<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>ChinaStyle.jp</title>
	<atom:link href="https://chinastyle.jp/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://chinastyle.jp</link>
	<description>中国ビジネス・生活・歴史の総合情報サイト チャイナスタイル</description>
	<lastBuildDate>Tue, 11 Oct 2022 10:55:53 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.7.1</generator>
	<item>
		<title>中国軍弱いの？自衛隊・中国人民解放軍・米軍の軍事力を徹底比較！</title>
		<link>https://chinastyle.jp/chinaarmy/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=chinaarmy</link>
					<comments>https://chinastyle.jp/chinaarmy/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[chinastyle]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 11 Oct 2022 10:53:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[中国ビジネス]]></category>
		<category><![CDATA[中国生活]]></category>
		<category><![CDATA[歴史・文化]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<category><![CDATA[中国軍]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://chinastyle.jp/?p=6436</guid>

					<description><![CDATA[<p>中国軍は少し前までは、人数は多いものの、装備が旧式で実戦では役に立たないと言われていました。しかし、昨今では、経済の急速な発展と、科学技術力の向上により、装備の近代化をものすごい勢いで進めており、急激 ...</p>
The post <a href="https://chinastyle.jp/chinaarmy/">中国軍弱いの？自衛隊・中国人民解放軍・米軍の軍事力を徹底比較！</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p>中国軍は少し前までは、人数は多いものの、<strong>装備が旧式で実戦では役に立たない</strong>と言われていました。しかし、昨今では、経済の急速な発展と、科学技術力の向上により、装<strong>備の近代化をものすごい勢いで進めており、急激に軍事力を強化</strong>しています。</p>
<p>ここで皆が疑問をもつのが「で、結局、中国軍は強いの？」ということですが、今回は、そこら辺を、日米中の比較を中心に、あまり専門的になりすぎないように考察していきたいと思います。</p>
</div></div>
<p><span class="rmarker">※今回の内容はYoutubeで動画としてもアップされています</span></p>
<p><iframe loading="lazy" title="【徹底解説】中国軍弱いの？自衛隊・中国人民解放軍・米軍の軍事力比較！" width="920" height="518" src="https://www.youtube.com/embed/eIZaErUP-lw?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></p>
<p>まず最初に昨今の中国軍に対する評価の論点を見てから、世界における中国軍の客観的な位置づけ、中国軍の体制とその指揮命令系統を確認し、兵力を日本、アメリカとの比較でみていきたいと思います。そのうえで、結局中国軍は強いのか、について多方面から検討していきたいと思います。最後に、すこし閑話休題となりますが、ウクライナの教訓について思う所を少し述べて終わりにしたいと思います。</p>
<p>なお、この動画は、<strong>自衛隊を礼賛し、中国軍弱いと阿Q正伝のような精神的勝利で満足する動画ではありません</strong>のであらかじめご了承下さい。それでは早速いきましょう。</p>
<h2>中国軍に対する評価の論点</h2>
<p>日本、そして世界の論調を見ると、中国軍に対する評価には大きく異なる二つの意見があります。</p>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>脅威派：</strong>中国軍は近年急速に軍事力の近代化を進めており、その軍事力はすでに自衛隊を凌駕し、米国に並ぼうとしている</p>
<p><strong>張りぼて派：</strong>量的には拡大しているが張りぼての空母に代表されるようにその兵器は結局まったく役に立たない</p>
</div></div>
<p>日本でニュースを見ていると、<strong>希望的観測も含めて、張りぼて派の論調が多いように見受けられます</strong>。日本の軍備拡大に反対する人たちにもこの意見を持っている人が見受けられます。もちろん、私個人としてもそれが事実であれば非常に良いと思うのですが、もしも脅威派の意見のように、その実力が米国と並ぶほどのもであったら、日本国そして日本国民にとっても非常に大きな脅威となります。</p>
<p>今回はこの二つの意見を頭に入れつつ、実際にはどのようになっているのかを、少し客観的に検証していきたいと思います。</p>
<h2>最新の世界軍事力・軍事費ランキン</h2>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>世界の軍事力ランキング</strong></p>
<p><strong>1 United States: 0.0453</strong><br />
2 Russic : 0.0501<br />
<strong>3 China : 0.0511</strong><br />
4 India : 0.0979<br />
<strong>5 Japan : 0.1195</strong></p>
<p>出典：https://www.globalfirepower.com/countries-listing.php</p>
</div></div>
<p>まず最初に、日本と米国、中国の軍事力を客観的に見ておきたいと思います。グローバル・ファイヤーパワー（Global Firepower）が2022年に発表した最新の世界の軍事力ランキングを見てみると世界１位は米国で、中国は3位、日本が5位となっています。日本も最近では、いずもの空母化やF-35Bの導入など軍事力強化に力を入れており、あくまでも専守防衛に徹した自衛隊という位置づけでありながら世界5位の軍事大国となっています。</p>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>世界の軍事費ランキング</strong></p>
<p><strong>1位：米国　１００兆円<br />
2位：中国　　３８兆円</strong><br />
3位：インド　　９兆円<br />
4位：ロシア　　８兆円<br />
5位：イギリス　８兆円<br />
　　　～<br />
<strong>9位：日本：　　６兆円</strong></p>
</div></div>
<p>2021年の軍事費を見てみると、世界1位はもちろん米国の8010億ドルで、為替レート1ドル＝130円で計算すると、100兆円となり日本の国家予算とほぼ変わらないという天文学的な金額を積み上げています。そして、中国は世界2位で2930億ドル、日本円換算で38兆円で27年連続の増加となり、この2か国だけで、世界の軍事費の半分を超えることになります。3位以下はドングリの背くらべとなりますが、日本の防衛費は世界9位となり、6兆円強となります。</p>
<p>ちなみに、日本は10年程度の軍事戦略を決定する国家安全保障戦略の改定を2022年に控えており、この中でこれまでGDP1％とされた軍事費を2%に引上げようとしています。これが実現すると日本の軍事費は10兆円を超える事になり、<strong>一躍世界3位に躍り出る</strong>ことになります。</p>
<h2>中国軍の体制</h2>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/閲兵式-1024x683.jpeg" alt="" width="920" height="614" class="aligncenter size-large wp-image-6490" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/閲兵式-1024x683.jpeg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/閲兵式-300x200.jpeg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/閲兵式-768x512.jpeg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/閲兵式.jpeg 1080w" sizes="(max-width: 920px) 100vw, 920px" /></p>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>＜中国軍の総軍事力＞</strong>　人民解放軍＋武装警察＋民兵</p>
</div></div>
<p>次に、中国軍の体制を見ておきたいと思います。<strong>中国の軍事力は人民解放軍のみではなく、準軍事組織となる武装警察と民兵の合計と中国の国防法では規定</strong>されています。この中で主力は当然、中国人民解放軍となりますので、今回は武装警察や民兵の詳細は話しませんが、中国の軍隊は中国共産党の指導を受けるとしており、実質的には共産党の軍隊が国軍になっているという建付けです。日本でいえば、自民党の軍隊が自衛隊を名乗っているようなものですが<strong>、そもそも中国は、国家自体が共産党の指導を受ける、と憲法で規定されている</strong>国家体制となるため大きな問題ではないと認識されます。</p>
<p>中国軍の正式名称、<strong>中国人民解放軍という名前は1947年から共産党により使用</strong>されています。第2時世界大戦時は協力していた中国共産党軍と中華民国軍は、1946年には内戦状態に入ります。共産党は、当時中国大陸を支配していた中国国民党から人民を開放するとして、人民解放軍を名乗り、以後この名称が現在まで継承されています。</p>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>＜米軍の６軍種＞</strong>陸軍、海軍、空軍、海兵隊、宇宙軍、沿岸警備隊<br />
<strong>＜人民解放軍の５軍種＞</strong>陸軍、海軍、空軍、ロケット軍、戦略支援部隊<br />
<strong>＜自衛隊の３軍種＞</strong>海上自衛隊、陸上自衛隊、航空自衛隊</p>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/軍種-1024x259.png" alt="" width="920" height="233" class="aligncenter size-large wp-image-6473" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/軍種-1024x259.png 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/軍種-300x76.png 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/軍種-768x194.png 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/軍種.png 1183w" sizes="(max-width: 920px) 100vw, 920px" /></p>
</div></div>
<p>人民解放軍は、陸軍、海軍、空軍、ロケット軍、戦略支援部隊の5軍種からなります。ちなみに、日本は海上自衛隊、陸上自衛隊、航空自衛隊の３軍種のみで構成されていますが、アメリカ軍は、陸軍、海軍、空軍、海兵隊、沿岸警備隊、宇宙軍の6軍種で構成されています。中国のロケット軍はあまり聞きなれないかもしれませんが、昔から組織としては存在したものが、<strong>2015年に正式にロケット軍と命名され、陸海空軍と並ぶ軍種となりました</strong>。また<strong>戦略支援部隊も2015年に正式に軍種</strong>となりましたが、詳細は不明となっています。ただし、その旗印がアメリカの宇宙軍に酷似していることからも分かる通り、<strong>電子空間、ネットワーク、宇宙における支援を任務</strong>としていると言われています。<br />
&nbsp;</p>
<h2>中国軍の指揮命令系統</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>中国軍の最高司令官は誰なのかというと、現在では<strong>習近平</strong>となります。しかし、これは国家主席という立場で軍を統率しているわけではありません。中国人民解放軍は<strong>中国共産党中央軍事委員会の指揮下</strong>にあり、この共産党中央軍事委員会の主席が事実上の中国軍の最高司令官となります。ちなみに、一応、国家中央軍事委員会という名前の組織もありますが、中国共産党中央軍事委員会の主席がこれを兼務することになっており、共産党軍事委員会の方が国家軍事委員会よりも上位となります。</p>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/中央軍事委員会-1024x538.jpg" alt="" width="920" height="483" class="aligncenter size-large wp-image-6476" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/中央軍事委員会-1024x538.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/中央軍事委員会-300x158.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/中央軍事委員会-768x404.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/中央軍事委員会.jpg 1267w" sizes="(max-width: 920px) 100vw, 920px" /></p>
<p>古来、中国では軍隊のトップが大きな力を持っており、人民解放軍のみならず武装警察や民兵などのすべての武装兵力の指揮官となる、この<strong>中央軍事委員会の主席が事実上の国家のトップといっても過言ではありません</strong>。毛沢東は大躍進政策の大失敗により1959年に国家主席の座を劉少奇に譲りますが、中央軍事委員会の主席には1976年に亡くなるまで居座り続けました。また、鄧小平は公式な国家の役職としては国務院副総理までしか務めていませんが、裏では共産党中央軍事委員会の主席となっており、当時の国家主席であった胡耀邦や超紫陽を解任するなど、国家主席をはるかにこえる権力を握っていたことはとても有名です。</p>
<p>ちなみに、毛沢東の有名な語録に「<strong>政権は銃口から生まれる</strong>」がありますが、毛沢東や鄧小平は、政治家としての顔も持っていましたが、国民党との内戦を戦った軍人でもあったので、彼らが生きている限り文民統制とはなりませんでした。毛沢東と鄧小平により「中国の権力は軍隊により裏打ちされる」という既成事実ができると、逆に、この反省を生かして、二重権力体制とならないように、国家主席が中央軍事委員会主席を兼務するようになります。こ<strong>のポストは、日本のニュースではあまり報道されることのない、馴染みのない役職ですが、中国の軍隊の最高指揮官としてとても重要なポスト</strong>となります。</p>
<p>なお、共産党がこのように軍事力をその統治の正当性の基盤としており、天安門広場や香港の民主化運動を鎮圧する際に国民に対して大規模に軍隊を用いていることからもわかるように、共産党政権は多分に軍事独裁政権の性格を持っていることは覚えておくべきでしょう。</p>
<p>日本の場合は自衛隊の上に防衛大臣がおりその上のトップが内閣総理大臣という体制となります。米国も同様で、軍隊の上には国防長官がおり、最高司令官は大統領となります。米国大統領は軍の最高司令官として、つねに核発射ボタンがはいったアタッシュケースを持ち歩くことでも有名です。<br />
&nbsp;</p>
<h2>兵力の日・米・中比較</h2>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>現役総兵員数</strong><br />
米国：１３９万人<br />
中国：２００万人（＋武装警察７０万人、民兵８００万人）<br />
日本：２６万人</p>
</div></div>
<p>それでは兵力はどのようになっているかというと、現役総兵員数でいうと、中国の軍隊である人民解放軍は200万人強、米国は139万人、日本の自衛隊が26万人となっています。</p>
<p>中国はこれに加えて、準軍事組織として国内の治安維持にあたる武警と呼ばれる武装警察が約70万人、民兵が800万人いるとされています。武装警察や民兵は主に治安維持に動員されることが多くなっています。民兵という概念は、日本にはないため分かりにくい位置づけの組織ですが、<strong>通常時は普通に会社員や農業・漁業などの仕事をしながら、一定の軍事訓練を行っている</strong>とされています。<strong>尖閣諸島に漁船としてあらわれる人々がまさに民兵が偽装した漁師であると言われています</strong>。また、尖閣諸島国有化問題で中国において大規模なデモが発生したりもしましたが、あれも民兵が動員されているのではないかと言われています。</p>
<p>なお、中国は、装備の近代化を進めており、総兵員数は削減する方針を打ち出しています。ちなみに、<strong>自衛隊は慢性的に兵数不足とされている一方、米国も中国同様に兵員数の削減の方針</strong>を取っています。</p>
<p>それでは、陸海空軍の詳細を見ていきたいと思います。<br />
&nbsp;</p>
<h3>陸軍</h3>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>兵員数</strong><br />
　米国：５０万人<br />
　中国：１３０万人<br />
　日本：１５万人</p>
</div></div>
<p>まず陸軍ですが、中国の陸軍が約130万人と言われるのに対して、米国は約50万人で中国の陸軍は2倍以上となります。ちなみに、自衛隊は約15万人とされており、兵員数では圧倒的な差があります。それもそのはずで、<strong>中国と米国は日本の26倍と言われる広大な国土面積</strong>を誇っており、どうしても陸軍の数字が大きくなるのですが、<strong>米国が北米大陸を友好国のカナダとほぼ占領</strong>しているのに対して、<strong>中国は陸上で多くの国と国境を接しており、そのうちインドやベトナムとは紛争も抱えているため、米国以上の陸軍が必要</strong>となります。</p>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>戦車保有数</strong><br />
　米国：６０００<br />
　中国：６０００<br />
　日本：７００</p>
</div></div>
<p>保有する戦車を見てみると、アメリカと中国はともに約6000台と拮抗していますが、海洋国家である日本はかなり見劣りする700台となっています。</p>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>各国の主力戦車</strong></p>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/戦車比較-1024x375.jpg" alt="" width="920" height="337" class="aligncenter size-large wp-image-6474" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/戦車比較-1024x375.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/戦車比較-300x110.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/戦車比較-768x281.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/戦車比較.jpg 1140w" sizes="(max-width: 920px) 100vw, 920px" /></p>
</div></div>
<p>主力戦車を見てみると、1980年に就役したアメリカの超有名なM1エイブラムスが第3世代戦車に当たるのに対して、<strong>現在は第4世代への移行期</strong>にあたり、<strong>第3.5世代戦車が主力となっています</strong>。アメリカ陸軍と海兵隊も採用するM1エイブラムス改良型は、湾岸戦争でも投入され、対戦車戦において現在まで<strong>最強戦車の異名を保持</strong>し続けています。</p>
<p>日本の主力戦車といえば２０１１年から配備されている国産の１０（ひとまる）式戦車となりますが、これは自衛隊という性格上、国内での運用が想定され、日本の狭い道路や橋などを渡れるように軽量化され機動力が高くなっています。<strong>日本での戦場を想定した場合、１０式戦車は最高クラスの性能を持っていると言われています。</strong></p>
<p>中国の主力戦車は９９式戦車となり、これは<strong>火力ではアジア最高</strong>と評価されており、現在まで約１２００台生産されています。また、２019年の中国建国70周年軍事パレードで初めて公式の場に姿を現した日本の戦車よりも小型軽量な１５式戦車は、軽戦車に分類され、主に<strong>チベットなどでの運用を想定した高い機動力を持った仕様</strong>となっています。中国はチベット独立の動きや高山を挟んでインドとの紛争も抱えるため、世界ではあまり運用されていない、軽戦車というジャンルの戦車を開発したと言われています。９９式戦車が５０トンを超えるのに対し、１５式戦車は３０トン台で、日本の１０式戦車の４０トン台よりもかなり軽量となっています。そのため、<strong>高原の猛虎</strong>などと呼ばれたりもします。</p>
<p>中国の９９式戦車と日本の１０式戦車を比べると、火力、攻撃力は９９式戦車の方が上であると言われており、スペック上は世界で見ても最強戦車の一つであるとされていますが、実戦での実力は未知数です。ちなみに中国の１５式軽戦車は、攻撃力と防御力で日本の１０式戦車より一回り劣るとされます。</p>
<h3>空軍</h3>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>兵員数</strong><br />
　米国：３７万人<br />
　中国：４０万人<br />
　日本：４万人<br />
</div></div>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>戦闘機保有数</strong><br />
　米国：１３０００<br />
　中国：３２００<br />
　日本：１６００<br />
</div></div>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>各国の主力戦闘機</strong></p>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/戦闘機比較-1024x362.jpg" alt="" width="920" height="325" class="aligncenter size-large wp-image-6475" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/戦闘機比較-1024x362.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/戦闘機比較-300x106.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/戦闘機比較-768x271.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/戦闘機比較.jpg 1392w" sizes="(max-width: 920px) 100vw, 920px" /></p>
</div></div>
<p>次に、空軍を見てみましょう<strong>。アメリカの航空戦力は1万3000機以上で、世界的に見ても２位のロシアの３倍以上を誇る圧倒的なトップ</strong>となっています。主力は圧倒的世界最強戦闘機として有名な最新鋭の第五世代戦闘機となるF-22ラプターと、やはり世界最高クラスの性能を誇るベストセラーとなったマルチロール機である第五世代戦闘機F35ライトニング２となります。日本の航空戦力は1600機となり、アメリカから導入しているF35がやはり主力となりますが、アメリカが2500機近いF35を保有しているのに対し、日本は100機程度にとどまっています。しかし、<strong>この100機でもアメリカを除いた世界ではNO.2の保有数と</strong>なります。その他の日本の主力機は第４世代となるF-15J、第4.5世代となるF-2などが約300機で、他に特筆すべきは空飛ぶレーダーE-767AWACS（空中警戒管制機）4機を有し、その実力は非常に高いと言われています。</p>
<p>中国の航空戦力は3200機となり、世界３位の規模となっています。主力機は米国のF-22ラプターに対抗するために独自開発された殲-20（J-20）であり、これは世界的にも3番目となる最新鋭第五世代ジェット戦闘機に分類されます。しかし、この<strong>J-20は機体も大きく、飛行時の姿勢安定性を確保するため前方に小さなカナード翼をつけているため、F22やF35に比べるとステルス性能に劣る</strong>と言われています。</p>
<p>実態は分かりませんが、F22と比べるとJ20のステルス性能は100分の1程度という分析もあり、その場合、J20は有視界ではF22の接近やミサイル発射に気づくこともなく、気づいた時には撃墜されている、という分析もあります。J20とF35を比較すると、F35が上回るものの、圧倒的な差があるわけではないと分析されています。しかし、このF35はスペックを見ても分かる通り小型のマルチロール機であり、また高<strong>いステルス性能とF22を上回るとも言われるデータリンク機能を活かして偵察までこなす機体</strong>であり、空対空のドッグファイトを行うような想定ではないとされます。</p>
<h3>海軍</h3>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>兵員数</strong><br />
　米国：４０万人（海兵隊１７万人）<br />
　中国：２４万人<br />
　日本：４万人</p>
</div></div>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>主要艦艇保有数</strong><br />
　米国：３００<br />
　中国：３５０<br />
　日本：５０</p>
</div></div>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>各国の主力艦艇</strong></p>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/空母比較-1024x333.jpg" alt="" width="920" height="299" class="aligncenter size-large wp-image-6477" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/空母比較-1024x333.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/空母比較-300x98.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/空母比較-768x250.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/空母比較.jpg 1431w" sizes="(max-width: 920px) 100vw, 920px" /></p>
</div></div>
<p>現在、主要な艦艇数を見てみると、中国の海軍は世界最大となる約350隻の船を有していると言われています。一方、世界最強のイメージがある米国は約300隻、日本は約50隻となっています。しかし、中国の海軍は沿岸警備などの小型船が多数なのに対して、大型船、とくに空母になると米国の原子力空母が１１隻、また空母相当となる強襲揚陸艦を含めると２０隻となるのに対して、中国は1980年代に旧ソ連が設計した空母をベースに改装した「遼寧」「山東」の２隻となり圧倒的な差があるとされています。米国の原子力空母でほぼ無制限に巡行でき、それぞれの空母には60機以上の航空機が搭載可能となっているのに対し、<strong>中国の空母はスキージャンプ台方式のためフル装備の航空機を飛ばすことができず、</strong>装備や燃料を満載にはできない旧型のJ-15戦闘機などを30機前後搭載しているのみにとどまっています。</p>
<p>ちなみに、<strong>中国は長い間、世界有数の海軍力を持つ日本と、世界最強の米軍に太平洋への出口に蓋をされた形になっています</strong>。そもそも、古来より日本は中国の太平洋への蓋となってきました。<strong>日本は古来より、中国の文化を受け入れながらも、中国の冊封体制に組み込まれることを拒否し、明王朝時代の倭寇など、中国の太平洋進出を常に邪魔してきました。</strong>それは日本の独特の位置条件、すなわち四方を海に囲まれて、それを<strong>自然の城壁として、沖縄まで含めると中国の海岸線をほぼ蓋しているという極めて特殊な位置</strong>が大きく関係しています。清王朝末期に、中国の虎の子と言われて、日本以上の実力を持つと評価されていた北洋艦隊が日清戦争で大敗して以降、日本は第2次世界大戦で敗北しつつも、第一列島線、第二列島線で中国を封じ込めてきたため、<strong>中国は常に日本の海軍力を排除することを悲願として来ており、現在、120年以上ぶりに中国がその機会を得ている状況</strong>となっています。</p>
<p>特に、中国は、<strong>民主化を進める台湾が行った１９９６年の総統直接選挙前に台湾海峡で大規模なミサイル演習を実施してこれを威嚇したものの、米国が派遣した空母打撃群に威圧されて演習を中断させられたという苦い経験</strong>があり、このような経験から、中国は海軍力の強化、特に空母の開発を急いでいます。</p>
<p>現時点では中国の遼寧と山東はアジアでは最強という位置づけにはなっていますが、それは単純に敵対する者がいないだけで、その実力は高くないとされています。しかし、中国は現在、<strong>三隻目の空母となる電磁式カタパルトを積んだ最新鋭の空母を開発しており、２０２２年中の公開、２０２４年までの配備を目指しているとしており、これが配備されれば、アジアにおける海軍のパワーバランスが一気に中国に傾くとされています</strong>。</p>
<p>日本は現時点では空母は保有しておらず、ひゅうが型２隻、いずも型２隻というヘリコプター搭載護衛艦４隻体制となっています。このうち、いずも型を2026年をめどに空母に改修する計画を進めています。そのため、短距離離陸・垂直着陸が可能なF35のB型の取得を進めており、最終的には４０機以上のF35Bを配備する予定となっています。すでに、F35Bのいずもへの離着陸試験も２０２１年から始まっています。いずもの2番艦「かが」の空母化も行われるため、2026年以降、日本はひゅうが型空母２艦という体制となりますが、この空母は排水量２万トン、艦載機11機クラスの軽空母となり、アメリカのフォード級の１０万トン80機、中国の遼寧６万トン５０機よりかなり見劣りする規模となります。<strong>敵地へ派遣して敵軍と交戦するという攻撃型空母の用途よりも、どちらかというと離島防衛のための防御型の空母という感じになる</strong>と思います。<br />
&nbsp;</p>
<p>ちなみに、空母以外の日本の海軍の実力を確認しておくと、日本はアメリカから調達した「はぐろ」などの<strong>イージス艦を８隻もっており、これは非常に高い迎撃能力</strong>をもっています。しかし、中国の物量に対して量が足りないという指摘もあり、陸上に設置するイージス・アショアの導入が検討されたこともありますが、これは頓挫しています。ちなみに、中国も中国版イージス艦の配備を進めており、特に２０２０年から配備が始まった０５５型と呼ばれる南昌級駆逐艦のカタログ上のスペックは非常に高く、日本にとっては脅威となる　とされています。最終的には中国版イージスは２０隻ほど配備される見通しとなっています。このイージス艦は空母を運用する際にはとても大切で、空母をミサイル攻撃から守る盾ともなり、空母の配備を進めている中国が中国版イージスの配備を急いでいる理由はまさにここにあります。</p>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/はぐろ.jpg" alt="" width="750" height="500" class="aligncenter size-full wp-image-6500" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/はぐろ.jpg 750w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/はぐろ-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 750px) 100vw, 750px" /></p>
