現在の中国東北地方の中心都市となっている瀋陽の過去の写真をご紹介します。瀋陽は昔、奉天と呼ばれて、張作霖が本拠地としていましたが、その後日本が占領し、満州国を建国しました。満州国自体は新京(長春)が首都でしたが、人口が一番多かったのはこの奉天になります。当時はかなり多くの日本人も移住して奉天に住んでいました。かの有名な指揮者の小澤征爾も奉天出身です。
奉天万般感激公会堂(现在の中国人民银行瀋陽市支店)。1919年12月に奉天商工会議所の建物を兼ねて、大広場近くの加茂町通りに建てられた。この公会堂は市の各種行事のほか、大正時代の「泰西名画」の上映に利用されたようで、小さい時にここで西洋映画を見た、という日本人が多かったようである。
奉天浪速通り、現在の中山路。明治チョコレートの看板が非常に目立つ。綺麗に整理された大通りで、往時の繁栄がうかがえる。それにしてもこれだけ見ると日本にしか見えない風景である、、、昔の銀座あたりを彷彿とさせる。
奉天満蒙毛織百貨店、現在の瀋陽市第一百貨店。満蒙という言葉に馴染みのない人も多くなってしまったと思うが、これは第二次大戦前、中国の満州と内蒙古を指していった言葉である。日本本国の生命線として、日本が確保を渇望した地域である。しかしなぜか、モンゴルに向かわず中国との戦争に突入してしまったわけであるが。
奉天高等女子学校。今の瀋陽第20中学。のちに奉天浪速高等女学校と名前が変わったようである。女学校としてはもっとも由緒ある学校だったようである。日本語による教育が行われていたが、日本人子女だけでなく中国人や朝鮮人、モンゴル人もたくさん通っていた。
奉天の市街地。電柱をみると本当に日本的であるが、奥に見える城が中国風である。歩いている人は当然、中国人が多いようである。
奉天西塔。チベット仏教の仏塔である。残念ながら、文化大革命中の1968年に破壊されて貴重な仏像なども失われたが、1998年に3千万元をかけて修復されて、現在はきれいな仏塔に生まれ変わっている。
奉天中学校で、今の瀋陽市東北中山学校。満州国崩壊後に中華民国に接収され廃校となったが、民国の学校として再利用され、瀋陽第39中学校から中山中学に改まり、現在は東北中山中学となっている。
奉天平安広場で、現在の民主広場。当時の都市の中心地に設けられた近代風のロータリーが特徴的。現在ではロータリーの中心には花壇が綺麗に飾られ毛沢東の銅像が設けられている。