の面影を現在まで伝え続ける、円形のシンボリックな道路と広場。
一直線の道路と整った建物。当時の新京が計画的に整備された都市であったことを偲ばせる一枚。上水道だけではなく、当時としては非常に珍しく、下水道が完備され、東京よりも50年進んでいると言われた。
街路樹が奇麗に整備された大通り。上と一緒で、計画的な都市であったことが偲ばれる一枚。ちなみに、新京はもともとは長春という名前だったものを1932年の満洲国成立に伴い、新京と改名され、戦後また長春に戻った。
以上、長春の大平原に、非常に多額の投資を行い開発された新京の様子でした。当時としては、5族共和の理想を掲げ、先進的な都市を創ろうとしていましたが、その裏には侵略の歴史があったことも忘れてはいけない。長春には当時の面影を残す遺跡がたくさん残されているので、興味を持った方は旅行で訪れてみると良いだろう。