<p>その他に、<strong>日本の実力が高いと言われているのが潜水艦</strong>となります。中国の潜水艦は約70隻で、原子力潜水艦とその護衛潜水艦が約10隻で、これは核弾頭を搭載するものでこれが戦闘に参加することはありませんので、その他の通常動力型の潜水艦が60隻となります。ちなみに、中国の潜水艦といえば「太鼓を叩くほど騒音を出す」と皮肉られるほど探知が容易であると言われています。潜水艦は海中に潜んで情報を収集したり、空母など撃沈するためには静粛性が非常に大切ですが、中国の潜水艦の半数以上はこの騒音タイプの潜水艦と言われていますが、２０隻ほどの潜水艦は性能が良い中国国産の元（ユアン）型となっています。</p>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/たいげい.jpg" alt="" width="640" height="427" class="aligncenter size-full wp-image-6479" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/たいげい.jpg 640w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/たいげい-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></p>
<p>対する日本の潜水艦は約20隻ですが、<strong>その実力は世界１，２を争う</strong>とされています。なかでも約半数を占めるそうりゅう型潜水艦の後期型とその後継となるたいげい型潜水艦は、ディーゼルエンジンに加えてリチウムイオン電池による駆動装置を搭載しており、その静粛性から発見するのが非常に困難であるとされています。原子力潜水艦（原潜）を除けば世界最大級の大きさとなり、<strong>海中に潜んで、日本に上陸しようとする船を撃沈させて上陸を阻む、日本における海の防衛のかなめ</strong>とも言われています。</p>
<p>潜水艦に合わせて見逃せないのが、<strong>敵の潜水艦を見つけ出してこれを撃沈する哨戒機P-3Cを日本が70機以上配備している点</strong>で、上空からソナー（水中レーダーのようなもの）を仕込んだブイを落とし、潜水艦を探知したら専用の魚雷を発射して撃沈します。また、<strong>より高性能の国産哨戒機P-1もすでに30機ほど配備</strong>が開始されており、日本の護衛艦やヘリコプターが持つ対潜水艦攻撃能力も含めて<strong>日本の潜水艦キラー能力は絶大</strong>なものであるとされています。冷戦時代にアメリカ海軍とともにソ連の原潜を追い続けた経験も含めて、日本の対潜水艦能力は世界最高クラスを誇っています。　<br />
<img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/P-1.jpg" alt="" width="1024" height="680" class="aligncenter size-full wp-image-6480" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/P-1.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/P-1-300x199.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/P-1-768x510.jpg 768w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><br />
&nbsp;</p>
<p>その他の注目すべきポイントをあげておくと、中国の悲願である台湾制圧を実現させるためには多くの兵士を台湾に送り込まなければいけませんが、<strong>中国はこの揚陸能力が非常に低く、強襲揚陸艦の開発を急いでいるとされています。</strong>２０２１年から中国の新型強襲揚陸艦075型が配備されており、ヘリコプターは約30機搭載可能で、上陸作戦時には約1200名もの兵隊を送り込むできることがされるとされています。現時点での配備数は2隻であり、これは台湾にとっては非常な脅威となっていますが、島国の日本にとっても他人事ではありません。</p>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/新型強襲揚陸艦075型-1.jpg" alt="" width="900" height="563" class="aligncenter size-full wp-image-6502" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/新型強襲揚陸艦075型-1.jpg 900w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/新型強襲揚陸艦075型-1-300x188.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/新型強襲揚陸艦075型-1-768x480.jpg 768w" sizes="(max-width: 900px) 100vw, 900px" /></p>
<p>ちなみに、この任務はアメリカでは海兵隊が担当することでも有名で、日本も中国同様に専守防衛の原則からこの揚陸機能が非常に低いとされています。それを補うため、米国の世界最大の強襲揚陸艦アメリカ級が在日米軍には配備されており、これは約２０００人の兵員を送り込む能力があるとされる最新鋭艦となります。<br />
&nbsp;</p>
<h3>ロケット軍</h3>
<p>ロケット軍は中国軍独特の軍種となり、中国人民解放軍の三軍である陸・海・空軍から独立した、一個の軍種を構成しています。<strong>中国は昔からアメリカの空母に対抗するためにロケットを非常に重要視</strong>してきましたが、2015年に正式に火箭軍（ロケット軍）と命名されました。その詳細は不明ですが、総兵員数は１０万人以上と言われています。</p>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/艦弾道ミサイル東風26号.jpg" alt="" width="600" height="400" class="aligncenter size-full wp-image-6485" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/艦弾道ミサイル東風26号.jpg 600w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/艦弾道ミサイル東風26号-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></p>
<p>核弾頭数は米国の約6000発に対して、中国は1000以下と見られており大きく見劣りはしていますが、それでも中国のミサイル軍は大変注目されています。これは米国がソ連と1988年に結んだ<strong>中距離核兵力INF廃止条約により、地上発射型の中距離弾道ミサイルや巡航ミサイルの開発制限を受けたのに対して、条約の制限を受けない中国が中距離弾道ミサイルで優位を保っているとされている</strong>からとなります。特に推定<strong>射程距離4000kmの中距離弾道ミサイル東風26号（DF-26）</strong>はその射程距離から<strong>グアムキラー</strong>との別名がつけられており、多く配備されていると言われています。これに警戒を強めた米国は、トランプ政権時代の２０１９年に条約を破棄し、中距離ミサイルの開発を急ピッチで進めることになりました。　</p>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/艦弾道ミサイル東風21号-1024x393.jpg" alt="" width="920" height="353" class="aligncenter size-large wp-image-6484" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/艦弾道ミサイル東風21号-1024x393.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/艦弾道ミサイル東風21号-300x115.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/艦弾道ミサイル東風21号-768x295.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/艦弾道ミサイル東風21号.jpg 1246w" sizes="(max-width: 920px) 100vw, 920px" /></p>
<p>その他にも、中国は<strong>射程距離1500km程度の対艦弾道ミサイル東風21号（DF-21）</strong>の開発に力を入れており、これは第二列島線より接近したアメリカの空母打撃群を攻撃するためのもので別名<strong>空母キラー</strong>とも呼ばれています。中国は、空母をはじめとする海軍兵力でアメリカに見劣りするため、台湾有事の際に、アメリカ軍の干渉を防ぐ事ができるこのミサイルの開発を進めており、特に同時に100発以上のミサイルを発射する飽和攻撃をされたら防ぎきれないとされています。</p>
<p>近年この空母キラーミサイルの情報が中国から相次いで公開されており、爆撃機への搭載、そして中国版イージス艦から発射する姿などが確認されており、迎撃することが困難であるため、空母の優位を覆すものとして大変注目されています。<br />
&nbsp;</p>
<h2>結局、中国軍は強いの？</h2>
<p>さて、ここまで日本、中国、米国の兵力を詳細にみてきましたが、最も興味がある、中国軍は強いのかという問題を考察していきたいと思います。<br />
&nbsp;</p>
<h3>①実戦経験と練度低い問題</h3>
<p>中国は1949年の建国以来、<strong>戦争経験が比較的豊富であるとされています</strong>。チベット併合に1950年からの朝鮮戦争、3度の台湾海峡危機、そして1962年からつづく中印国境紛争、ベトナム戦争への支援、1969年の中ソ国境紛争、1979年の中越戦争など何度となく軍事衝突を経験しています。<strong>しかしながら、陸海空軍が高度に連携して戦う近代戦の経験は非常に低い</strong>とされています。直近で発生した最も大きな戦争が1979年の中越戦争ですが、これもアメリカとのベトナム戦争を戦い抜いたベトナム軍に苦戦しています。また、<strong>特に海軍については、強化を開始したのが比較的最近であるため、中国海軍は敵の艦艇を沈めたことさえないと揶揄されています</strong>。現在の中国軍の兵器は近代化されていますが、実際に軍隊を展開して近代戦闘の中で運用した経験がなく、また軍隊がビジネスを行うなど兵の練熟度も低いと見られています。</p>
<p>2019年にベトナム沖で中国の弾道ミサイル搭載原子力潜水艦がベトナム漁船の前で浮上し写真が撮られるという事件が発生して話題になりました。これは核ミサイルを搭載した戦略原潜であり、普通であれば絶対に浮上してはいけない機密の塊のような潜水艦なのに、故障なのか理由はいまだに不明ですが、不用意に第三者の前で浮上して撮影されてしまったため<strong>中国軍の練度の低さを露呈する象徴的な出来事</strong>とされました。また、２０２１年には戦略原潜が台湾海峡を浮上航行し大きな話題となりました。台湾への威嚇という見方もありましたが、「弾道ミサイル原潜の浮上航行はほぼ前代未聞だ」と米国の軍事専門家が逆の意味で驚いていました。</p>
<p>ちなみに、潜水艦にはそれぞれの艦に特有のスクリュー音があり、この音紋を解析することにより特定が可能となります。日本にはこの音紋を解析する、<strong>もっとも秘密の多い艦といわれるひびき型音響測定艦が３隻体制で運用</strong>されており、情報を収集していると言われています。潜水艦が容易に姿を現して航行する事がいかにタブーかこれで分かると思います。<br />
<img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/あき-1024x650.jpg" alt="" width="920" height="584" class="aligncenter size-large wp-image-6478" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/あき-1024x650.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/あき-300x190.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/あき-768x488.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/あき.jpg 1279w" sizes="(max-width: 920px) 100vw, 920px" /></p>
<p>ちなみに日本は実戦経験こそありませんが、その練度は非常に高いとされています。航空自衛隊が米国のエリートパイロットとして有名なトップガンと空対空の演習した際に、命中率９６％という驚異的な数字をたたき出して大変驚かれたことがあります。また、自衛隊と米海軍の合同演習でも、米国の駆逐艦が日本の潜水艦に全く気付くことなく撃沈判定を受けたというのも有名な話となります。<br />
&nbsp;</p>
<h3>②統合作戦能力が低い問題</h3>
<p>現在、中国空軍は第五世代戦闘機を有しており、スペック通りであるとすればその戦闘力は非常に高いとされています。しかし、現在の空中戦で大規模なドッグファイトはありえず、より高度な早期警戒管制機AWACSを持つ方が圧倒的に有利とされています。AWACSの巨大なレーダーにより上空から周囲数百kmの敵機を監視し、発見と同時に味方機に迎撃を指示し、射程の長いミサイルで敵機を撃墜するというのが現代の戦い方であり、敵は敵機を見ることなく、撃墜されることになります。これは空中戦に限った話ではなく、<strong>中国はすべての面でこのような早期警戒や全体管制の技術・運用ノウハウで劣っている</strong>とされています。</p>
<p>このような、瞬時にデータリンクされる高度軍事情報システムは、（Command〈指揮〉 Control〈統制〉 Communication〈通信〉 Computers〈コンピュータ〉 Intelligence〈情報〉の頭文字をとってC4Iシステム（シー・クォドルプル・アイ）と呼ばれます。この高度な軍事情報システムで圧倒的に世界の最先端を行っているのが言うまでもなくアメリカで、日本はこのアメリカのシステムに準じたシステムをもっており、米国ともデータリンクされていると言われています。これに対した時の<strong>中国軍のシステムは絶望的な状況で差があると言われています。</strong></p>
<p>ちなみに、このC4Iシステムから作り出される共通作戦状況図COP（Common Operational Picture）は、分単位で戦況を分析し意思決定を支援すると言われており、今回のロシアのウクライナ進攻でも米国はかなり詳細に状況を把握していると考えられています。<br />
&nbsp;</p>
<h3>③使えない空母論</h3>
<p>2012年に中国初の空母遼寧が実戦配備されたことは非常に有名ですが、これは旧ソ連時代に開発された時代遅れの空母をウクライナ経由でスクラップとして購入し改装した空母になります。また、その後、遼寧を研究して中国が独自に建造した、同じスキージャンプ式を採用した２番艦となる山東も就役しています。この二つの空母については<strong>「張りぼての虎」「実戦での戦闘力はない」などと酷評</strong>される事が多いのですが、その艦載機の規模からしてアジア最強の空母であることは間違いありません。しかし、それはアジアには対抗する空母を持つ国が無いためであり、<strong>兄弟機となるロシア海軍の空母「アドミラル・クズネツォフ」が、故障・事故続きで運用が停止されていることを考えると、これをベースとしている遼寧と山東の実力もやはり低いものと考えざるをえません。</strong></p>
<p>ちなみに、よくネット上で空母は「実戦配備」「訓練」「点検・修理」のローテーションで３隻ないと実際には運用できない、という意見をよく見るのですが、アメリカ以外で唯一原子力空母を運用するフランスは一隻のみ、英国も空母を２隻のみで運用しており、3隻神話というのはあまり信ぴょう性がある話ではないように思えます。</p>
<p>遼寧と山東は艦載数が最大で50機、現実的には30機程度となっており、米国空母との性能差は天と地ほどあり、<strong>アジアの小国を恫喝するのには使えても、アメリカを相手にすることはできないとされています。</strong>2024年から配備が開始される3隻目の空母は電子カタパルトを装備するなどスペック的には米国の空母に見劣りしませんので、その実力が評判通りであれば一定の脅威となる事は間違いありません。中国は最終的に6隻程度の空母の取得を計画しているという見通しもありますが、原子力空母11隻体制の米国との差はまだまだ大きいと見られます。</p>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/空母ー福建-1.png" alt="" width="368" height="209" class="aligncenter size-full wp-image-6488" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/空母ー福建-1.png 368w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/空母ー福建-1-300x170.png 300w" sizes="(max-width: 368px) 100vw, 368px" /></p>
<p>また、軍隊においては、空母の運用こそが最も費用が掛かる部分であり、中国がその費用を捻出できるのか、という点においても難しいという意見があります。空母打撃群は、取得に大きな費用が掛かるだけではなく、維持・運用にも年間数兆円という費用が掛かり、いくら中国と言ってもその負担は大きいとされています。<br />
&nbsp;</p>
<h3>④結局は役に立たない弾道ミサイル？</h3>
<p><strong>米国は圧倒的なシーパワーに裏打ちされた、高い統合作戦能力をもち、有事の際には世界中のどの地域へも短時間で軍隊を派遣できます。</strong>とくに、その空母打撃群は圧倒的で、<strong>現在の中国は沿岸部に主要都市が点在しているため、中国は常に海からの脅威にされされてきました。</strong>ひとたび、米国との戦争が発生すれば、米国の空母が想像以上に短期間で派遣され、艦載機により一気に制空権を奪取される可能性があります。そこで、中国は海軍力の強化をはかってきたわけですが、その実力はまだまだ不十分であり、それを補うために中距離弾道ミサイル開発を重視し、空母を近づけないという戦略をとってきました。中国にとっては第一列島戦の中に米国空母打撃群を入れたくないわけです。</p>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/列島線-1024x598.jpg" alt="" width="920" height="537" class="aligncenter size-large wp-image-6486" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/列島線-1024x598.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/列島線-300x175.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/列島線-768x449.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/列島線-1536x897.jpg 1536w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/列島線.jpg 1946w" sizes="(max-width: 920px) 100vw, 920px" /></p>
<p>先ほど話題が出た空母キラーやグアムキラーによる台湾・沖縄・韓国の米軍基地、日本基地、日本主要都市やグアムなどへのミサイル飽和攻撃が脅威として上がってくるわけですが、日本や米国は海上ではイージスシステムなどの弾道ミサイル迎撃システムを配備しており、陸上でもミサイル迎撃用のパトリオットミサイルを配備しています。また、特に日<strong>本のレーダーの探知距離は長く、探知距離は4000kmと中国のほぼ全土をカバーしてこの脅威に備えています。</strong>また2017年には韓国に最先端のTHAAD、弾道弾迎撃ミサイル・システムが配備され、首都北京がレーダー範囲内にはいるため中国がこれに強く反発したニュースが大々的に流れて話題になりました。</p>
<p>このように空母打撃群や中国周辺のアメリカの同盟国には強力なミサイル迎撃網が配備されていますが、本当に中国がミサイルで、空母ではなく、沖縄やグアムを攻撃した場合にはさらに悲惨な状況になると言われています。戦争において空母が撃沈されるのは非常に衝撃が大きいのですが、その被害は軍隊の範囲内のみとなりますが、グアムや沖縄をミサイル攻撃するという事は、民間人まで被害が及ぶ事を意味し、これは米国にとってはパールハーバーを想起させ、<strong> 米国は瞬時に大規模な反撃を展開して中国の主要基地への強力な報復をおこない、中国側が数倍の被害を被ることになるだろうというのが大方の見方</strong>となっています。</p>
<p>また、<strong>中国の周辺という意味では、グアム、日本、韓国、オーストラリアに大規模な米軍基地が配置されており、反撃を受けないためには、空母打撃群に加えて、これらの基地を中国が同時に叩く必要があります</strong>が、これはほぼ不可能であり、<strong>それを行えば、一気に4か国と戦闘状態になってしまいます</strong>。ちなみに、米国・インド・日本が行っている軍事演習<strong>マラバール</strong>では、2017年に日本からいずもが参加して3か国の空母がすべて揃い大変注目を集めましたが、2020年にはオーストラリアもこれに参加しており、太平洋での国際的な連携が進んでいます。</p>
<p>また、空母打撃群を封じられても<strong>米軍には「見えない空母」と言われる巡航ミサイル原子力潜水艦が4隻</strong>あり、1隻あたり巡航ミサイルトマホークを154発積むことができ、報復という意味ではこれらの潜水艦が第一列島銭の中に入り込み、ピンポイントで中国のレーダーや宇宙監視の地上施設を攻撃してまず「目」を奪い、その攻撃力を無力化すると見られています。<strong>中国はこの潜水艦を見つけ出す能力が低いことが課題</strong>となっています。</p>
<p>このように様々な角度から見ると、<strong>結局は中国軍は有効に弾道ミサイルを使用できないのではないか、と言われています。</strong>一方、<strong>中国の弾道ミサイルによる飽和攻撃は、実は最も防御が難しく、日本が最も警戒しなければいけない攻撃であることは間違いなく、</strong>中国の軍事専門家が想定する交戦シナリオでは、この<strong>ミサイル飽和による日本基地や空母の沈黙化が必ず含まれる</strong>ことを注意しておかなければいけません。<br />
&nbsp;</p>
<h3>⑤スペックを下回る性能論</h3>
<p>一時期、中国が日本に新幹線の技術を提供させておいて、これを国産新幹線技術だと大宣伝したため大きなニュースになった時期がありました。世界最高と言われる日本の新幹線技術をベースとして、丸パクリした中国の新幹線は現在、大変順調に運用されています。</p>
<p>一方、昨今中国も軍事技術を国産開発していることを誇っていますが、実際には、空母などもロシアの技術をベースにしています。<strong>中国軍の技術は独自開発、国産と言っても、結局、その大半はソ連、ロシアの技術をベースとしており、特に情報処理面で、米国に圧倒的に遅れた技術がベースとなっているため、スペック通りの性能は無いのではないかと疑われています。</strong>こればかりは真実は戦ってみるまで分からないため、中国軍をなめてかかる事はできませんが、その実力に疑問を持っている軍事専門家は世界に多くいます。</p>
<p>孫子の兵法に「<strong>兵は詭道なり</strong>」とあり<strong>、出来ないことを出来るように見せかける</strong>、ことが重要であるとしています。これは台湾や東南アジア諸国を恫喝することに非常に効果的で、また中国国内の国威発揚にも大きな効果があると言われていますが、多くの国が中国軍の実力を疑っていることもまた事実です。</p>
<p>とはいえ、出来ないことを出来るように見せる事以外にも、逆に、出来ることを出来ないように見せかけることもあるため、その実力の見極めは慎重に行うべきです。<br />
&nbsp;</p>
<h2>結論</h2>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>脅威派</strong>：中国軍は近年急速に軍事力の近代化を進めており、その軍事力はすでに自衛隊を凌駕し、米国に並ぼうとしている<br />
<strong>張りぼて派</strong>：量的には拡大しているが張りぼての空母に代表されるようにその兵器は結局まったく役に立たない</p>
</div></div>
<p>さて、これまで見てきたように、冒頭に示した脅威派と張りぼて派の二つの認識は<strong>どちらも間違っており</strong>、どちらかというとその<strong>中間的な認識がもっとも現実に近い</strong>のではないとか思われます。<strong>中国の軍事力はすでに脅威となる段階まで到達</strong>しており、恐れすぎてもいけませんが、<strong>過度に楽観視することはできない</strong>でしょう。</p>
<p>米国目線でみると、たとえば空母に関しては、<strong>今後１０年、何の対策を打たなかったとしても、アメリカの優位はまったく変わらないという意見</strong>があります。おそらくこれはその通りでしょうし、<strong>実際には対策は打たれるため、その差は永遠に埋まらない可能性さえあります</strong>。中国もその事はよく分かっており、だから軍事力による直接的な衝突の可能性は、現時点ではきわめて低いと言われています。</p>
<p>日本が単独で中国と戦った場合には、量的な優位は覆しがたく、中国軍の方が戦力が上であると見られますが、実際には日本は米国と軍事同盟を結んでおり、この軍事同盟は非常に重い物であり、日本が侵攻を受けた場合、それは即時の米軍の参戦を意味します。そのため、単独で日本と中国の戦力を比較することにあまり意味はありません。<strong>もしも戦争が発生した場合でも、米主力艦隊が援軍に来るまでの時間を稼ぐことは自衛隊の軍事力をもってすれば十分に可能であり、潜水艦を中心とした対応で上陸は防げるというのが大方の見方</strong>となります。</p>
<p>このような状況下、現在議論しているように<strong>、GDPの2%まで軍事費を引き上げるのは、パワーバランスを保つためには正しい政策</strong>であり、逆説的にはなりますが、<strong>安易に軍事行動を起こさせない、唯一の方法</strong>となります。</p>
<p>ちなみに、核兵力は現在の戦争では使用されませんし、仮に使用した場合、それは使用した国の破滅を意味することになります。<br />
&nbsp;</p>
<h2>中最後に～ウクライナの教訓</h2>
<p><img decoding="async" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/ウクライナ-1024x684.jpg" alt="" width="920" height="615" class="aligncenter size-large wp-image-6483" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/ウクライナ-1024x684.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/ウクライナ-300x200.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/ウクライナ-768x513.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/ウクライナ-1536x1025.jpg 1536w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2022/10/ウクライナ-2048x1367.jpg 2048w" sizes="(max-width: 920px) 100vw, 920px" /></p>
<p>話をすこし変えて、昨今のロシアのウクライナ侵攻を機に、台湾も同様になるのでは、という意見が出されています。しかし、今回のロシアのウクライナ侵攻から得た教訓は、<strong>侵攻を受けた国がたとえ小国でも、そこそこの自衛能力があれば、十分に対抗ができる</strong>、という事実でした。国民全員での徹底抗戦、ゲリラ戦法を取れば、防御側が圧倒的に有利になるという<strong>ベトナム戦争の教訓</strong>を皆が思い出した瞬間でもありました。</p>
<p>ちなみに、冒頭に出てきた<strong>世界の軍事力ランキングではウクライナは22位となっていますが、台湾はその一つ上の21位となっています</strong>。台湾は、ヨーロッパや米国から武器を多数購入しており、ウクラ　イナよりも高い防衛力を持っていると考えられます。米国議会でも「<strong>ウクライナ紛争の教訓は、台湾による独自の能力開発が重要ということだ</strong>」という意見がだされてました。</p>
<p>また、ロシアから得た教訓の2つ目は、独裁体制はやはり脆いのではないか、という事です。圧倒的に勝利が出来るのであれば良いのですが、<strong>ひとたび不利になるとその権力基盤は、もともと軍事力をベースとしており、国民の心からの支持を得られていない以上、砂上の楼閣のようにもなります。</strong>中国が軍事力を背景とした軍事独裁体制の性格をもっていることはさきほど説明しましたが、共産党が戦闘でひとたび不利になれば、国内に抱える不満が一気に噴出し、これを抑えきれなくなる可能性もあります。</p>
<p>中国は国内では、チベットやウイグルなどのエスニックマイノリティを弾圧し、<strong>民主的な知識人を弾圧し、国民とも必ずしも安定的な関係を築けていません。</strong>また、台湾問題は、中国では国内問題と認識されていますが、アメリカは台湾関係法を成立させて明確に干渉する構えを見せており、台湾問題は台湾が中国を再統一できるのか、という少し前の問題認識ではなく、<strong>現在では台湾は中国から独立できるのか、というある意味チベットに近い問題となっています。</strong>また、国際関係でも、共産党は世界の大国である米国や日本と安定的な関係を築けておらず、日本の尖閣諸島を含めて、ベトナムやフィリピン、インドなどの周辺国と国境紛争も抱えて対立問題をおさえるために軍拡を勧めざるを得ません。これを、最近では「<strong>力による一方的な現状変更」</strong>と呼んだりもしますが、<strong>日本と米国は連携して、これを許さない、という姿勢を見せ続ける事が大変重要</strong>となります。力による一方的な現状変更を許さないためには、<strong>バランスオブパワーの原則で、日本が力を持つことがこそが最も重要</strong>となります。<strong>力の均衡こそが対話を続ける鍵</strong>となることを冷静に理解しておく必要があります。</p>
<p>このような状況の中、共産党は一党独裁体制という自己同一性を保とうとする限り、国内外の問題をおさえるために軍拡を勧めざるを得ません<strong>。日本と米国の軍事力のみが、中国を国際秩序の中に押しとどめ対話を続けるために必要</strong>となるため、日本の軍事力強化が大変重要になる、という客観的な事実を認識して、今回のお話しを終了したいと思います。<br />
&nbsp;</p>The post <a href="https://chinastyle.jp/chinaarmy/">中国軍弱いの？自衛隊・中国人民解放軍・米軍の軍事力を徹底比較！</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://chinastyle.jp/chinaarmy/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>歴史に学ぶ！中国と共産党政権の寿命</title>
		<link>https://chinastyle.jp/chinasfuture/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=chinasfuture</link>
					<comments>https://chinastyle.jp/chinasfuture/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[chinastyle]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Jul 2021 03:29:21 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[歴史・文化]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://chinastyle.jp/?p=6414</guid>

