中国ではわりとポピュラーであるが、日本ではあまり西太后の写真に馴染みがないので、今回はちょっと変わった写真を中心にご紹介していきたい。特に若い時の様子を再現したAIの写真や、その葬儀の写真はなかなか見ることができないため必見である。
<参考>西太后の呪い?!
西太后の呪い?清建国と滅亡をつなぐミステリー
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<参考>中国史上最後の皇太后
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現存する西太后の晩年の写真
西太后晩年の写真はけっこう多く残っている。その多くは60歳以降の誕生日などに撮影された写真であるが、無表情・しかめ面している写真も多く、西太后の悪いイメージを助長しているように思える写真も多い。
非常に有名な西太后の実写の一枚。
後ろの垂れ幕には「大清国当今聖母皇太后万歳万歳万万歳」と書いてある。
これは、西欧の公使の婦人たちと一緒にとった写真である。孔子婦人たちと一緒にお茶を飲むなど、気さくな面もあったようである。
ポーズをとってはいるが、表情が無表情でなんとなく良いイメージがしない・・・。
これはお出かけの写真である。ちなみに、手前の向かって右側に移っているのが、西太后が最も寵愛した宦官の李蓮英である。なにかと悪い評判も多い人物であるが、西太后死後は権力に固執せずに早々に引退し、清朝滅亡直前に亡くなった。
雪景色の一枚。着ている服が厚くてとても暖かそう。この一枚にも、左奥に李蓮英が映っている。
中南海で舟遊びをしているときの写真らしい。
西太后が観音様に扮した写真で、中国ではとても有名な一枚。右にはまた李蓮英が映っている。西太后の寵愛ぶりが分かる。
AIでよみがえる若いころの西太后
西太后が若いころはまだ写真が無かったため、若いころの写真は残念ながら残っていないが、若いころはかなりの美形であったといわれている。70歳ころの写真を見ても、あの時代にしては、そこまで老人のように見えないのであるから、推して図るべしである。
なお、中国で最新のAIを駆使して再現した若かりし頃の想定写真を掲載しておく。
晩年の写真をもとにAIで若いころの写真を作成し、比較したもの。端正な顔立ちが非常に印象的である。
2枚目は現在でも通じるような、かなりの美人に見える写真である。余談であるが、彼女が着ていた衣装は本当に綺麗なものばかりである。
葬儀の写真
西太后は1908年11月15日に中南海の儀銮殿で74歳で亡くった。11月の北京はすでに寒いのであるが、寒空のなか、故宮から120km離れた東清陵(歴代皇帝や皇后を祀っている陵墓)まで、5日かかって棺を運んだといわれている。
多くの人が付き従っているように見えるが、実際には北京を離れると一般市民は徐々に減っていったようである。この時代には多くの外国人も北京に住んでおり、外国人の写真家によって撮影された写真も多い。
その後、西太后の遺体はどうなった?
ちなみに、何回か西太后の墓は調査されている。後日談をご紹介したい。
これが、墓の入り口である。地下陵墓となっている。
これは、調査が行われている模様ではなく、観光の様子。
西太后の棺。
調査の様子。
遺体を取り出した後に測定が行われている様子。ちなみに、棺桶の中には金銀財宝が収められてたが、すべて盗掘されて、西太后の遺体は下着を着ていたのみであったという。清朝は測定の結果153㎝だということである。
以下のページに実際の遺体の写真が載っているのでリンクを貼っておく。ミイラのようになっていますので、ご注意して、興味がある方はご覧ください。