					<description><![CDATA[<p>&#160; 中華人民共和国は1949年に建国されたため、2019年に建国70周年を迎えました。いまや世界の先進国では珍しく、共産党一党独裁体制を維持しています。その共産党が2021年の7月1日で設立 ...</p>
The post <a href="https://chinastyle.jp/chinasfuture/">歴史に学ぶ！中国と共産党政権の寿命</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p>中華人民共和国は1949年に建国されたため、2019年に建国70周年を迎えました。いまや<span class="ymarker-s">世界の先進国では珍しく、共産党一党独裁体制を維持</span>しています。その共産党が2021年の7月1日で設立100周年を迎えました。世界中で共産党政権が崩壊する中、<span class="ymarker-s">中国共産党がいつまで続くのか</span>、世界中で注目されています。今回はその問題を考えてみたいと思います。</p>
</div></div>
<p><span class="rmarker">※今回の内容はYoutubeで動画としてもアップされています</span></p>
<p><iframe loading="lazy" title="歴史に学ぶ！中国共産党政権の寿命【2021年建党100周年】" width="920" height="518" src="https://www.youtube.com/embed/Jh8o-tyeMtI?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></p>
<h2>歴史は繰り返す</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>未来を知りたい場合は、歴史を見ればわかります<span class="ymarker-s">。歴史を見ることは古い過去の事を知るためではなく、未来を知るため</span>なのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6427" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/マルクス-1-260x300.png" alt="" width="260" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/マルクス-1-260x300.png 260w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/マルクス-1-887x1024.png 887w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/マルクス-1-768x887.png 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/マルクス-1.png 1280w" sizes="(max-width: 260px) 100vw, 260px" /></p>
<p><strong>マルクス：「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、2度目は喜劇として」</strong></p>
</div></div>
<p>&nbsp;</p>
<p><span class="ymarker-s">近代 知の巨人マルクスは歴史は形を変えて何度も同じことを繰り返すと言っています</span>。中国の歴史を見ると、中華人民共和国、というよりもこの場合は共産党の命運というべきかもしれませんが、共産党の未来について興味深い示唆を得ることができるのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>中国王朝300年説</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>皆さんは、中国王朝300年説というのをご存じでしょうか？</p>
<p>中国は夏王朝から考えて4000年とも言われる悠久の歴史を持っています。夏、殷、周の三代と呼ばれる時代は、王は象徴的な権力を持っていたものの支配地域は都市周辺に限られ、多くの諸侯が乱立しており、日本の天皇と戦国大名の関係に近いものがありました。周はあわせて700年と長期続きましたが、中国の大半を支配していた王朝とは性格が異なります。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6428" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/年表-300x74.png" alt="" width="700" height="173" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/年表-300x74.png 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/年表-1024x253.png 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/年表-768x190.png 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/年表-1536x379.png 1536w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/年表-2048x505.png 2048w" sizes="(max-width: 700px) 100vw, 700px" /></p>
<p>そのため、中国最初の統一王朝と呼ばれる秦以前と秦以降に中国を分ける考えがあります。<span class="ymarker-s">秦以降の王朝を見てみると、300年を超えて続いた王朝は存在しません。</span>前漢と後漢を足すと409年となりますが、前漢は一度完全に滅亡しており、後漢は新しく設立された王朝とされます。また、北宋と南宋も足すとわずかに300年を超えますが、これも途中で断絶しています。</p>
<p>日本やヨーロッパ、またオスマントルコなどもそうですが、中国以外の地域ではより長期の国家や王朝が続いているのですが、中国はなぜか300年という壁があり、これを超えられた王朝はありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>中国王朝崩壊のメカニズム</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>どうして300年以上続かないのか、その理由を歴史をさかのぼって詳細に見てみると、中国の王朝は一定のサイクルを経て300年以内に滅亡していることがわかります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><span class="ymarker-s">建国期</span></p>
<p>ある王朝が始まると、建国期の尚武の気風により質実剛健な運営のもと、小さな政府で戦乱により疲弊した民を休ませる政策をとります。平和が続き人口増加率が急激にプラスに転じます。</p>
<p><span class="ymarker-s">最盛期</span></p>
<p>政府は官僚や軍隊の数を増やして大きな政府となり、対外的な拡大を志向するようになります。経済や農業生産は向上し、権力者の生活は豪華になる傾向があります。</p>
<p><span class="ymarker-s">衰退期</span></p>
<p>人口が増えすぎる割には農業生産が追い付かず農民は徐々に困窮します。政治と経済が停滞し、官僚も腐敗し始めます。政府もあれこれ改革案を打ち出すがどれも成功しません。</p>
<p><span class="ymarker-s">滅亡期</span></p>
<p>農民の困窮、経済の停滞を背景として、あやしげな宗教や迷信がはびこり農民反乱が頻発するようになります。それを抑えることができず、官僚や宦官、外戚の権力争いにより、政権が内部から崩壊を始めます。周辺の異民族が力をつけて、この時期に侵攻を開始する場合も多くあります。</p>
</div></div>
<p>&nbsp;</p>
<p>このようなサイクルの繰り返しで、中国の王朝は300年以上継続する事ができずに興亡してきました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>６４王朝の歴史</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6415 size-full" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Untitled.png" alt="" width="474" height="1451" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Untitled.png 474w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Untitled-98x300.png 98w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Untitled-335x1024.png 335w" sizes="(max-width: 474px) 100vw, 474px" /></p>
<p><span class="ymarker-s">中国最初の統一王朝である秦王朝以降、中華民国まで、戦乱時代の周辺王朝まで含めると中国の王朝は64を数えます。</span>中華民国は王朝でありませんが、これも計算に入れて、<span class="ymarker-s">この64王朝の平均の存続年数を計算すると、偶然ですが、64年</span>になります。中華人民共和国は建国から70年以上経過しており、その意味ではすでに平均を超えた長期政権ということが出来ます。</p>
<p>この64王朝の中には魏晋南北朝時代や五代10国などのミニ王朝も含まれているので<span class="ymarker-s">、中国の大部分、もしくは主要部分を支配した王朝だけを選別すると、13王朝まで減少します。平均存続年数は146年となり、現在の中国の2倍程度まで一気に伸びます。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6416" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Untitled-1-300x134.png" alt="" width="700" height="312" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Untitled-1-300x134.png 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Untitled-1-1024x457.png 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Untitled-1-768x343.png 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Untitled-1.png 1062w" sizes="(max-width: 700px) 100vw, 700px" /></p>
<p>この13王朝が滅亡した原因を、ざっくりと<span class="ymarker-s">「①外部からの圧力、戦争などによる崩壊」「②農民・民衆反乱による崩壊」「③内部の宦官・官僚・外戚などの権力争い</span>」の3つに分けるとご覧のようになります。もちろん、複合的な要因が多く、一つの原因に絞れないものも多いため、ざっくりという前提で分類しています。</p>
<p>さて、このように歴史を見ると、中国の王朝の3分の2は内部腐敗に端を発して滅亡することが分かります。</p>
<p>また最盛期を過ぎた王朝の周辺で強力となった異民族からの外圧による滅亡が50％を超え、民衆による反乱が3分の1で見られます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>短命王朝の後に現れる長期王朝</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>共産党の寿命とその崩壊の要因を予測する前に、現在の中国の位置づけをすこし確認しておきたいと思います。</p>
<p>先ほど見たように、中国の主要王朝の平均寿命は146年であり、中国はまだまだ若い段階にあるように見えます。この表を見ると中国の王朝には一つの面白い傾向がある事に気づきます<span class="ymarker-s">。短命な統一王朝のあとには、長命な王朝が続くことが多い</span>と言う事です。</p>
<p>中国最初の統一王朝である秦は急激な統一政策や厳格な法律運用、万里の長城構築などのために民衆を酷使しため15年で滅びましたが、その後の漢王朝は前漢も後漢も二百年続きました。</p>
<p>久しぶりの統一王朝となった隋は、大運河建設や高句麗の遠征などの負担により反乱が発生し、わずか38年で滅びましたが、その後の唐は、世界王朝として三百年近くも続きました。</p>
<p>建国当初ユーラシア大陸に巨大なネットワークを築いた元も、権力争いによりわずか百年足らずで滅びましたが、それに続いた明と清はそれぞれ三百年近い長命な王朝となりました。</p>
<p>このような歴史サイクルを見ると、短命な統一王朝の後には、何故か長命な政権が続くことが分かります。</p>
<p>清王朝が滅びた後、<strong>中国大陸に37年間存在した中華民国を短命政権とみると、その次に現れた中華人民共和国は長期政権となる事が歴史より読み取れます。</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>中華人民共和国の現在のステージは？</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6417" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Untitled-2-300x86.png" alt="" width="700" height="201" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Untitled-2-300x86.png 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Untitled-2-768x220.png 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Untitled-2.png 951w" sizes="(max-width: 700px) 100vw, 700px" /></p>
<p>先ほど、中国王朝崩壊のメカニズムをご紹介しましたが、では現在の中華人民共和国はどのステージにあるのでしょうか？</p>
<p>中国大陸全土を掌握し、<span class="ymarker-s">比較的長期間継続した王朝を見てみると、建国から60～100年で最盛期を迎えてい</span>ることが分かります。もちろん、この最盛期の長さはまちまちで、清王朝では1735年から99年に乾隆帝が没するまで、60年にわたり繁栄が続きました。</p>
<p>こうしてみると、<span class="ymarker-s">1949年に建国した中国は、早ければ建国60年にあたる2009年から、遅くとも建国100年となる2049年に全盛期を迎え、しばらくは維持</span>することになります。2010年に名目GDPで世界第2位となり、2027年頃にアメリカを抜いてGDP世界1位となることが予測されており、これを見る限り、中国の建国期はすでに終わり、現在まさに最盛期を迎えており、しばらくはこの状態が続くと考えられます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>中国を崩壊に導くもの</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>さて、ここまでで、中国は現在最盛期を迎えていると考えられる事が分かりましたが、では現在の中国、共産党を崩壊に導くものは何でしょう？</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>過去の主要王朝を滅ぼした半分の理由を占める外圧による戦争は現在では考えにくくなっています。<span class="ymarker-s">軍事的に中国を脅かす国が出てこない、と言っているわけではなく、現代社会で中国のような大国が亡びるほどの大規模戦争が発生するとは考えにくい</span>からです。もしも発生した場合は第3次世界大戦となり、核による人類が滅亡するような事態になるかもしれません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>もっとも<span class="ymarker-s">可能性が高いのは内部腐敗による崩壊</span>であり、腐敗のまん延や、権力争いにより崩壊する可能性です。前漢や後漢、唐はその典型的な例であり、腐敗と賄賂が蔓延化し、官僚と宦官、外戚が権力争いを行い滅亡しています。元もこの理由により滅亡しています。</p>
<p><strong>実は中華人民共和国はすでに何度か、この脅威にさらされています</strong>。<strong>その最大のものは文化大革命</strong>であり、これは当時の共産党指導部であった劉少奇や鄧小平と没落しかけた毛沢東の権力争いでした。最も激しい時にはもはや内乱としか言えない状況まで悪化しています。また、この中で林彪が毛沢東の暗殺を企てたのも大きな事件の一つでした。</p>
<p>そして、最近では、<strong>中国のTOP25まで上り詰めた薄熙来が胡錦涛政権に反旗を翻し、重慶で独立王国を築こうとしたことがありました</strong>。鄧小平の改革開放路線の進化を目指す胡錦涛に対して、薄熙来は毛沢東路線への回帰を訴え、民衆を動員して革命歌を歌わせ、毛沢東の肖像画を掲げ、格差是正や平等・公平をアピールし、大変な人気を獲得しました。腹心の亡命未遂がなければ、どのようになっていたか分かりませんでした。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6429" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/薄熙来　革命歌-300x188.jpg" alt="" width="500" height="313" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/薄熙来　革命歌-300x188.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/薄熙来　革命歌.jpg 640w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>折しも、高度経済成長により格差が拡大するなか、軍隊や省庁までがビジネスを行い、賄賂や腐敗が深刻化して、社会の不満が高まっていた時期でもありました。</p>
<p>この反省を生かして、現在の習近平は、強権的な腐敗撲滅と、国家主席の権力強化を行い、そのおかげで政権は安定していると言われています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>滅亡原因の３つ目となる<strong>民衆反乱</strong>については、秦の滅亡を招いた史上初の農民反乱と呼ばれる陳勝呉広の乱や、明王朝を滅亡させた李自成の乱などが典型例となります。</p>
<p><span class="ymarker-s">さすがに現在において農民反乱が発生することはありませんが、バブル崩壊後の日本のように、経済成長が終結を迎えた後の中国で民衆の不満が高まり、民主化運動が起こらないと限りません。</span>現在、中国で政権が安定し、天安門事件のような民主化運動が起きないのは「パンとサーカス」による愚民政策が奏功しているからです。パン、すなわち経済的な繁栄により食うものに困らず、サーカス、すなわち今や世界的に競争力を持つ携帯ゲームやディズニーランド、ユニバーサルなどの娯楽が十分に与えられている状態で、民衆がこれに不満を抱いていないため、激しい民主化運動は起きていません。一方、言論と人権と自由は奪われています。</p>
<p>しかし、このパンとサーカスの供給が途絶えたとき、民衆の反乱がおこるかもしれません。中国は一人っ子政策により、現在、急激な少子高齢化といびつな男女比による結婚できない男性が社会問題化しています。現在中国は全盛期を迎えていると考えられますが、この少子高齢化により衰退期が思ったよりも早く来る可能性もあります。</p>
<p>また、民衆の反乱という意味では、中国はチベット・ウイグル・香港、そして台湾の独立問題を抱えており、これが一つでも爆発すると、全国に波及する可能性もあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>さて、ここまでの話をまとめると、現在の共産党一党独裁体制の中国は歴史を見る限り、長期政権となることが予測され、日本や欧米で期待交じりに言われるように、すぐに崩壊するとは考えられないことが分かります。<span class="ymarker-s">最低でも、主要13王朝の平均年数である146年まで、あと70年ほどは存続する可能性が高い</span>と考えられます。崩壊する時は最も可能性が高いのは内部崩壊、次に民衆反乱でしょう。</p>
<p><strong>歴史を見ると、中国は全盛期にはすべてが上手くいき、世界でもNO.1となる繁栄を築きますが、一度ほころびが生じると転落は止められず、すべてが悪い方向に回るという特徴があります。</strong></p>
<p>現在の中国は、共産党一党独裁で言論の自由はありません。しかし、<span class="ymarker-s">一党独裁ゆえに政策のスピードと実行力が高く、現在はこれが良いサイクルとなっているため、誰も文句を言いません</span>。<strong>たとえば、中国はネットでの言論規制や、リアルでの監視カメラによる超監視社会ですが、このおかげで犯罪が大幅に減少し、ものをなくしてもすぐに見つかる、というような良い面も</strong>あります。そのため、民衆はおおむね反対をしていません。しかし、AIカメラによる顔認識で、個人の行動は3秒で追跡されると言います。<span class="ymarker-s">これが悪いサイクルに入ったときにどうなるか、そこが問題</span>なのです。</p>
<p>以上、歴史から学ぶ共産党の寿命でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div id="rinkerid6420" class="yyi-rinker-contents  yyi-rinker-tagid-114 yyi-rinker-tagid-113 yyi-rinker-postid-6420 yyi-rinker-img-m yyi-rinker-catid-5 ">
	<div class="yyi-rinker-box">
		<div class="yyi-rinker-image">
							<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4837918220?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_img 6420 マンガ この一冊で中国の歴史がわかる!" data-vars-click-id="amazon_img 6420 マンガ この一冊で中国の歴史がわかる!"><img decoding="async" src="https://m.media-amazon.com/images/I/61DBVCEXN3L._SL160_.jpg"  width="109" height="160" class="yyi-rinker-main-img" style="border: none;" loading="lazy"></a>					</div>
		<div class="yyi-rinker-info">
			<div class="yyi-rinker-title">
									<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4837918220?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking" data-click-tracking="amazon_title 6420 マンガ この一冊で中国の歴史がわかる!" data-vars-amp-click-id="amazon_title 6420 マンガ この一冊で中国の歴史がわかる!" >マンガ この一冊で中国の歴史がわかる!</a>							</div>
			<div class="yyi-rinker-detail">
							<div class="credit-box">created by&nbsp;<a href="https://oyakosodate.com/rinker/" rel="nofollow noopener" target="_blank" >Rinker</a></div>
										<div class="price-box">
							</div>
						</div>
						<ul class="yyi-rinker-links">
																                    <li class="amazonlink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4837918220?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon 6420 マンガ この一冊で中国の歴史がわかる!"  data-vars-amp-click-id="amazon 6420 マンガ この一冊で中国の歴史がわかる!">Amazon</a>					</li>
													<li class="rakutenlink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616&amp;url=https%3A%2F%2Fsearch.rakuten.co.jp%2Fsearch%2Fmall%2F%25E3%2583%259E%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25AC%2B%25E3%2581%2593%25E3%2581%25AE%25E4%25B8%2580%25E5%2586%258A%25E3%2581%25A7%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E3%2581%25AE%25E6%25AD%25B4%25E5%258F%25B2%25E3%2581%258C%25E3%2582%258F%25E3%2581%258B%25E3%2582%258B%2521%2F%3Ff%3D1%26grp%3Dproduct" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="rakuten 6420 マンガ この一冊で中国の歴史がわかる!"  data-vars-amp-click-id="rakuten 6420 マンガ この一冊で中国の歴史がわかる!">楽天市場</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
													<li class="yahoolink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502&amp;url=https%3A%2F%2Fshopping.yahoo.co.jp%2Fsearch%3Fp%3D%25E3%2583%259E%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25AC%2B%25E3%2581%2593%25E3%2581%25AE%25E4%25B8%2580%25E5%2586%258A%25E3%2581%25A7%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E3%2581%25AE%25E6%25AD%25B4%25E5%258F%25B2%25E3%2581%258C%25E3%2582%258F%25E3%2581%258B%25E3%2582%258B%2521" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="yahoo 6420 マンガ この一冊で中国の歴史がわかる!"  data-vars-amp-click-id="yahoo 6420 マンガ この一冊で中国の歴史がわかる!">Yahooショッピング</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
				                											</ul>
					</div>
	</div>
</div>

<div id="rinkerid6421" class="yyi-rinker-contents  yyi-rinker-tagid-114 yyi-rinker-tagid-113 yyi-rinker-postid-6421 yyi-rinker-img-m yyi-rinker-catid-5 ">
	<div class="yyi-rinker-box">
		<div class="yyi-rinker-image">
							<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/408248907X?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_img 6421 集英社 学習まんが 中国の歴史 全11巻セット (学習漫画 中国の歴史)" data-vars-click-id="amazon_img 6421 集英社 学習まんが 中国の歴史 全11巻セット (学習漫画 中国の歴史)"><img decoding="async" src="https://m.media-amazon.com/images/I/51pvb2ONfRL._SL160_.jpg"  width="160" height="103" class="yyi-rinker-main-img" style="border: none;" loading="lazy"></a>					</div>
		<div class="yyi-rinker-info">
			<div class="yyi-rinker-title">
									<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/408248907X?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking" data-click-tracking="amazon_title 6421 集英社 学習まんが 中国の歴史 全11巻セット (学習漫画 中国の歴史)" data-vars-amp-click-id="amazon_title 6421 集英社 学習まんが 中国の歴史 全11巻セット (学習漫画 中国の歴史)" >集英社 学習まんが 中国の歴史 全11巻セット (学習漫画 中国の歴史)</a>							</div>
			<div class="yyi-rinker-detail">
							<div class="credit-box">created by&nbsp;<a href="https://oyakosodate.com/rinker/" rel="nofollow noopener" target="_blank" >Rinker</a></div>
										<div class="price-box">
							</div>
						</div>
						<ul class="yyi-rinker-links">
																                    <li class="amazonlink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/408248907X?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon 6421 集英社 学習まんが 中国の歴史 全11巻セット (学習漫画 中国の歴史)"  data-vars-amp-click-id="amazon 6421 集英社 学習まんが 中国の歴史 全11巻セット (学習漫画 中国の歴史)">Amazon</a>					</li>
													<li class="rakutenlink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616&amp;url=https%3A%2F%2Fsearch.rakuten.co.jp%2Fsearch%2Fmall%2F%25E9%259B%2586%25E8%258B%25B1%25E7%25A4%25BE%2B%25E5%25AD%25A6%25E7%25BF%2592%25E3%2581%25BE%25E3%2582%2593%25E3%2581%258C%2B%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E3%2581%25AE%25E6%25AD%25B4%25E5%258F%25B2%2F%3Ff%3D1%26grp%3Dproduct" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="rakuten 6421 集英社 学習まんが 中国の歴史 全11巻セット (学習漫画 中国の歴史)"  data-vars-amp-click-id="rakuten 6421 集英社 学習まんが 中国の歴史 全11巻セット (学習漫画 中国の歴史)">楽天市場</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
													<li class="yahoolink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502&amp;url=https%3A%2F%2Fshopping.yahoo.co.jp%2Fsearch%3Fp%3D%25E9%259B%2586%25E8%258B%25B1%25E7%25A4%25BE%2B%25E5%25AD%25A6%25E7%25BF%2592%25E3%2581%25BE%25E3%2582%2593%25E3%2581%258C%2B%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E3%2581%25AE%25E6%25AD%25B4%25E5%258F%25B2" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="yahoo 6421 集英社 学習まんが 中国の歴史 全11巻セット (学習漫画 中国の歴史)"  data-vars-amp-click-id="yahoo 6421 集英社 学習まんが 中国の歴史 全11巻セット (学習漫画 中国の歴史)">Yahooショッピング</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
				                											</ul>
					</div>
	</div>
</div>

<div id="rinkerid6422" class="yyi-rinker-contents  yyi-rinker-tagid-114 yyi-rinker-postid-6422 yyi-rinker-img-m yyi-rinker-catid-5 ">
	<div class="yyi-rinker-box">
		<div class="yyi-rinker-image">
							<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4004318041?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_img 6422 中華の成立: 唐代まで (岩波新書)" data-vars-click-id="amazon_img 6422 中華の成立: 唐代まで (岩波新書)"><img decoding="async" src="https://m.media-amazon.com/images/I/31p74NMAp2L._SL160_.jpg"  width="98" height="160" class="yyi-rinker-main-img" style="border: none;" loading="lazy"></a>					</div>
		<div class="yyi-rinker-info">
			<div class="yyi-rinker-title">
									<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4004318041?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking" data-click-tracking="amazon_title 6422 中華の成立: 唐代まで (岩波新書)" data-vars-amp-click-id="amazon_title 6422 中華の成立: 唐代まで (岩波新書)" >中華の成立: 唐代まで (岩波新書)</a>							</div>
			<div class="yyi-rinker-detail">
							<div class="credit-box">created by&nbsp;<a href="https://oyakosodate.com/rinker/" rel="nofollow noopener" target="_blank" >Rinker</a></div>
										<div class="brand">岩波書店</div>
							<div class="price-box">
							</div>
						</div>
						<ul class="yyi-rinker-links">
																                    <li class="amazonlink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4004318041?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon 6422 中華の成立: 唐代まで (岩波新書)"  data-vars-amp-click-id="amazon 6422 中華の成立: 唐代まで (岩波新書)">Amazon</a>					</li>
													<li class="rakutenlink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616&amp;url=https%3A%2F%2Fsearch.rakuten.co.jp%2Fsearch%2Fmall%2F%25E4%25B8%25AD%25E8%258F%25AF%25E3%2581%25AE%25E6%2588%2590%25E7%25AB%258B%253A%2B%25E5%2594%2590%25E4%25BB%25A3%25E3%2581%25BE%25E3%2581%25A7%2F%3Ff%3D1%26grp%3Dproduct" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="rakuten 6422 中華の成立: 唐代まで (岩波新書)"  data-vars-amp-click-id="rakuten 6422 中華の成立: 唐代まで (岩波新書)">楽天市場</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
													<li class="yahoolink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502&amp;url=https%3A%2F%2Fshopping.yahoo.co.jp%2Fsearch%3Fp%3D%25E4%25B8%25AD%25E8%258F%25AF%25E3%2581%25AE%25E6%2588%2590%25E7%25AB%258B%253A%2B%25E5%2594%2590%25E4%25BB%25A3%25E3%2581%25BE%25E3%2581%25A7" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="yahoo 6422 中華の成立: 唐代まで (岩波新書)"  data-vars-amp-click-id="yahoo 6422 中華の成立: 唐代まで (岩波新書)">Yahooショッピング</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
				                											</ul>
					</div>
	</div>
</div>

<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>The post <a href="https://chinastyle.jp/chinasfuture/">歴史に学ぶ！中国と共産党政権の寿命</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://chinastyle.jp/chinasfuture/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>中国共産党設立物語（下）悲劇の結末【2021年建党100周年】</title>
		<link>https://chinastyle.jp/1921kyousantou03/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=1921kyousantou03</link>
					<comments>https://chinastyle.jp/1921kyousantou03/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[chinastyle]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 30 Jun 2021 08:32:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[中国生活]]></category>
		<category><![CDATA[歴史・文化]]></category>
		<category><![CDATA[上海]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://chinastyle.jp/?p=6366</guid>

					<description><![CDATA[<p>共産党設立物語の最終回となる今回は、共産党設立に関わった人たちのその後を見てみたいと思います。中国共産党第１回全国代表大会に参加した１３人とそれに関わった人たちは、まるで呪われているかのように、そのほ ...</p>
The post <a href="https://chinastyle.jp/1921kyousantou03/">中国共産党設立物語（下）悲劇の結末【2021年建党100周年】</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p>共産党設立物語の最終回となる今回は、共産党設立に関わった人たちのその後を見てみたいと思います。中国共産党第１回全国代表大会に参加した１３人とそれに関わった人たちは、まるで呪われているかのように、そのほとんどが悲劇的な末路を迎えます。 中華人民共和国設立後まで生き残り「中国共産党員」として名誉を保ち続けたのは毛沢東と董必武の二人のみでした。</p>
</div></div>
<p><span class="rmarker">※今回の内容はYoutubeで動画としてもアップされています</span></p>
<p><iframe loading="lazy" title="中国共産党設立物語（下）悲劇の結末【2021年建党100周年】" width="920" height="518" src="https://www.youtube.com/embed/WU_7lqs8Px8?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></p>
<h2>李大釗の悲劇</h2>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6335" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李大釗-210x300.jpg" alt="" width="210" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李大釗-210x300.jpg 210w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李大釗.jpg 455w" sizes="(max-width: 210px) 100vw, 210px" /></p>
<p>1921年に中国共産党が設立されると、1924年にはコミンテルンの指示により共産党と孫文の国民党の国共合作が成立します。しかし、1925年に孫文が亡くなると、その後継者である蒋介石が1927年に上海クーデターを起こして共産党員を弾圧し、国共内戦に突入します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>蒋介石が北伐を行っていた1927年に北京を支配していたのが奉天軍閥の張作霖であり、彼は共産党の背後にいるソビエトの影響を恐れ、国交断絶を覚悟のうえで、ソ連大使館に軍隊を派遣し、大使館に隠れていた多くの共産党員と武器・弾薬を押収します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>李大釗は、北京政府が共産党弾圧を開始した1925年以降、ソビエト大使館に避難していましが、この時、<span class="ymarker-s">張作霖により逮捕されます。多くの人から助命の嘆願が出されましたが、彼は絞首刑となり、38歳という若さで無くなりました</span>。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>南の陳独秀、北の李大釗と並び称された思想リーダーの片翼がなくなり、中国共産党は大きな支柱を失うことになりました。李大釗はその功績と、なによりも革命のために命をささげたことにより、共産党では現在でも語り継がれる重要人物となっています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>陳独秀のその後</h2>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6334" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳独秀-263x300.jpg" alt="" width="263" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳独秀-263x300.jpg 263w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳独秀.jpg 500w" sizes="(max-width: 263px) 100vw, 263px" /></p>
<p>一方、初代書記となった陳独秀は、李大釗とは異なり数奇な運命を贈ることになります。国民党との協力には否定的であったものの、コミンテルンからの指示を受けしぶしぶ1924年の国共合作に同意しますが、1927年に上海クーデターが発生すると、ソビエトは陳独秀にすべての責任を押し付け、書記を辞任させます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その後、<span class="ymarker-s">陳独秀は、スターリンと思想的に争っていたトロツキーを支持するトロツキストに転向し、1929年には中国共産党から除名</span>されることになります。ちなみに、トロツキーはスターリンとの権力闘争に破れて国外に逃亡し、メキシコでスターリンが放った暗殺者により殺害されました。スターリンはロシアの社会主義革命はロシアの努力で維持できるとしていたのに対して、トロツキーは世界革命を訴えていました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6408" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/トロツキー-1-223x300.png" alt="" width="223" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/トロツキー-1-223x300.png 223w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/トロツキー-1.png 708w" sizes="(max-width: 223px) 100vw, 223px" /></p>
<p>トロツキー「<span class="ymarker-s">永続革命論</span>」　　：ロシア革命の成果を維持するためには世界革命が必要である</p>
<p>スターリン「<span class="ymarker-s">一国社会主義論</span>」：ロシア革命の成果はロシア一国の革命努力で維持できる</p>
</div></div>
<p>&nbsp;</p>
<p>1931年に中国トロツキストの統一組織である<strong>中国共産主義同盟を結成してその総書記</strong>となりますが、国民党と共産党の両方を敵に回した中国のトロツキズム運動は瞬く間に壊滅し、<strong>1932年に蒋介石の国民党によって逮捕されました。陳独秀は5年間服役</strong>し、出所後は重慶郊外に引きこもり、共産党や共産主義との関わりを断ち、貧しい生活を送ったのち1942年に63歳で病死しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>彼には「<span class="ymarker-s">右翼日和見主義者」「漢奸」「日本のスパイ」「トロツキスト」「反革命主義者</span>」など様々なマイナスのレッテルがはられましたが、2000年以降、彼に対する評価は急速に見直され、現在では名誉は回復されつつあります。彼は、<span class="ymarker-s">雑誌「新青年」を創刊し、五四運動を主導し、共産党の初代書記となったという3つの功績</span>を持ち、本来であれば中国共産党において間違いなく毛沢東をもしのぐ重要な人物ですが、中国国内ではまだ正統な評価を受けているとは言い難い状況です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>最近、中国で放映された共産党100周年を記念するテレビドラマで、彼が「<span class="ymarker-s">著名な革命家</span>」として紹介されて、主役級の扱いをうけており、これを見て彼の評価が高まっていることを実感しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>設立13メンバーの末路</h2>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6397" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/13人の末路-300x153.png" alt="" width="500" height="256" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/13人の末路-300x153.png 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/13人の末路-1024x523.png 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/13人の末路-768x392.png 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/13人の末路.png 1043w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>次に、設立大会に参加した13人のその後の運命を見ていきたいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>中国共産党は設立後も内部闘争に加えて、蒋介石が1927年に上海クーデターを国共合作を終結させてからは「<strong>千人間違って殺しても、一人の共産党員も逃がすな</strong>」という厳しい指示を出したため、多くの共産党員や社会主義者が殺害されています。ちなみに、日本軍により殺害されたものが居ないあたりを考えると、やはり共産党は日本との戦闘を避けて、国民党に抗日戦争を任せていた事がうかがい知れます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まず最初に、<span class="ymarker-s">革命の中で命を落とし、その後も高く評価されている人たち</span>を紹介します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>李漢俊(りかんしゅん)</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6375" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李漢俊-292x300.jpg" alt="" width="292" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李漢俊-292x300.jpg 292w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李漢俊-768x790.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李漢俊.jpg 960w" sizes="(max-width: 292px) 100vw, 292px" /></p>
<p>李漢俊は共産党設立の中心的なメンバーでしたが、その後、武漢で行った大規模ストライキが失敗し、北京に移っていた兄のもとに身を隠しました。そこで北京市政府で臨時の仕事をしている際に、思想の違いにより共産党を離党することになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その後、武漢に戻り国民政府の要職に就きましたが、彼は中国共産党と国民党の間を取り持とうとしていたようです。1927年8月1日に共産党による南昌蜂起が発生すると、<strong>牢屋に捕らえられていた共産党員が虐殺されることを防ぐため釈放するなど支援を行いました</strong>。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その後、鎮圧に訪れた国民党軍に対して学生たちと抵抗運動を行い、その混乱のなかで逮捕され処刑されました。このような経緯もあり、彼は共産党を離党しましたが、死後も高い評価を受けています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>王尽美（おうじんび）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6392" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/王尽美3-248x300.jpg" alt="" width="248" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/王尽美3-248x300.jpg 248w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/王尽美3-768x929.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/王尽美3.jpg 800w" sizes="(max-width: 248px) 100vw, 248px" /></p>
<p>済南代表であった王尽美は労働運動を先導しましたが革命運動の中で持病の結核が悪化して若くして亡くなります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>鄧恩明（とうおんめい）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6390" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/鄧恩明３.jpg" alt="" width="225" height="275" /></p>
<p>同じく済南代表であった鄧恩明は、革命運動の中、密告により国民党政府に逮捕されて、これまた30歳という若さで殺害されることになりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>陳潭秋（ちんたんしゅう）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6381" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳潭秋-1.png" alt="" width="191" height="242" /></p>
<p>武漢代表であった陳潭秋は、日中戦争の混乱の中で、新疆軍閥により逮捕され、極秘裏に処刑されます。彼の死は極秘にされ、死後も1945年に、本人不在のまま共産党中央委員に選任されました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>何叔衡（かしゅくこう）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6379" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/何叔衡-245x300.jpg" alt="" width="245" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/何叔衡-245x300.jpg 245w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/何叔衡.jpg 489w" sizes="(max-width: 245px) 100vw, 245px" /></p>
<p>毛沢東と同じ長沙代表であった何叔衡は、ゲリラ戦を展開しましたが、福建省で国民政府軍との戦いの中で亡くなっています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span class="ymarker-s">特に、王尽美、鄧恩明、陳潭秋、何叔衡の4人は共産党員として革命運動の中で犠牲となったため「革命烈士」として国民的英雄とされています。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>次に、<span class="ymarker-s">共産党を離党し、漢奸として亡くなった人たち</span>のグループです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>周佛海（しゅうぶつかい）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6398" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/周佛海2-1-272x300.png" alt="" width="272" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/周佛海2-1-272x300.png 272w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/周佛海2-1.png 365w" sizes="(max-width: 272px) 100vw, 272px" /></p>
<p>日本代表であった周佛海はその後京都大学を卒業し、1924年の国共合作にタイミングを合わせて共産党を離党し、国民党に加入しました。国民党でとんとん拍子に出世し、その後、<span class="ymarker-s">汪兆銘政権に参加して、知日派として行政院副院長、財政部部長、上海市市長などをの要職を歴任</span>しましたが、戦後、漢奸として逮捕され、死刑判決を受けます。後に無期懲役となりましたが、獄中で心臓病のために死亡しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>陳公博（ちんこうはく）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6384" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳公博-261x300.jpg" alt="" width="261" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳公博-261x300.jpg 261w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳公博.jpg 522w" sizes="(max-width: 261px) 100vw, 261px" /></p>
<p>広東代表であった陳公博は、共産党からソ連へ留学せよとの命令をうけて、気が進まず共産党を離党したと言います。国民党政府から留学資金をもらい、コロンビア大学に留学し、帰国後は国民党中央執行委員、北伐軍総司令部政務局局長などの要職に就任しています。その後、<span class="ymarker-s">汪兆銘政権に参加し、汪兆銘が名古屋で病死した後、南京国民政府の代理主席としてトップとなりました。</span>戦後は日本へ亡命するもGHQにより中国に引き渡され、漢奸として処刑されました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>奇しくも、共産党設立に参加したこの二人が、中国では漢奸として嫌われる汪兆銘の南京政府のビッグ3（汪兆銘・陳公博・周仏海）となったのは運命のいたずらのように思えます。東条英機が1943年に南京を訪問した際に、この3人が一緒に写っている動画が残されています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>次に、<span class="ymarker-s">共産党を離党し、新中国建国まで生きのびたものの、その後亡くなった人たち</span>です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>李達（りたつ）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6376" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李達.jpg" alt="" width="200" height="276" /></p>
<p>上海代表であった李達は、1923年には陳独秀と対立して離党します。離党後は武漢大学の教授に就任し教育畑で生きることになります。1949年に中華人民共和国が成立すると復党を果たして、武漢大学校長などの要職を歴任し、多くの名著を執筆し、研究者・教育者として全国に名を知られるようになります。しかし、<strong>1966年から文化大革命が始まると、知識人として真っ先にやり玉にあげられて迫害を受け、持病の糖尿病が悪化し、大量吐血して亡くなりました</strong>。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>包恵僧（ほうけいそう）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6389" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/包恵僧３-211x300.jpg" alt="" width="211" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/包恵僧３-211x300.jpg 211w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/包恵僧３.jpg 250w" sizes="(max-width: 211px) 100vw, 211px" /></p>
<p>広東代表の包恵僧も早い段階で共産党を離党していますが、文化大革命時には周恩来に計らいにより大過なくやり過ごし、天寿を全うしています。彼は不遇のうちに死亡した陳独秀と特に仲が良く、陳独秀が死ぬ間際までその交際が続いていたと言います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>文革時に彼の娘が紅衛兵となり、当時、共産党を離党して反動者と言われていた陳独秀の手紙を100通あまり焼き捨てるという事件が発生</strong>しています。陳独秀の手記はあまり残っていなかったため、歴史的価値が非常に高かったのですが、この時、共産党設立の初期の歴史を知る重要な資料を失ってしまうことになりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>張国燾（ちょう こくとう）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6382" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Zhang_Guotao-216x300.jpg" alt="" width="216" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Zhang_Guotao-216x300.jpg 216w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Zhang_Guotao.jpg 400w" sizes="(max-width: 216px) 100vw, 216px" /></p>
<p>北京代表であった<span class="ymarker-s">張国燾はことあるごとに毛沢東と対立</span>したようで、長征の際にも、延安にむかった毛沢東と袂を分かって、西に向かい四川省西部とチベット東部のあたりに第2中央という根拠地を作っています。しかし、国民党に大敗して2万の軍が壊滅し、延安に逃げると毛沢東から冷遇され国民党に移ることになります。戦後、<strong>国民党と一緒に台湾に逃げ、香港に移住するも、文革の時代に共産党が香港に侵攻するという噂が流れるとカナダに亡命し、トロントの老人ホームで死亡</strong>したと言います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>劉仁静（りゅうじんせい）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6383" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/劉仁静-209x300.jpg" alt="" width="209" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/劉仁静-209x300.jpg 209w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/劉仁静.jpg 210w" sizes="(max-width: 209px) 100vw, 209px" /></p>
<p>もう一人の北京代表であった劉仁静も陳独秀と仲が良く、スターリンが上海クーデターの責任を書記であった陳独秀に擦り付けるとこれに反発し、<strong>トロツキストに転向し、それがもとで共産党を除名</strong>されました。その後は目立たぬように暮らしていましたが、文革が始まるとトロツキストとして糾弾されて、11年間も投獄されるという辛酸をなめています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>董必武（とうひつぶ）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6399" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/董必武2-1.png" alt="" width="200" height="241" /></p>
<p>毛沢東のその後は言うに及ばないので、もう一人の成功者の董必武について説明しておくと、彼は温厚な人柄で知られ、取り立てて敵対する相手もいなかったと言われています。上海でマルクス主義の教えを乞うた李漢俊については特に思い入れがあったようで、彼が武漢で亡くなると、遺族の生活を生涯にわたって援助、気配りしたと言われています。中華人民共和国が成立したのちも、機会があるたびに李漢俊のことを語りほめたたえています。ちなみに、<span class="ymarker-s">文革で劉少奇が失脚すると、国家副主席としてその職務を代行</span>しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>以上、3回にわたり、中国共産党設立について詳細に見てきました。2021年は共産党設立100周年ということで、共産党設立の歴史などが改めて注目されています。共産党設立の第1回全国代表大会は伝説の会議となり、多分に脚色される傾向がありますが、皆さんには史実は史実として正しく知り、それをどう評価すべきか、ぜひ考えるきっかけとしていただければ大変うれしく思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div id="rinkerid6357" class="yyi-rinker-contents  yyi-rinker-tagid-114 yyi-rinker-postid-6357 yyi-rinker-img-m yyi-rinker-catid-8 yyi-rinker-catid-5 ">
	<div class="yyi-rinker-box">
		<div class="yyi-rinker-image">
							<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00B3Q36VA?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_img 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）" data-vars-click-id="amazon_img 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"><img decoding="async" src="https://m.media-amazon.com/images/I/41wEbrVJGrL._SL160_.jpg"  width="97" height="160" class="yyi-rinker-main-img" style="border: none;" loading="lazy"></a>					</div>
		<div class="yyi-rinker-info">
			<div class="yyi-rinker-title">
									<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00B3Q36VA?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking" data-click-tracking="amazon_title 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）" data-vars-amp-click-id="amazon_title 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）" >中国共産党を作った13人（新潮新書）</a>							</div>
			<div class="yyi-rinker-detail">
							<div class="credit-box">created by&nbsp;<a href="https://oyakosodate.com/rinker/" rel="nofollow noopener" target="_blank" >Rinker</a></div>
										<div class="price-box">
							</div>
						</div>
						<ul class="yyi-rinker-links">
																	<li class="amazonkindlelink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00B3Q36VA?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_kindle 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"  data-vars-amp-click-id="amazon_kindle 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）">Kindle</a>					</li>
								                    <li class="amazonlink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00B3Q36VA?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"  data-vars-amp-click-id="amazon 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）">Amazon</a>					</li>
													<li class="rakutenlink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616&amp;url=https%3A%2F%2Fsearch.rakuten.co.jp%2Fsearch%2Fmall%2F%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E5%2585%25B1%25E7%2594%25A3%25E5%2585%259A%25E3%2582%2592%25E4%25BD%259C%25E3%2581%25A3%25E3%2581%259F13%25E4%25BA%25BA%2F%3Ff%3D1%26grp%3Dproduct" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="rakuten 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"  data-vars-amp-click-id="rakuten 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）">楽天市場</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
													<li class="yahoolink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502&amp;url=https%3A%2F%2Fshopping.yahoo.co.jp%2Fsearch%3Fp%3D%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E5%2585%25B1%25E7%2594%25A3%25E5%2585%259A%25E3%2582%2592%25E4%25BD%259C%25E3%2581%25A3%25E3%2581%259F13%25E4%25BA%25BA" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="yahoo 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"  data-vars-amp-click-id="yahoo 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）">Yahooショッピング</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
				                											</ul>
					</div>
	</div>
</div>

<div id="rinkerid6358" class="yyi-rinker-contents  yyi-rinker-tagid-114 yyi-rinker-postid-6358 yyi-rinker-img-m yyi-rinker-catid-8 yyi-rinker-catid-5 ">
	<div class="yyi-rinker-box">
		<div class="yyi-rinker-image">
							<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/448001733X?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_img 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)" data-vars-click-id="amazon_img 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)"><img decoding="async" src="https://m.media-amazon.com/images/I/41ABB43APUS._SL160_.jpg"  width="110" height="160" class="yyi-rinker-main-img" style="border: none;" loading="lazy"></a>					</div>
		<div class="yyi-rinker-info">
			<div class="yyi-rinker-title">
									<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/448001733X?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking" data-click-tracking="amazon_title 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)" data-vars-amp-click-id="amazon_title 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)" >中国共産党、その百年 (筑摩選書)</a>							</div>
			<div class="yyi-rinker-detail">
							<div class="credit-box">created by&nbsp;<a href="https://oyakosodate.com/rinker/" rel="nofollow noopener" target="_blank" >Rinker</a></div>
										<div class="price-box">
							</div>
						</div>
						<ul class="yyi-rinker-links">
																                    <li class="amazonlink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/448001733X?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)"  data-vars-amp-click-id="amazon 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)">Amazon</a>					</li>
													<li class="rakutenlink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616&amp;url=https%3A%2F%2Fsearch.rakuten.co.jp%2Fsearch%2Fmall%2F%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E5%2585%25B1%25E7%2594%25A3%25E5%2585%259A%25E3%2580%2581%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25E7%2599%25BE%25E5%25B9%25B4%2F%3Ff%3D1%26grp%3Dproduct" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="rakuten 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)"  data-vars-amp-click-id="rakuten 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)">楽天市場</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
													<li class="yahoolink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502&amp;url=https%3A%2F%2Fshopping.yahoo.co.jp%2Fsearch%3Fp%3D%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E5%2585%25B1%25E7%2594%25A3%25E5%2585%259A%25E3%2580%2581%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25E7%2599%25BE%25E5%25B9%25B4" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="yahoo 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)"  data-vars-amp-click-id="yahoo 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)">Yahooショッピング</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
				                											</ul>
					</div>
	</div>
</div>

<div id="rinkerid6359" class="yyi-rinker-contents  yyi-rinker-tagid-114 yyi-rinker-postid-6359 yyi-rinker-img-m yyi-rinker-catid-8 yyi-rinker-catid-5 ">
	<div class="yyi-rinker-box">
		<div class="yyi-rinker-image">
							<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4408612235?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_img 6359 劇画毛沢東伝" data-vars-click-id="amazon_img 6359 劇画毛沢東伝"><img decoding="async" src="https://m.media-amazon.com/images/I/414WZYZ3VGL._SL160_.jpg"  width="113" height="160" class="yyi-rinker-main-img" style="border: none;" loading="lazy"></a>					</div>
		<div class="yyi-rinker-info">
			<div class="yyi-rinker-title">
									<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4408612235?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking" data-click-tracking="amazon_title 6359 劇画毛沢東伝" data-vars-amp-click-id="amazon_title 6359 劇画毛沢東伝" >劇画毛沢東伝</a>							</div>
			<div class="yyi-rinker-detail">
							<div class="credit-box">created by&nbsp;<a href="https://oyakosodate.com/rinker/" rel="nofollow noopener" target="_blank" >Rinker</a></div>
										<div class="price-box">
							</div>
						</div>
						<ul class="yyi-rinker-links">
																                    <li class="amazonlink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4408612235?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon 6359 劇画毛沢東伝"  data-vars-amp-click-id="amazon 6359 劇画毛沢東伝">Amazon</a>					</li>
													<li class="rakutenlink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616&amp;url=https%3A%2F%2Fsearch.rakuten.co.jp%2Fsearch%2Fmall%2F%25E5%258A%2587%25E7%2594%25BB%25E6%25AF%259B%25E6%25B2%25A2%25E6%259D%25B1%25E4%25BC%259D%2F%3Ff%3D1%26grp%3Dproduct" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="rakuten 6359 劇画毛沢東伝"  data-vars-amp-click-id="rakuten 6359 劇画毛沢東伝">楽天市場</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
													<li class="yahoolink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502&amp;url=https%3A%2F%2Fshopping.yahoo.co.jp%2Fsearch%3Fp%3D%25E5%258A%2587%25E7%2594%25BB%25E6%25AF%259B%25E6%25B2%25A2%25E6%259D%25B1%25E4%25BC%259D" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="yahoo 6359 劇画毛沢東伝"  data-vars-amp-click-id="yahoo 6359 劇画毛沢東伝">Yahooショッピング</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
				                											</ul>
					</div>
	</div>
</div>

<p>&nbsp;</p>
<div><strong>＜前の記事はこちら</strong>＞</div>
<div>			<a href="https://chinastyle.jp/1921yousantou02/" class="st-cardlink">
			<div class="kanren st-cardbox">
								<dl class="clearfix">
					<dt class="st-card-img">
															<img decoding="async" width="150" height="150" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/サムネ-150x150.jpg" class="attachment-st_thumb150 size-st_thumb150 wp-post-image" alt="" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/サムネ-150x150.jpg 150w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/サムネ-60x60.jpg 60w" sizes="(max-width: 150px) 100vw, 150px" />												</dt>
					<dd>
													<h5 class="st-cardbox-t">中国共産党設立物語（中）思想的リーダーと設立に参加した13人【2021年建党100周年】</h5>
						
													<div class="st-card-excerpt smanone">
								<p>中国共産党は党員9200万人を抱え、2021年7月に設立100周年を迎えます。世界最大の政党と言われる事がありますが、現在ではこれは間違いで、インド人民党が中国共産党を抜いて党員1億人以上で世界最大の &#8230; </p>
							</div>
																			<p class="cardbox-more">続きを見る</p>
											</dd>
				</dl>
			</div>
			</a>
			</div>The post <a href="https://chinastyle.jp/1921kyousantou03/">中国共産党設立物語（下）悲劇の結末【2021年建党100周年】</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://chinastyle.jp/1921kyousantou03/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>中国共産党設立物語（中）思想的リーダーと設立に参加した13人【2021年建党100周年】</title>
		<link>https://chinastyle.jp/1921yousantou02/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=1921yousantou02</link>
					<comments>https://chinastyle.jp/1921yousantou02/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[chinastyle]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 29 Jun 2021 08:49:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[中国生活]]></category>
		<category><![CDATA[歴史・文化]]></category>
		<category><![CDATA[上海]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://chinastyle.jp/?p=6361</guid>

					<description><![CDATA[<p>中国共産党は党員9200万人を抱え、2021年7月に設立100周年を迎えます。世界最大の政党と言われる事がありますが、現在ではこれは間違いで、インド人民党が中国共産党を抜いて党員1億人以上で世界最大の ...</p>
The post <a href="https://chinastyle.jp/1921yousantou02/">中国共産党設立物語（中）思想的リーダーと設立に参加した13人【2021年建党100周年】</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p>中国共産党は党員9200万人を抱え、2021年7月に設立100周年を迎えます。世界最大の政党と言われる事がありますが、現在ではこれは間違いで、<span class="ymarker-s"><strong>インド人民党が中国共産党を抜いて党員1億人以上で世界最大の政党となり、中国共産党は党員数世界2位の政党</strong></span>となっています。今回は思想的リーダーと設立に参加した13人の詳細を見てみたいと思います。</p>
</div></div>
<p><span class="rmarker">※今回の内容はYoutubeで動画としてもアップされています</span></p>
<p><iframe loading="lazy" title="中国共産党設立物語（中）思想リーダーと設立の13人【2021年建党100周年】" width="920" height="518" src="https://www.youtube.com/embed/rrTtBUjHWSo?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></p>
<h2>設立時の共産党</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一回全国代表大会に参加したメンバーは、それぞれの地域の共産主義グループを代表する人たちでした。彼らはプロレタリアート独裁を議論しましたが、自分たちは基本的にはエリートの集まりで、まだまだ学生グループに毛が生えた程度の組織でした。</p>
<p><span class="ymarker-s">設立時の党員は58人</span>とされており、近年、その名前が明らかになりつつありますが、全員の名前が明確に示された名簿が残されていたわけではないため、本当に58人いたのかも現在となっては確認方法がありません。周恩来らはフランスに留学中で、外国で入党しています。</p>
<p><strong>結成時に上海に集まった党員は13人でほぼ間違いありませんが、ロシアで発見された報告記録では12人とされており、どうも誰かが忘れられていたようです</strong>。</p>
<p>会議が急いで開催されたため思想的リーダーの2人<span class="ymarker-s">、陳独秀と李大釗は多忙により出席できないという奇妙な形で会議は開催</span>されました。初代の総書記には陳独秀が欠席したまま選ばれています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>陳独秀の物語</h2>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6334" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳独秀-263x300.jpg" alt="" width="263" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳独秀-263x300.jpg 263w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳独秀.jpg 500w" sizes="(max-width: 263px) 100vw, 263px" /></p>
<p style="text-align: left;">中国共産党の初代書記として有名<span class="ymarker-s">な陳独秀は特に日本通で、合計5度日本に渡っています</span>。幼いころに厳格な祖父に育てられ、科挙にも合格し、康有為、梁啓超らが唱えた「変法自強運動」に熱中し、日本に留学します。</p>
<p>1901年に日本へ留学した陳独秀は、短期間で何度か日本と中国を行き来します。この頃に中国政府から危険思想の持ち主として指名手配された事もありました。日本では当時は軍事教練学校であった<span class="ymarker-s">成城学校</span>で学んでいます。</p>
<p>中国で辛亥革命に参加し、袁世凱に反対する蜂起にも参加しますが、失敗して、失意のうちに日本に渡った際に<span class="ymarker-s">早稲田大学に留学中の李大釗と知り合い二人は意気投</span>合しました。</p>
<p>1915年に上海に戻った陳独秀はここで歴史を変えることになる雑誌「<span class="ymarker-s">新青年</span>」を立上げます。毎号約100ページの総合学術雑誌の体裁をとり、全国的な人気雑誌となりました。この「新青年」は国内外の様々な思想を紹介、話し言葉での文学を推進し、<strong>魯迅や胡適などの著名な文学者を生み出し、若き日の毛沢東も熱心な寄稿</strong>者でした。</p>
<p>1917年に蔡元培により北京大学の北京大学文科長として招かれ、新文化運動の旗手として学生を啓蒙しました。1919年に北京で五四運動が発生すると首謀者として逮捕されます。すぐに釈放されるも、北京大学から追われ上海に戻ることになります。上海に戻ると、国民政府からの招聘を受けて広東に赴きます。</p>
<p>1921年に上海で開催された中国共産党第一次全国代表大会には多忙のため出席できませんでした。広東で広東大学、後の中山大学の設立に向けた資金集めの準備をしており、そのため参加できなかったということです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>李大釗の物語</h2>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6335" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李大釗-210x300.jpg" alt="" width="210" height="300" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李大釗-210x300.jpg 210w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李大釗.jpg 455w" sizes="(max-width: 210px) 100vw, 210px" /></p>
<p>陳独州に並ぶ思想的リーダーであった李大釗は1913年に日本に留学し、<span class="ymarker-s">早稲田大学政治学部で社会主義思想に出会い傾倒</span>するようになります。日本で、反袁世凱運動を行い、さらに21箇条の要求が出されると、日本に対する抵抗運動を行いました。</p>
<p>1916年に帰国し、1917年に北京大学学長の蔡元培（さいげんばい）により図書館長に任命され、翌年には北京大学の経済の教授となっています。彼は日本の知識人と幅広い人脈を持ち、この頃、日本で次々に発表される社会主義に関する書籍や新　情報をほぼ同時進行で翻訳、発表し、中国における社会主義研究の第一人者となりました。また北京にあって、上海にいた陳独秀とロシアの橋渡しを行ったりもしています。</p>
<p>1921年に開催された第1回全国代表大会には多忙のため出席できませんでした。李大釗は当時、教育予算を削ろうとしていた北京政府との交渉を主導しており、ちょうど7月24日に政府との打ち合わせがあり参加できなかった、と言われています。</p>
<p>共産党結党後は第2期から第4期まで中央委員に就任しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>北京大学学長 蔡元培（さいげんばい）の功績</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに、共産党と関りがあるわけではありませんが、北京大学の蔡元培は覚えておくべき人物の一人です。1916年に北京大学の学長に招聘された蔡元培は、北京大学文科長として陳独秀を招き、李大釗を図書館長に任命しています。文科長とは文系学部の最高責任者で、北京大学の副学長といっても問題ないような重要なポストでした。</p>
<p><strong>蔡元培は北京大学の改革に着手し、教授の充実、学科・学制の整備、科学研究機関の設立、平民教育の提唱と男女共学など様々な取り組みを行い、北京大学の学術教育と自由の校風を確立した人物と言われています。</strong></p>
<p>彼は、陳独秀、李大釗のほかにも胡適や魯迅等を積極的に北京大学に招聘し、北京大学は中国における啓蒙運動である新文化運動の中心となり、1919年に発生した五四運動の中心となりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>設立の13人</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>次に1921年に上海で開催された中国共産党第一次全国代表大会に参加した13人を見ていきたいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6363" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/13人リスト２-300x146.png" alt="" width="500" height="243" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/13人リスト２-300x146.png 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/13人リスト２.png 520w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>①李漢俊（りかんしゅん）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6375" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李漢俊-292x300.jpg" alt="" width="300" height="308" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李漢俊-292x300.jpg 292w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李漢俊-768x790.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李漢俊.jpg 960w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>上海の結党集会に自宅を提供した李漢俊は、14歳の時に日本へ留学し東京帝国大学（現東京大学）で学んでいます。日本人でも舌をまくほど日本語が上手く、英語とフランス語も流暢であったと言われています。</p>
<p>東京帝大2年生のときにロシア革命が勃発し、日本で大量の社会主義についての書物を読み漁り、1918年に中国に帰国する際にも多くの書籍を持ち帰ったと言われています。帰国後は兄の李書城が住む上海の家に同居しています。</p>
<p>日本では李人傑という名で知られており、当代一流の社会主義者として紹介されています。1921年春に大阪毎日新聞の社友として中国を訪れた芥川龍之介が、彼の自宅を訪ねてインタビューを行いましたが、ここがまさに共産党結党の場所となりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>②李達（りたつ）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6376" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李達.jpg" alt="" width="300" height="414" /></p>
<p>李達は子供のころから聡明で、1909年には燕京師範学堂、のちの北京大学に入学する予定でしたが、孫文に憧れて日本行きを志します。1913年に公費で日本に留学し、東京第一高等師範学校に入学しました。日本で「救国思想」としてのマルクス主義に出会い、社会主義の研究に懸命に取り組むようになりました。</p>
<p>1920年夏に上海に戻り、陳独秀らと面会し、李漢俊らと上海の共産主義グループを結成し、1921年 7月、党の第1回大会に出席し、中央宣伝部主任に選ばれました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>③周佛海（しゅうぶつかい）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6377" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/周佛海1.jpg" alt="" width="300" height="417" /></p>
<p>周佛海は日本から参加した唯一の人物として有名です。彼は1917年に日本に渡っており、1921年当時はまだ鹿児島の第七高等学校造士館（現在の鹿児島大学）の学生でした。共産党結党に際しては、旅費100元をもらい、中国への帰省のついでに参加するという気楽なものであったと言われています。ちなみに、フランスでも共産党グループが結成されていましたが、結党大会に呼ばれた海外グループは日本グループのみでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>④毛沢東（もうたくとう）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6378" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/毛沢東-1.png" alt="" width="300" height="386" /></p>
<p>共産党設立当時はまだまだ下っ端であった毛沢東は、1918年夏に湖南省第一師範学校を卒業し、1919年に恩師の楊昌済とともに北京へ上京しました。彼は北京大学の学生となるには学歴が足りなかったため、楊昌済の推薦により、北京大学の図書館にて館長の李大釗のもとアルバイトを務めながら『新青年』に熱心に記事を寄稿したと言います。</p>
<p>この時、知識人、特に入学できなかった北京大学などに対する偏見が形成され、後の文化大革命で爆発したのではないか、とも言われます。</p>
<p>その後すぐに帰郷して長沙で教師を務めながら、出版社などを設立し、共産主義の普及に努めました。共産党結党に際しては、毛沢東は長沙の共産主義グループの代表として出席はしていましたが、目立った発言もなく、存在感はほとんどなかったと言われています。</p>
<p>中国で伝説の第1回会議が語られる際、毛沢東が立って片手をあげて演説しているのを全員が聞いている、というシーンとセットに紹介される場合が多いのですが、毛沢東は目立たない参加者で、会議では目立った発言も演説もしていないため、史実を知っている人にとっては苦笑するしかありません。ドラマでも毛沢東が出ると「彼はすごい」「若いのにきっと何かをやり遂げる」などと異常なまで持ち上げられます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>⑤何叔衡（かしゅくこう）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6379" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/何叔衡-245x300.jpg" alt="" width="300" height="367" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/何叔衡-245x300.jpg 245w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/何叔衡.jpg 489w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>何叔均は毛沢東と同じ長沙の共産主義グループの代表で、湖南全省通俗教育館館長を務めており、参加メンバーの中では最年長の45歳でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>⓺董必武（とうひつぶ）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6380" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/董必武1-231x300.jpg" alt="" width="300" height="390" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/董必武1-231x300.jpg 231w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/董必武1.jpg 300w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>董必武は武漢グループのリーダーで、1903年に科挙に合格し、1911年の辛亥革命に参加しています。<span class="ymarker-s">1914年、日本の法政大学に留学中に、孫文の中華革命党に入党</span>し、卒業後、1919年に上海に渡り、ここで隣人として知り合った李漢俊から社会主義の様々な知識を与えられました。1920年に武漢に戻ると、学校を開いて、英語とマルクス主義教えました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>⑦陳潭秋（ちんたんしゅう）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6381" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳潭秋-1.png" alt="" width="300" height="380" /></p>
<p>同じく武漢グループの陳潭秋は上海で董必武と知り合い、武漢で一緒に学校を開校し、共産主義を広める活動を行っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>⑧張国燾（ちょうこくとう）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6382" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Zhang_Guotao-216x300.jpg" alt="" width="300" height="416" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Zhang_Guotao-216x300.jpg 216w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/Zhang_Guotao.jpg 400w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>張国燾は北京大学の学生で、李大釗の「マルクス学説研究会」に参加して北京共産主義グループ立上げに際して積極的に活動しています。済南グループの立ち上げに際しても協力しています。第1回全国代表大会の招集があった際に、中心人物であった李大釗が多忙により参加できなかったため、劉仁静と一緒に参加しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>⑨劉仁静（りゅうじんせい）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6383" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/劉仁静-209x300.jpg" alt="" width="300" height="431" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/劉仁静-209x300.jpg 209w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/劉仁静.jpg 210w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>劉仁静は北京大学の学生で、代表の中では最年少の19歳でした。本の虫とあだ名がつくほどの無類の本好きで、マルクス主義に対する知識の豊富さでは群を抜いており、第１回全国代表大会でも積極的に議論に参加したと言われています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>⑩陳公博（ちんこうはく）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6384" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳公博-261x300.jpg" alt="" width="300" height="345" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳公博-261x300.jpg 261w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳公博.jpg 522w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>陳公博は、広東に赴任してきた陳独秀と一緒に広東共産グループの設立に尽力したと言われています。第1回全国代表大会の時には、結婚したばかりということもあり、妻を連れて上海に新婚旅行もかねて参加していたと言われています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>⑪包恵僧（ほうけいそう）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6389" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/包恵僧３-211x300.jpg" alt="" width="300" height="426" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/包恵僧３-211x300.jpg 211w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/包恵僧３.jpg 250w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>包恵僧は、湖北省出身で、北京大学を卒業しています。もともと武漢共産主義グループでしたが、陳独秀を手伝うために広東に居た際に、招集がかかり、多忙な陳独秀にかわって広東から代理として参加したため広東代表となったと言われています。<span class="ymarker-s">今の中国の定説では、彼がカウントされなかった代表だとされています</span>が、これも明確な証拠があるわけではなく、異論も残っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>⑫王尽美（おうじんび）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6392" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/王尽美3-248x300.jpg" alt="" width="300" height="363" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/王尽美3-248x300.jpg 248w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/王尽美3-768x929.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/王尽美3.jpg 800w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>⑬鄧恩明（とうおんめい）</h3>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6390" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/鄧恩明３.jpg" alt="" width="300" height="367" /></p>
<p>王尽美と鄧恩明は、北京と上海からの指導により済南共産グループを結成しました。高校を卒業したばかりの学生であり、対等な参加者というよりも参加者から教えを乞う聴講生のようであったと言われています。</p>
<p>以上の13人により中国共産党は産声を上げますが、その後、共産党、そして中国は波乱万丈の運命をたどることになり、設立の13人は翻弄されることになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>次回は、この13人のその後の数奇な運命を見てみたいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div id="rinkerid6357" class="yyi-rinker-contents  yyi-rinker-tagid-114 yyi-rinker-postid-6357 yyi-rinker-img-m yyi-rinker-catid-8 yyi-rinker-catid-5 ">
	<div class="yyi-rinker-box">
		<div class="yyi-rinker-image">
							<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00B3Q36VA?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_img 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）" data-vars-click-id="amazon_img 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"><img decoding="async" src="https://m.media-amazon.com/images/I/41wEbrVJGrL._SL160_.jpg"  width="97" height="160" class="yyi-rinker-main-img" style="border: none;" loading="lazy"></a>					</div>
		<div class="yyi-rinker-info">
			<div class="yyi-rinker-title">
									<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00B3Q36VA?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking" data-click-tracking="amazon_title 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）" data-vars-amp-click-id="amazon_title 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）" >中国共産党を作った13人（新潮新書）</a>							</div>
			<div class="yyi-rinker-detail">
							<div class="credit-box">created by&nbsp;<a href="https://oyakosodate.com/rinker/" rel="nofollow noopener" target="_blank" >Rinker</a></div>
										<div class="price-box">
							</div>
						</div>
						<ul class="yyi-rinker-links">
																	<li class="amazonkindlelink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00B3Q36VA?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_kindle 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"  data-vars-amp-click-id="amazon_kindle 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）">Kindle</a>					</li>
								                    <li class="amazonlink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00B3Q36VA?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"  data-vars-amp-click-id="amazon 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）">Amazon</a>					</li>
													<li class="rakutenlink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616&amp;url=https%3A%2F%2Fsearch.rakuten.co.jp%2Fsearch%2Fmall%2F%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E5%2585%25B1%25E7%2594%25A3%25E5%2585%259A%25E3%2582%2592%25E4%25BD%259C%25E3%2581%25A3%25E3%2581%259F13%25E4%25BA%25BA%2F%3Ff%3D1%26grp%3Dproduct" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="rakuten 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"  data-vars-amp-click-id="rakuten 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）">楽天市場</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
													<li class="yahoolink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502&amp;url=https%3A%2F%2Fshopping.yahoo.co.jp%2Fsearch%3Fp%3D%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E5%2585%25B1%25E7%2594%25A3%25E5%2585%259A%25E3%2582%2592%25E4%25BD%259C%25E3%2581%25A3%25E3%2581%259F13%25E4%25BA%25BA" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="yahoo 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"  data-vars-amp-click-id="yahoo 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）">Yahooショッピング</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
				                											</ul>
					</div>
	</div>
</div>

<div id="rinkerid6358" class="yyi-rinker-contents  yyi-rinker-tagid-114 yyi-rinker-postid-6358 yyi-rinker-img-m yyi-rinker-catid-8 yyi-rinker-catid-5 ">
	<div class="yyi-rinker-box">
		<div class="yyi-rinker-image">
							<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/448001733X?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_img 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)" data-vars-click-id="amazon_img 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)"><img decoding="async" src="https://m.media-amazon.com/images/I/41ABB43APUS._SL160_.jpg"  width="110" height="160" class="yyi-rinker-main-img" style="border: none;" loading="lazy"></a>					</div>
		<div class="yyi-rinker-info">
			<div class="yyi-rinker-title">
									<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/448001733X?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking" data-click-tracking="amazon_title 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)" data-vars-amp-click-id="amazon_title 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)" >中国共産党、その百年 (筑摩選書)</a>							</div>
			<div class="yyi-rinker-detail">
							<div class="credit-box">created by&nbsp;<a href="https://oyakosodate.com/rinker/" rel="nofollow noopener" target="_blank" >Rinker</a></div>
										<div class="price-box">
							</div>
						</div>
						<ul class="yyi-rinker-links">
																                    <li class="amazonlink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/448001733X?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)"  data-vars-amp-click-id="amazon 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)">Amazon</a>					</li>
													<li class="rakutenlink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616&amp;url=https%3A%2F%2Fsearch.rakuten.co.jp%2Fsearch%2Fmall%2F%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E5%2585%25B1%25E7%2594%25A3%25E5%2585%259A%25E3%2580%2581%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25E7%2599%25BE%25E5%25B9%25B4%2F%3Ff%3D1%26grp%3Dproduct" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="rakuten 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)"  data-vars-amp-click-id="rakuten 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)">楽天市場</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
													<li class="yahoolink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502&amp;url=https%3A%2F%2Fshopping.yahoo.co.jp%2Fsearch%3Fp%3D%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E5%2585%25B1%25E7%2594%25A3%25E5%2585%259A%25E3%2580%2581%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25E7%2599%25BE%25E5%25B9%25B4" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="yahoo 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)"  data-vars-amp-click-id="yahoo 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)">Yahooショッピング</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
				                											</ul>
					</div>
	</div>
</div>

<div id="rinkerid6359" class="yyi-rinker-contents  yyi-rinker-tagid-114 yyi-rinker-postid-6359 yyi-rinker-img-m yyi-rinker-catid-8 yyi-rinker-catid-5 ">
	<div class="yyi-rinker-box">
		<div class="yyi-rinker-image">
							<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4408612235?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_img 6359 劇画毛沢東伝" data-vars-click-id="amazon_img 6359 劇画毛沢東伝"><img decoding="async" src="https://m.media-amazon.com/images/I/414WZYZ3VGL._SL160_.jpg"  width="113" height="160" class="yyi-rinker-main-img" style="border: none;" loading="lazy"></a>					</div>
		<div class="yyi-rinker-info">
			<div class="yyi-rinker-title">
									<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4408612235?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking" data-click-tracking="amazon_title 6359 劇画毛沢東伝" data-vars-amp-click-id="amazon_title 6359 劇画毛沢東伝" >劇画毛沢東伝</a>							</div>
			<div class="yyi-rinker-detail">
							<div class="credit-box">created by&nbsp;<a href="https://oyakosodate.com/rinker/" rel="nofollow noopener" target="_blank" >Rinker</a></div>
										<div class="price-box">
							</div>
						</div>
						<ul class="yyi-rinker-links">
																                    <li class="amazonlink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4408612235?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon 6359 劇画毛沢東伝"  data-vars-amp-click-id="amazon 6359 劇画毛沢東伝">Amazon</a>					</li>
													<li class="rakutenlink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616&amp;url=https%3A%2F%2Fsearch.rakuten.co.jp%2Fsearch%2Fmall%2F%25E5%258A%2587%25E7%2594%25BB%25E6%25AF%259B%25E6%25B2%25A2%25E6%259D%25B1%25E4%25BC%259D%2F%3Ff%3D1%26grp%3Dproduct" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="rakuten 6359 劇画毛沢東伝"  data-vars-amp-click-id="rakuten 6359 劇画毛沢東伝">楽天市場</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
													<li class="yahoolink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502&amp;url=https%3A%2F%2Fshopping.yahoo.co.jp%2Fsearch%3Fp%3D%25E5%258A%2587%25E7%2594%25BB%25E6%25AF%259B%25E6%25B2%25A2%25E6%259D%25B1%25E4%25BC%259D" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="yahoo 6359 劇画毛沢東伝"  data-vars-amp-click-id="yahoo 6359 劇画毛沢東伝">Yahooショッピング</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
				                											</ul>
					</div>
	</div>
</div>

<p>&nbsp;</p>
<div><strong>＜前の記事はこちら</strong>＞</div>
<div>			<a href="https://chinastyle.jp/1921kyousantou01/" class="st-cardlink">
			<div class="kanren st-cardbox">
								<dl class="clearfix">
					<dt class="st-card-img">
															<img decoding="async" width="150" height="150" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/サムネ-150x150.jpg" class="attachment-st_thumb150 size-st_thumb150 wp-post-image" alt="" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/サムネ-150x150.jpg 150w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/サムネ-60x60.jpg 60w" sizes="(max-width: 150px) 100vw, 150px" />												</dt>
					<dd>
													<h5 class="st-cardbox-t">中国共産党設立物語（上）設立の経緯と謎【2021年建党100周年】</h5>
						
													<div class="st-card-excerpt smanone">
								<p>中国共産党は党員9200万人を抱え、2021年7月に設立100周年を迎えます。世界最大の政党と言われる事がありますが、現在ではこれは間違いで、インド人民党が中国共産党を抜いて党員1億人以上で世界最大の &#8230; </p>
							</div>
																			<p class="cardbox-more">続きを見る</p>
											</dd>
				</dl>
			</div>
			</a>
			</div>
<p>&nbsp;</p>
<div><strong>＜続きはこちら</strong>＞</div>
<div>			<a href="https://chinastyle.jp/1921kyousantou03/" class="st-cardlink">
			<div class="kanren st-cardbox">
								<dl class="clearfix">
					<dt class="st-card-img">
															<img decoding="async" width="150" height="150" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/サムネ-150x150.jpg" class="attachment-st_thumb150 size-st_thumb150 wp-post-image" alt="" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/サムネ-150x150.jpg 150w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/サムネ-60x60.jpg 60w" sizes="(max-width: 150px) 100vw, 150px" />												</dt>
					<dd>
													<h5 class="st-cardbox-t">中国共産党設立物語（下）悲劇の結末【2021年建党100周年】</h5>
						
													<div class="st-card-excerpt smanone">
								<p>共産党設立物語の最終回となる今回は、共産党設立に関わった人たちのその後を見てみたいと思います。中国共産党第１回全国代表大会に参加した１３人とそれに関わった人たちは、まるで呪われているかのように、そのほ &#8230; </p>
							</div>
																			<p class="cardbox-more">続きを見る</p>
											</dd>
				</dl>
			</div>
			</a>
			</div>The post <a href="https://chinastyle.jp/1921yousantou02/">中国共産党設立物語（中）思想的リーダーと設立に参加した13人【2021年建党100周年】</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://chinastyle.jp/1921yousantou02/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>中国共産党設立物語（上）設立の経緯と謎【2021年建党100周年】</title>
		<link>https://chinastyle.jp/1921kyousantou01/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=1921kyousantou01</link>
					<comments>https://chinastyle.jp/1921kyousantou01/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[chinastyle]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 25 Jun 2021 11:57:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[中国生活]]></category>
		<category><![CDATA[歴史・文化]]></category>
		<category><![CDATA[上海]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://chinastyle.jp/?p=6327</guid>

					<description><![CDATA[<p>中国共産党は党員9200万人を抱え、2021年7月に設立100周年を迎えます。世界最大の政党と言われる事がありますが、現在ではこれは間違いで、インド人民党が中国共産党を抜いて党員1億人以上で世界最大の ...</p>
The post <a href="https://chinastyle.jp/1921kyousantou01/">中国共産党設立物語（上）設立の経緯と謎【2021年建党100周年】</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p>中国共産党は党員9200万人を抱え、2021年7月に設立100周年を迎えます。世界最大の政党と言われる事がありますが、現在ではこれは間違いで、<span class="ymarker-s"><strong>インド人民党が中国共産党を抜いて党員1億人以上で世界最大の政党となり、中国共産党は党員数世界2位の政党</strong></span>となっています。</p>
</div></div>
<p><span class="rmarker">※今回の内容はYoutubeで動画としてもアップされています</span></p>
<p><iframe loading="lazy" title="中国共産党設立物語（上）経緯と謎【2021年建党100周年】" width="920" height="518" src="https://www.youtube.com/embed/Tv6cfO7vzck?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></p>
<h2>設立のミステリー</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6345" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/srchttp___upload-images.jianshu.io_upload_images_11521504-04922ae0d37f8d6f.jpgreferhttp___upload-images.jianshu-300x199.jpg" alt="" width="500" height="331" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/srchttp___upload-images.jianshu.io_upload_images_11521504-04922ae0d37f8d6f.jpgreferhttp___upload-images.jianshu-300x199.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/srchttp___upload-images.jianshu.io_upload_images_11521504-04922ae0d37f8d6f.jpgreferhttp___upload-images.jianshu-1024x678.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/srchttp___upload-images.jianshu.io_upload_images_11521504-04922ae0d37f8d6f.jpgreferhttp___upload-images.jianshu-768x508.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/srchttp___upload-images.jianshu.io_upload_images_11521504-04922ae0d37f8d6f.jpgreferhttp___upload-images.jianshu-1536x1017.jpg 1536w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/srchttp___upload-images.jianshu.io_upload_images_11521504-04922ae0d37f8d6f.jpgreferhttp___upload-images.jianshu-2048x1356.jpg 2048w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>中国共産党は、1921年の7月に秘密裏に開催された中国共産党第一次全国代表大会により結成されました。しかし、その設立には様々なミステリーがあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p>・建党記念日は7月1日となっているが実際に会議が開催された日は7月23日であった</p>
<p>・報告書では建党大会の参加者は12人だが参加者を足し上げると13人になる</p>
<p>・中国共産党の結成に芥川龍之介がニアミスしていた</p>
<p>・会議中にスパイが踏み込んできて大騒ぎになり、会議が途中で解散された</p>
<p>・毛沢東が雄弁に演説したように伝えられるが実は無口だった</p>
<p>・会議参加者の13人は呪われたかのように不幸な末路を辿った</p>
</div></div>
<p>&nbsp;</p>
<p>今回はこれらのミステリーについて3回シリーズで解説していきたいと思います。なお、中国国内では、中国共産党の建党を決定した第一次全国代表大会は伝説の会議とされてかなり脚色されていますので、今回は知りうる限り真実の模様をお伝えしていきたいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>歴史に埋もれた会議の発掘</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6330" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/jiandangjie.jpg" alt="" width="500" height="320" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/jiandangjie.jpg 415w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/jiandangjie-300x192.jpg 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>中国では公式の建党記念日は7月1日という事になっていますが、実際には、第一次全国代表大会は7月23日から開催</strong>されています。何故このように日にちが異なっているのでしょうか？</p>
<p>共産党は1921年に設立されたものの、当時は列強の侵略と国共内戦など激動の時代であり、しばらくは設立の記念日を祝うような雰囲気はありませんでした。<strong>1938年頃になるとやっと設立を祝おう、という機運が党内で生まれたものの、そもそも紙で残った記録が全く無く、詳細を調べることが難航</strong>しました。</p>
<p>後で詳細に見てみますが、この頃には第1回大会に参加した人々の多くが離党したり亡くなっており、また毛沢東も含めて生き残っている人たちも開催日や開催場所の記憶があいまいな状態でした。7月頃に開催したのは間違いないという事になり、建党記念日を7月1日として七一建党節として祝うようになりました。</p>
<p>その後、第2次国共内戦や日中戦争の混乱で、詳細の調査が進まないまま時間が過ぎ、<span class="ymarker-s"><strong>1950年代末にロシア側で当時の報告書が見つかり、7月23日に開催したという事が判</strong><strong>明</strong></span>しました。この頃にはすでに20年に渡って7月1日に建党節が祝われていたため、そのまま7月1日が記念日として残ったと言います。</p>
<p>なお、ロシア側の資料で開催場所と参加者もこの時やっと一緒に明確になりました。ロシア側の公式資料では参加者は12人となっていましたが、実際に参加した人を足しあげると13人となり、参加人数さえ異なるなど、まだ謎が残るままでした。</p>
<p>その後、大躍進や文化大革命の混乱で調査が進まず、1980年代以降になり関係者へのインタビューなどにより少しづつ、参加者やその発言内容などの様子が明らかになっていったと言います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>時代背景</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>会議の詳細を見る前に、まず、共産党設立に至る国内外の時代背景を簡単におさらいしておきたいと思います。</p>
<p>清朝末期から、明治維新により先進国の仲間入りを果たした日本に学ぼうという機運が高まり、多くの中国人留学生が日本に渡るようになりました<span class="ymarker-s"><strong>。1902年には500人だった中国人留学生が、翌年には1000人になり、最も多い時では1万人</strong></span>ほどが日本で学んでいたと言われています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6332" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/fc97458b-300x194.jpg" alt="" width="500" height="323" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/fc97458b-300x194.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/fc97458b-768x497.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/fc97458b.jpg 1024w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1917年にロシアで革命が発生し世界初の社会主義国家が成立すると、世界中の多くの若者が共産主義に傾倒し、中国の知識人も社会主義・共産主義への関心を高めていきます。</p>
<p>そのような中、1919年に第一次世界大戦が終了し、パリ講和条約で日本の21か条要求が認められると、中国国内で反日本・反帝国主義運動が発生します。この時、日本に留学していた中国人学生の間でも授業ボイコットや帰国が相次いだといわれています。</p>
<p>1919年5月4日になると、<span class="ymarker-s"><strong>北京の学生らが主導し反日・反帝国主義運動である五四運動が発生</strong></span>します。この運動は、全国に広がり、中国初の全国的ナショナリズムの発露として<strong>共産党と国民党の両方から高く評価</strong>されることになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6333" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/o0600044114751322979-300x221.jpg" alt="" width="500" height="368" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/o0600044114751322979-300x221.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/o0600044114751322979-202x150.jpg 202w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/o0600044114751322979.jpg 600w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ナショナリズムが高まりを見せる中、中国各地に共産主義を掲げるグループが結成され、1921年には国際的な共産党組織であるコミンテルンの呼びかけにより、各地の共産主義グループを集結させる形で上海において中国共産党が結成されることになります。</p>
<p>国内では、軍閥が割拠する中、孫文率いる国民党が国内の統一を虎視眈々と狙っていましたが、まだまだ実力が足りず、西欧列強の反植民地化は進み、中国国内はバラバラの状態でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>思想的リーダーと日本の影響</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>次に共産党設立の2人の思想的リーダーと日本の影響を見ておきたいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div id="attachment_6334" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-6334" class="wp-image-6334" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳独秀-263x300.jpg" alt="" width="500" height="571" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳独秀-263x300.jpg 263w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/陳独秀.jpg 500w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /><p id="caption-attachment-6334" class="wp-caption-text">陳独秀</p></div>
<p>&nbsp;</p>
<p>中国国内で盛り上がったナショナリズムに合わせて、西欧の思想を中国に紹介し、国民の覚醒を目指す運動の最前線にいたのが<span class="ymarker-s">上海で雑誌「新青年」を発行した陳独秀</span>と<span class="ymarker-s">、北京大学の図書館長を務めた李大釗</span>で、この二人が初期の共産党の活動を思想的にけん引しました。この2人は、<strong>南の陳独秀、北の李大釗</strong>と呼ばれていました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div id="attachment_6335" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-6335" class="wp-image-6335" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李大釗-210x300.jpg" alt="" width="500" height="714" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李大釗-210x300.jpg 210w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/李大釗.jpg 455w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /><p id="caption-attachment-6335" class="wp-caption-text">李大釗</p></div>
<p>&nbsp;</p>
<p>中国における社会主義思想の普及と共産党の結党には、日本が大きく影響を与えています。当時、中国の多くの知識人はがそうしたように、中国における社会主義・共産主義者も日本を通じて共産主義思想を吸収していました。</p>
<p>一足先に近代化に踏み出した日本には既に、西洋の主要文献の翻訳や、解釈書が存在し、漢字を含む日本語訳は中国人にとって効率よい教材になっていました。</p>
<p>陳独秀と李大釗は共に日本に留学しており、マルクス主義について日本の経済学者・河上肇らの影響を強く受け「新青年」にその著作をほぼそのまま掲載していました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-6336" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_140435306_iOS-1-300x175.png" alt="" width="300" height="175" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_140435306_iOS-1-300x175.png 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_140435306_iOS-1-768x449.png 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_140435306_iOS-1.png 1007w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span class="ymarker-s">「共産主義」や「革命」といった中国語も実は、西洋思想の概念の日本語訳を彼らがそのまま転用</span>したものになります<span class="ymarker-s">。中華人民共和国の「人民」と「共和国」も日本から輸入された和製漢語として有名</span>ですが、皆この時期に、このような経緯で中国に輸入されたものでした。</p>
<p>また次回紹介する<span class="ymarker-s"><strong>中国共産党結党の13人のうち、4人が日本に留</strong></span>学しており、日本の影響がかなり強かった事は公然の秘密となっています。ソビエトはもちろん中国の共産主義に強い影響を与え結党の資金を援助しましたが、日本の思想的な影響はまるで故意に軽んじられているように語られる事はありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>各地での共産主義グループの結成</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6337" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_140300272_iOS-300x211.jpg" alt="" width="500" height="352" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_140300272_iOS-300x211.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_140300272_iOS-1024x721.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_140300272_iOS-768x540.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_140300272_iOS.jpg 1080w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1917年に発生した五四運動以降、中国の各地で小規模の共産主義グループが産まれるようになっていました。<strong>北京、上海、済南、武漢、長沙、広東に加えて、海外では日本やフランスでも結成</strong>されています。</p>
<p>1920年になると国際的な共産主義組織であるコミンテルンの使者がウラジオストクから北京にやって来て、李大釗と面会し、彼の手引きにより、上海の陳独秀と接触することになりました。これを機に、陳独秀はかねてより社会主義に関心を有していた若者たちを集めて、コミンテルンと連絡を取りながら、共産主義政党の立ち上げに向けて活動を開始することになります。</p>
<p>1921年コミンテルンからマーリンとニコルスキーが上海にやってきて、陳独秀と面会しようとしましたが、この時期、陳独秀は広東に行っており不在でした。代わりに、上海グループの中心人物であった李漢俊と面会し、全国の共産主義グループを集めて共産党を結成するように促しました。李漢俊は陳独秀と李大釗に了承を得ると、各地の共産主義グループに手紙で招集をかけます。手紙の内容は「<span class="ymarker-s"><strong>7月20日、上海にて会議を開催する。代表2名を送られたし</strong></span>」というもので、交通費として100元が支給されたと言いますが、この資金はコミンテルから出たものでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>結党の場所と芥川龍之介</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>最初にも話しましたが、中国共産党が結成された第1回全国代表大会の開催日が判明したのは、中華人民共和国が建国されたあとの1950年代末のことで、ロシア側で大会当時のロシア語の報告資料が見つかり、そこには上海フランス租界の党員の住宅で、7月23日に会が開かれたと記されていました。</p>
<p><span class="ymarker-s">その場所というのが、日本の東京帝国大学（現在の東京大学）への留学から帰国した李漢俊の上海の自宅</span>でした。ちなみに、芥<strong>川龍之介がたまたま大会の3カ月ほど前に、大阪毎日新聞の特派員としてこの場所を訪れ、「上海游記」という訪問記を残しています</strong>。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6338" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/芥川龍之介-172x300.jpg" alt="" width="500" height="875" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/芥川龍之介-172x300.jpg 172w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/芥川龍之介-585x1024.jpg 585w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/芥川龍之介.jpg 686w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>芥川龍之介は会議が開催された応接室を「<strong>長方形のテーブルがひとつと椅子が２，３あり、テーブルの上には陶製の果物が飾られている以外は、とくに装飾品はなく簡素なものであった</strong>」と描写しています。この描写は「上海遊記」の李人傑インタビューに出てきます。青空文庫で無料で読むことが出来ます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>芥川龍之介『上海遊記』（青空文庫 <a href="https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/51215_56381.html" target="_blank" rel="noopener">https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/51215_56381.html</a>）<br />
※「十八　李人傑氏」が李漢俊の家を訪問した記録</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>大会が行われたその部屋は現在では復元され「<span class="ymarker-s">中共一大会址（ちゅうきょういちだいかいし）記念館</span>」として公開されています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6339" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_143647978_iOS-300x201.jpg" alt="" width="500" height="334" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_143647978_iOS-300x201.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_143647978_iOS-1024x685.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_143647978_iOS-768x513.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210619_143647978_iOS.jpg 1080w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>中国共産党第1回全国代表大会</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>各地の共産主義グループに「緊急招集」がかかり、各グループから2名の代表が出席することになりました。会議は当初、毎日場所を変更して行われるはずでしたが、いざ開かれると、毎日、李漢俊の家で行われました。フランス租界にあり、また兄である李書城が当時、国民党の高級官僚であったため、官憲の目をくらますにはうってつけの場所でした。この時、兄はちょうど出張で不在にしていました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6340" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210621_103104311_iOS-300x171.jpg" alt="" width="500" height="284" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210621_103104311_iOS-300x171.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210621_103104311_iOS.jpg 580w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>急な開催となり、思想的なリーダーであった李大釗と陳独秀は多忙により出席できず、会議の進行役は北京から出席した張国燾が務めています。<strong>初日の23日にはコミンテルンからやってきたマーリンとニコルスキーも参加し、2日目からは中国人の独自性を重んじる、ということで彼らは参加しませんでした</strong>。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div id="attachment_6342" style="width: 190px" class="wp-caption aligncenter"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-6342" class="size-full wp-image-6342" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/マーリン.png" alt="" width="180" height="257" /><p id="caption-attachment-6342" class="wp-caption-text">マーリン</p></div>
<div id="attachment_6343" style="width: 210px" class="wp-caption aligncenter"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-6343" class="size-full wp-image-6343" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/ニコルスキー.jpg" alt="" width="200" height="275" /><p id="caption-attachment-6343" class="wp-caption-text">ニコルスキー</p></div>
<p>&nbsp;</p>
<p>会議は<span class="ymarker-s">プロレタリア独裁を明確に打ち出すか、また労働争議への関与方法や、孫文率いる国民党を支持するか、などの問題などを巡って紛糾</span>します。特に、革命の父として尊敬されていた孫文の不支持が決議されると、衝撃を受けた参加者も多かったと言います。</p>
<p><span class="ymarker-s">7月30日に中国ではとても有名な事件が発生</span>します。その日、会議を開いていると、突然ドアが開いて、見知らぬ男が顔を出して部屋の中をきょろきょろと見まわしました。家主である李漢俊が誰かと尋ねると、男は「上海各界連合会の王会長に会いたい」と返事したと言います。そんな男はいない、と答えると「すまん、間違えた」と言い残して去っていきました。</p>
<p>この日、偶然参加していたマーリンが「きっと密偵だ、会議は即刻中止して、みな分散しろ」というと、皆その場を逃亡します。家主の李漢俊が残っていると、数分後に3人のフランス人警官と4人の中国人警官がやってきて、一時間近く家探しをしました。武器が無いかとばかり気にしていたようで、作りかけの共産党綱領の草案には目もくれずに難を逃れます。</p>
<p>何も発見できなかった警官たちは「今日のところは証拠が無いので、許すことにしましょう」と言い残して去っていきました。</p>
<p>このまま上海で会議を継続するのはもう危険だと考えた代表たちは、<span class="ymarker-s">上海の近くにある浙江省嘉興（かこう）の南湖に場所を移し、屋形船を借り切って8月1日に最後の会議を開きま</span>す。カモフラージュのために食べ物をもちこみ、舟遊びだと称して、終日議論したと言います。この<strong>最終回の会議で、中国共産党の綱領が採択され、共産党中央局の書記に陳独秀、宣伝部長に李達、組織部長に張国燾を選出</strong>しました。</p>
<p>上海と南湖の会議が開かれた場所は現在観光名所となっており、義務教育の歴史教育でも教えられる有名な場所となっています。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6341" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210620_061017634_iOS-300x196.jpg" alt="" width="500" height="326" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210620_061017634_iOS-300x196.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210620_061017634_iOS-1024x667.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210620_061017634_iOS-768x501.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/20210620_061017634_iOS.jpg 1080w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>以上、今回は設立の背景と第一回全国代表大会の様子を見てきましたが、次回は、設立にかかわった人物の詳細を見ていきたいと思います。</p>
<div id="rinkerid6357" class="yyi-rinker-contents  yyi-rinker-tagid-114 yyi-rinker-postid-6357 yyi-rinker-img-m yyi-rinker-catid-8 yyi-rinker-catid-5 ">
	<div class="yyi-rinker-box">
		<div class="yyi-rinker-image">
							<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00B3Q36VA?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_img 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）" data-vars-click-id="amazon_img 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"><img decoding="async" src="https://m.media-amazon.com/images/I/41wEbrVJGrL._SL160_.jpg"  width="97" height="160" class="yyi-rinker-main-img" style="border: none;" loading="lazy"></a>					</div>
		<div class="yyi-rinker-info">
			<div class="yyi-rinker-title">
									<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00B3Q36VA?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking" data-click-tracking="amazon_title 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）" data-vars-amp-click-id="amazon_title 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）" >中国共産党を作った13人（新潮新書）</a>							</div>
			<div class="yyi-rinker-detail">
							<div class="credit-box">created by&nbsp;<a href="https://oyakosodate.com/rinker/" rel="nofollow noopener" target="_blank" >Rinker</a></div>
										<div class="price-box">
							</div>
						</div>
						<ul class="yyi-rinker-links">
																	<li class="amazonkindlelink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00B3Q36VA?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_kindle 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"  data-vars-amp-click-id="amazon_kindle 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）">Kindle</a>					</li>
								                    <li class="amazonlink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00B3Q36VA?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"  data-vars-amp-click-id="amazon 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）">Amazon</a>					</li>
													<li class="rakutenlink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616&amp;url=https%3A%2F%2Fsearch.rakuten.co.jp%2Fsearch%2Fmall%2F%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E5%2585%25B1%25E7%2594%25A3%25E5%2585%259A%25E3%2582%2592%25E4%25BD%259C%25E3%2581%25A3%25E3%2581%259F13%25E4%25BA%25BA%2F%3Ff%3D1%26grp%3Dproduct" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="rakuten 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"  data-vars-amp-click-id="rakuten 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）">楽天市場</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
													<li class="yahoolink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502&amp;url=https%3A%2F%2Fshopping.yahoo.co.jp%2Fsearch%3Fp%3D%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E5%2585%25B1%25E7%2594%25A3%25E5%2585%259A%25E3%2582%2592%25E4%25BD%259C%25E3%2581%25A3%25E3%2581%259F13%25E4%25BA%25BA" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="yahoo 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）"  data-vars-amp-click-id="yahoo 6357 中国共産党を作った13人（新潮新書）">Yahooショッピング</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
				                											</ul>
					</div>
	</div>
</div>

<div id="rinkerid6358" class="yyi-rinker-contents  yyi-rinker-tagid-114 yyi-rinker-postid-6358 yyi-rinker-img-m yyi-rinker-catid-8 yyi-rinker-catid-5 ">
	<div class="yyi-rinker-box">
		<div class="yyi-rinker-image">
							<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/448001733X?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_img 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)" data-vars-click-id="amazon_img 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)"><img decoding="async" src="https://m.media-amazon.com/images/I/41ABB43APUS._SL160_.jpg"  width="110" height="160" class="yyi-rinker-main-img" style="border: none;" loading="lazy"></a>					</div>
		<div class="yyi-rinker-info">
			<div class="yyi-rinker-title">
									<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/448001733X?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking" data-click-tracking="amazon_title 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)" data-vars-amp-click-id="amazon_title 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)" >中国共産党、その百年 (筑摩選書)</a>							</div>
			<div class="yyi-rinker-detail">
							<div class="credit-box">created by&nbsp;<a href="https://oyakosodate.com/rinker/" rel="nofollow noopener" target="_blank" >Rinker</a></div>
										<div class="price-box">
							</div>
						</div>
						<ul class="yyi-rinker-links">
																                    <li class="amazonlink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/448001733X?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)"  data-vars-amp-click-id="amazon 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)">Amazon</a>					</li>
													<li class="rakutenlink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616&amp;url=https%3A%2F%2Fsearch.rakuten.co.jp%2Fsearch%2Fmall%2F%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E5%2585%25B1%25E7%2594%25A3%25E5%2585%259A%25E3%2580%2581%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25E7%2599%25BE%25E5%25B9%25B4%2F%3Ff%3D1%26grp%3Dproduct" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="rakuten 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)"  data-vars-amp-click-id="rakuten 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)">楽天市場</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
													<li class="yahoolink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502&amp;url=https%3A%2F%2Fshopping.yahoo.co.jp%2Fsearch%3Fp%3D%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E5%2585%25B1%25E7%2594%25A3%25E5%2585%259A%25E3%2580%2581%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25E7%2599%25BE%25E5%25B9%25B4" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="yahoo 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)"  data-vars-amp-click-id="yahoo 6358 中国共産党、その百年 (筑摩選書)">Yahooショッピング</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
				                											</ul>
					</div>
	</div>
</div>

<div id="rinkerid6359" class="yyi-rinker-contents  yyi-rinker-tagid-114 yyi-rinker-postid-6359 yyi-rinker-img-m yyi-rinker-catid-8 yyi-rinker-catid-5 ">
	<div class="yyi-rinker-box">
		<div class="yyi-rinker-image">
							<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4408612235?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon_img 6359 劇画毛沢東伝" data-vars-click-id="amazon_img 6359 劇画毛沢東伝"><img decoding="async" src="https://m.media-amazon.com/images/I/414WZYZ3VGL._SL160_.jpg"  width="113" height="160" class="yyi-rinker-main-img" style="border: none;" loading="lazy"></a>					</div>
		<div class="yyi-rinker-info">
			<div class="yyi-rinker-title">
									<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4408612235?tag=chinastyle-22&#038;linkCode=osi&#038;th=1&#038;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-tracking" data-click-tracking="amazon_title 6359 劇画毛沢東伝" data-vars-amp-click-id="amazon_title 6359 劇画毛沢東伝" >劇画毛沢東伝</a>							</div>
			<div class="yyi-rinker-detail">
							<div class="credit-box">created by&nbsp;<a href="https://oyakosodate.com/rinker/" rel="nofollow noopener" target="_blank" >Rinker</a></div>
										<div class="price-box">
							</div>
						</div>
						<ul class="yyi-rinker-links">
																                    <li class="amazonlink">
						<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4408612235?tag=chinastyle-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="amazon 6359 劇画毛沢東伝"  data-vars-amp-click-id="amazon 6359 劇画毛沢東伝">Amazon</a>					</li>
													<li class="rakutenlink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616&amp;url=https%3A%2F%2Fsearch.rakuten.co.jp%2Fsearch%2Fmall%2F%25E5%258A%2587%25E7%2594%25BB%25E6%25AF%259B%25E6%25B2%25A2%25E6%259D%25B1%25E4%25BC%259D%2F%3Ff%3D1%26grp%3Dproduct" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="rakuten 6359 劇画毛沢東伝"  data-vars-amp-click-id="rakuten 6359 劇画毛沢東伝">楽天市場</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637683&amp;p_id=54&amp;pc_id=54&amp;pl_id=616" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
													<li class="yahoolink">
						<a href="https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502&amp;url=https%3A%2F%2Fshopping.yahoo.co.jp%2Fsearch%3Fp%3D%25E5%258A%2587%25E7%2594%25BB%25E6%25AF%259B%25E6%25B2%25A2%25E6%259D%25B1%25E4%25BC%259D" rel="nofollow" class="yyi-rinker-link yyi-rinker-tracking"  data-click-tracking="yahoo 6359 劇画毛沢東伝"  data-vars-amp-click-id="yahoo 6359 劇画毛沢東伝">Yahooショッピング</a><img decoding="async" src="https://i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=1637685&amp;p_id=1225&amp;pc_id=1925&amp;pl_id=18502" width="1" height="1" style="border:none;">					</li>
				                											</ul>
					</div>
	</div>
</div>

<p>&nbsp;</p>
<div><strong>＜続きはこちら</strong>＞</div>
<div>			<a href="https://chinastyle.jp/1921yousantou02/" class="st-cardlink">
			<div class="kanren st-cardbox">
								<dl class="clearfix">
					<dt class="st-card-img">
															<img decoding="async" width="150" height="150" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/サムネ-150x150.jpg" class="attachment-st_thumb150 size-st_thumb150 wp-post-image" alt="" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/サムネ-150x150.jpg 150w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/06/サムネ-60x60.jpg 60w" sizes="(max-width: 150px) 100vw, 150px" />												</dt>
					<dd>
													<h5 class="st-cardbox-t">中国共産党設立物語（中）思想的リーダーと設立に参加した13人【2021年建党100周年】</h5>
						
													<div class="st-card-excerpt smanone">
								<p>中国共産党は党員9200万人を抱え、2021年7月に設立100周年を迎えます。世界最大の政党と言われる事がありますが、現在ではこれは間違いで、インド人民党が中国共産党を抜いて党員1億人以上で世界最大の &#8230; </p>
							</div>
																			<p class="cardbox-more">続きを見る</p>
											</dd>
				</dl>
			</div>
			</a>
			</div>The post <a href="https://chinastyle.jp/1921kyousantou01/">中国共産党設立物語（上）設立の経緯と謎【2021年建党100周年】</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://chinastyle.jp/1921kyousantou01/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>古代で最も危険な職業「皇帝」中国皇帝長寿トップ5（中国歴代83王朝611皇帝中）</title>
		<link>https://chinastyle.jp/kouteitop5/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=kouteitop5</link>
					<comments>https://chinastyle.jp/kouteitop5/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[chinastyle]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 14 Jan 2021 08:46:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[歴史・文化]]></category>
		<category><![CDATA[中国トリビア]]></category>
		<category><![CDATA[西太后]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://chinastyle.jp/?p=6274</guid>

					<description><![CDATA[<p>皆さん皇帝と言えばどんなイメージを持つだろうか？皇帝と言えば権力と栄華を極め、命令一つで気に入らないものは誰でも殺してしまうことができる、と言う風に思うかもしれない。しかし実際にはとても不自由な立場で ...</p>
The post <a href="https://chinastyle.jp/kouteitop5/">古代で最も危険な職業「皇帝」中国皇帝長寿トップ5（中国歴代83王朝611皇帝中）</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p>皆さん皇帝と言えばどんなイメージを持つだろうか？皇帝と言えば権力と栄華を極め、命令一つで気に入らないものは誰でも殺してしまうことができる、と言う風に思うかもしれない。しかし実際にはとても不自由な立場で、中国の歴史上最も危険な職業と言われることもある。今回はその背景をご紹介したい。</p>
</div></div>
<p>&nbsp;</p>
<h2>中国歴代皇帝概論～平均寿命はたったの39歳</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>中国人民日報によると、中国のとある学者が行った統計で、<span class="ymarker-s"><strong>主な王朝は辺境の小国も含め83王朝あり、これまで中国には皇帝（帝王）が611人</strong></span>いたそうである。ちなみに、日本の現在の今上天皇は126代目なので、中国の数が非常に多いのが分かる。この差は実は歴史の長さの問題だけではない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6283" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/u13189825043705908346fm26gp0.jpg" alt="" width="600" height="450" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/u13189825043705908346fm26gp0.jpg 500w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/u13189825043705908346fm26gp0-300x225.jpg 300w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>皇帝のうち、疾病や老衰といった<strong>正常な死に方で死んだものは339人</strong>で、<strong>誕生と逝去の年がはっきりしているものは209人</strong>、<span class="ymarker-s">平均寿命はわずか39歳</span>しかない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これには皇帝の仕事の大変さが関係している。皇帝に多くの権力や決定権がすべて集約されていたため、各担当の大臣から意見を聞きつつも、すべての政策の最終決定は自分でやらなければいけない。そのため、緒事情に精通しなければならず、非常に時間と精神力を消耗した。また、天災や戦争が起こると、徹夜になることも多かったようである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span class="ymarker-s">あわせて昔の医療条件が重なり、皇帝の短命を引き起こしていたようである。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>44％が異常な死に方～清の光緒帝毒殺</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>では611人の皇帝のうち、自殺や他殺など正常ではない死に方をしたものはどれくらいか？その数はなんと<strong>272人にのぼり、44％が異常な状況での死亡</strong>となっている。日本と比べて中国の皇帝の数が多いのはこのような理由も影響しているのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日本と比べて乱世の世が激しい中国では、皇位継承を巡るトラブルが絶えず、皇帝が暗殺されたり、不審死をすることが多々あった。皇帝の自殺のほとんどは他殺であると考えられている。また、宋の徽宗・欽宗が金王朝に捕まったように、異民族との争いで皇帝が捕虜となることもあった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span class="ymarker-s">このように、半分に近い皇帝が異常な死に方をしていると考えると、冒頭に述べたように、中国で最も危険な職業</span>、と呼ばれるのも納得できる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6286" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/srchttp___wanggou.fan-pin.com_tua.php_imghttp___5b0988e595225.cdn_.sohucs.com_images_20200114_70f46fc40e934f268f4ccf5a8cfc922a.jpegreferhttp___wanggou.fan-pin.jpg" alt="" width="600" height="298" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/srchttp___wanggou.fan-pin.com_tua.php_imghttp___5b0988e595225.cdn_.sohucs.com_images_20200114_70f46fc40e934f268f4ccf5a8cfc922a.jpegreferhttp___wanggou.fan-pin.jpg 840w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/srchttp___wanggou.fan-pin.com_tua.php_imghttp___5b0988e595225.cdn_.sohucs.com_images_20200114_70f46fc40e934f268f4ccf5a8cfc922a.jpegreferhttp___wanggou.fan-pin-300x149.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/srchttp___wanggou.fan-pin.com_tua.php_imghttp___5b0988e595225.cdn_.sohucs.com_images_20200114_70f46fc40e934f268f4ccf5a8cfc922a.jpegreferhttp___wanggou.fan-pin-768x381.jpg 768w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>例えば、中国最後の皇帝、ラストエンペラーと言えば溥儀が有名であるが、その前の皇帝の<strong>光緒帝は西太后に毒殺されたと言われている</strong>。西太后の傀儡を脱却し、戊戌の変法で中国の近代化を行うとした光緒帝の企みを西太后が潰し、恨まれていたため、西太后が自らの死期を悟ると、ヒ素で毒殺させたというのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その証拠に、光緒帝の死の翌日に西太后は亡くなっている。毒殺説はずっと囁かれていたが、のちに光緒帝の墓から採取した頭髪のDNA鑑定でヒ素が検出されて、毒殺説が確定された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに、毒殺説には、戊戌の変法の際に西太后に密告してこれを潰した袁世凱説や、西太后の手先となって光緒帝を迫害した宦官の李蓮英説もある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>不死を求めて中毒で死んだ初めての皇帝</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>また<strong>最初に皇帝の称号を使った秦の始皇帝は、天下を統一すると不老不死の仙薬を求めた</strong>。<span class="ymarker-s">始皇帝は仙薬の一種として水銀を飲んでいた</span>と言われている。古来、<strong>神仙術では、水銀は長寿や美容に効果があるとされていた</strong>のである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>実際に始皇帝陵の壁面からは水銀が検出されている。始皇帝陵が建築された時には、棺の近くに水銀の川が作られたと言われている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6296" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/u3582267672565592748fm26gp0.jpg" alt="" width="600" height="376" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/u3582267672565592748fm26gp0.jpg 500w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/u3582267672565592748fm26gp0-300x188.jpg 300w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>水銀は内臓や脳に障害を与え、長期間飲み続けると死に至る事が現在では分かっており、始皇帝は水銀中毒で死亡したと言われている。水俣病を引き起こしたメチル水銀は、水銀よりも強い毒性を持っているが、有機水銀の一種である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>中国の長寿皇帝TOP５</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>さて、ここまで見ると皇帝という職業の大変さがお分かりいただけたと思う。その中で逆に長寿の皇帝をご紹介したい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="yellowbox">
<p><strong>1、清の高宗　乾隆帝　89歳</strong><br />
<strong>2、梁の武帝　蕭衍　86歳</strong><br />
<strong>3、唐の則天武后（武則天）　82歳</strong><br />
<strong>4、宋の高宗　趙构　81歳</strong><br />
<strong>5、元の世祖　フビライ　80歳</strong></p>
</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>長寿TOP5を見てみると、611人もいる皇帝の中でも、割と有名な乾隆帝や則天武后、フビライが入っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>2位の梁の武帝は南北朝時代の南朝梁の初代皇帝であるが、最後は侯景の乱という非常に有名な反乱に敗れて捕らえられて亡くなっている。また4位の宋の高宗は文人皇帝として有名な徽宗・欽宗の徽宗の弟にあたり、靖康の変により滅びた北宋を引き継ぎ南宋として安定させた皇帝。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに、こうなると気になるのが<span class="ymarker-s">70歳以上の皇帝であるが、こちらも数が非常にすくなく、漢の武帝 劉徹、三国時代の呉の孫権、唐の高祖 李渊、唐の玄宗 李隆基、遼の道宗 耶律洪基、明の太祖 朱元璋のわずか6人</span>しかいない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>高齢の皇帝がいかに希少かが分かる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>最も長生きした乾隆帝の物語～統治を60年で止めた理由とは？</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>乾隆帝が生きたのは1711～1799年で89歳、統治期間はなんと60年にもおよんだ。日本では<span class="ymarker-s">江戸時代の中～後期にあたり、暴れん坊将軍徳川吉宗が1684～1751年なのでほぼ同時期となる</span>。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6205" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/kenryu-e1610585617135.jpg" alt="" width="600" height="543" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/kenryu-e1610585617135.jpg 627w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/kenryu-e1610585617135-300x271.jpg 300w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>雍正帝（ようせいてい）の四男で、康熙帝の孫にあたる。<strong>三代続けて有名な皇帝で、康熙帝は61年、雍正帝は13年、乾隆帝は60年と、清王朝267年のうち134年と約半分の時期を統治し、乾隆帝時代に清は最盛期を迎えた。</strong>特に領土では、西モンゴルのジュンガル部をはじめ、現在の台湾、ミャンマー、ネパール、ベトナムなどに進出し、中国史上空前の大領土を獲得した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに、自ら「<strong>十全武功</strong>」と称したが、これは10回の遠征ですべて勝利した、武功をあげたという意味である。しかし、祖父の康熙帝が自ら出陣したのとは違い、乾隆帝自身は自らは戦っていない。また、乾隆帝は子供の時にすり替えられた漢人であったという噂も当時の清王朝ではあったようである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>中国屈指の名君と言われる祖父の康熙帝や雍正帝は遅くまで仕事をしたことで有名であるが、乾隆帝も非常に勤勉であったようである。また、統治60年で上皇となったのも、<span class="ymarker-s"><strong>祖父である康熙帝の61年を超えないように、という配慮</strong></span>だったようで、人間としても出来ているようである。もっとも、引退後も上皇として権力は握っていたようであるが・・・。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>なお、末期には認知症を患っていたのではないかと言われており、奸臣の跋扈を許すなど評判を若干落としている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>中国皇帝の養生レシピ</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>さて、最後に長生きした皇帝たちが愛した養生レシピを一つ紹介したい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>周王朝の制度習慣を紹介した<span class="ymarker-s"><strong>「周礼（しゅらい）」によると、医師の中の最高位は「食医」</strong></span>、すなわち、王の食事の調理・管理を任されていた医師であったという。外科医や内科医よりも上の立場であったようで、まさに漢方の思想の医食同源である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>食べることはすなわち医療で、<strong>予防医学が重視されていた</strong>のであった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6285" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/eEdG-hnfikve1173429.jpg" alt="" width="600" height="341" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/eEdG-hnfikve1173429.jpg 600w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/eEdG-hnfikve1173429-300x171.jpg 300w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>宮殿には食事をつかさどる部門があり、毒殺を恐れたという事もあり、大変厳重に管理されていたようである。現在の故宮でもこの名残を見ることができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6284 size-full" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/AqZE-hnfikve1173326.jpg" alt="" width="600" height="454" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/AqZE-hnfikve1173326.jpg 600w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/AqZE-hnfikve1173326-300x227.jpg 300w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#F0FFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p><strong>熱冬果（rè dōng guǒ）</strong></p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6293" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/MvGkct-2.jpg" alt="" width="591" height="402" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/MvGkct-2.jpg 591w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/MvGkct-2-300x204.jpg 300w" sizes="(max-width: 591px) 100vw, 591px" /></p>
<p><strong>唐の太宗李世民が風邪をひいたとき、侍医が献上したレシピ</strong>。大変効果があり、その後、明の宮廷で愛されるようになったという。</p>
<p>「熱冬果」とは、温めた梨（なし）のことで、蘭州の梨は極めて品質が良く「冬果」と呼ばれた。</p>
<p>明時代の薬学書「本草綱目」では、梨は熱を下げ、肺を潤し、熱を取り、解毒の効果などもあるとされている。</p>
<p>作り方は簡単で、切り刻んだ梨を、花椒や生姜、氷砂糖と一緒に約20分ほど熱するだけ。好みによりナツメを入れたりもする。</p>
<p><strong>現代中国でも結構見かける食べ物</strong>である。</p>
</div></div>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>The post <a href="https://chinastyle.jp/kouteitop5/">古代で最も危険な職業「皇帝」中国皇帝長寿トップ5（中国歴代83王朝611皇帝中）</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://chinastyle.jp/kouteitop5/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>漫画で分かる孔子の一生4（中国語連環画日本語翻訳）</title>
		<link>https://chinastyle.jp/konglaoer4/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=konglaoer4</link>
					<comments>https://chinastyle.jp/konglaoer4/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[chinastyle]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 11 Jan 2021 04:48:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[歴史・文化]]></category>
		<category><![CDATA[孔老二]]></category>
		<category><![CDATA[連環画]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://chinastyle.jp/?p=6083</guid>

					<description><![CDATA[<p>中国で50～60年代に流行した連環画（子供向けの絵物語、中国式の漫画）から「孔子の罪深い一生」（原題：孔老二罪恶的一生）をご紹介。孔子と言えば中国では文聖とも崇められ、個人としてはおそらく最も尊敬され ...</p>
The post <a href="https://chinastyle.jp/konglaoer4/">漫画で分かる孔子の一生4（中国語連環画日本語翻訳）</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p>中国で50～60年代に流行した連環画（子供向けの絵物語、中国式の漫画）から「孔子の罪深い一生」（原題：孔老二罪恶的一生）をご紹介。孔子と言えば中国では文聖とも崇められ、個人としてはおそらく最も尊敬されている最高の人格であるが、文革時代には、封建主義の象徴として、林彪と一緒に批判の対象となった。この時に書かれたのが今回の連環画で、孔子が非常に批判的に描かれており、貴重な資料となっている。ただ、孔子の一生を勉強するという意味では有益である。</p>
<p>※孔子の子は先生を現す尊称であるが、文革期には本名の孔丘と呼びすてされ、さらには孔老二（孔家の次男坊）と蔑称された</p>
</div></div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>＜前回記事はこちら＞</strong></p>
			<a href="https://chinastyle.jp/konglaoer3/" class="st-cardlink">
			<div class="kanren st-cardbox">
								<dl class="clearfix">
					<dt class="st-card-img">
															<img decoding="async" width="150" height="150" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-150x150.jpg" class="attachment-st_thumb150 size-st_thumb150 wp-post-image" alt="" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-150x150.jpg 150w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-60x60.jpg 60w" sizes="(max-width: 150px) 100vw, 150px" />												</dt>
					<dd>
													<h5 class="st-cardbox-t">漫画で分かる孔子の一生3（中国語連環画日本語翻訳）</h5>
						
													<div class="st-card-excerpt smanone">
								<p>中国で50～60年代に流行した連環画（子供向けの絵物語、中国式の漫画）から「孔子の罪深い一生」（原題：孔老二罪恶的一生）をご紹介。孔子と言えば中国では文聖とも崇められ、個人としてはおそらく最も尊敬され &#8230; </p>
							</div>
																			<p class="cardbox-more">続きを見る</p>
											</dd>
				</dl>
			</div>
			</a>
			
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6151" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/61.jpg" alt="" width="563" height="456" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/61.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/61-300x243.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（61）子路はがっかりして、もう一人の体ががっしりとして、両脚ともに泥だらけの農民に道を尋ねた。彼は機嫌悪そうに「ふん、あの社会変革に反対している頑固な老人と一緒にいくよりも、俺たちと田んぼでも耕していたほうが良いぞ」というと、耕作を続けて、口を閉ざしてしまった。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6152" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/62.jpg" alt="" width="562" height="477" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/62.jpg 562w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/62-300x255.jpg 300w" sizes="(max-width: 562px) 100vw, 562px" /></p>
<p>（62）子路はがっかりして道に戻ると、孔子（孔老二）が居なくなっていた。通りがかりの年老いた農民を止めて「私の先生をみなかったですか？」と道を尋ねた。この年老いた農民は彼が孔子（孔老二）を探していると知ると、唾を吐いて「知識を身に着けていても役に立たない、これがなんの先生だというんだ」と言った。労働者にとって、孔子（孔老二）はただの愚か者で、寄生虫にすぎなかったのだ。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6153" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/63.jpg" alt="" width="565" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/63.jpg 565w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/63-300x243.jpg 300w" sizes="(max-width: 565px) 100vw, 565px" /></p>
<p>（63）子路がこれらの話を孔子（孔丘）に告げると、孔子（孔老二）はボーっとして言葉を発することが出来なかった。列国を幾年も周遊したが、ついにはみんなに叩けと叫ばれるような、嫌われ者になってしまったのである。歴史の流れに逆行するような反動派はすべて、恥ずべき末路にたどり着くのである。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6154" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/64.jpg" alt="" width="563" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/64.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/64-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（64）瞬く間に数年が過ぎた。どこでも壁にぶち当たった孔子（孔老二）は、突然魯国の執政の季康子が彼の学生の冉求を重用していると聞いた。彼は得意になって飛び跳ねて「帰国の希望が出てきた！帰国の希望が出てきた！私の学生は才能が有るので、また権力を握れるぞ」というと、すぐに魯国に戻る決心をした。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6155" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/65.jpg" alt="" width="563" height="460" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/65.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/65-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（65）紀元前484年、頑固に奴隷制を復活させるため東奔西走した孔子（孔老二）は、すでに68歳になっていた。彼はついに、夕日が西に傾く黄昏時に、ボロボロの馬車に乗って、散々の体たらくで故郷の魯国の都（今の山東省曲阜）に戻ったのである。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6156" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/66.jpg" alt="" width="563" height="459" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/66.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/66-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（66）頑固さは変わらない孔子（孔老二）は、身体は老いても心は変わっていなかった。魯国の新興地主階級の実権派に対しては気に入らないことばかりであった。季康子は奴隷制の生産体系を改革して、田賦制度を実行しようとしていた。孔子（孔老二）は新しい事すべてを”天下の無道”と侮蔑して、必死に反対した。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6157" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/67.jpg" alt="" width="562" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/67.jpg 562w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/67-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 562px) 100vw, 562px" /></p>
<p>（67）本来、孔子（孔老二）は冉求を通して奴隷制度を復興させるという夢を実現しようと考えていた。しかし、冉求は彼の話を聞かず、季康子を手伝って改革を行い、旧貴族に打撃を与えていた。孔子（孔老二）は雷のように怒って「冉求め、奴はすでに私の門徒ではない、みんな奴をやっつけるんだ」と学生たちを扇動した。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6158" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/68.jpg" alt="" width="562" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/68.jpg 562w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/68-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 562px) 100vw, 562px" /></p>
<p>（68）孔子（孔老二）は一日中旧貴族たちと一緒にいた。しばらくすると、秦の国から、奴隷反乱の頭目の柳下跖が9000人の反乱軍を率いて、城を攻撃し、奴隷主を生け捕りにして、殺害して晒しものにして、勢力を拡大させている、という情報が伝わってきた。孔子（孔老二）は肝を潰している旧貴族に建策し、自ら柳下跖に投降を進めに行くことにした。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6159" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/69.jpg" alt="" width="563" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/69.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/69-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（69）柳下跖はちょうど仲間たちと山で休息しており、孔子（孔老二）がやってきたと聞いて、激怒して「この老人は、耕作もしないのに飯を食って、織物もしないのに服を着て、言葉だけで物事の善と悪を語る、陰険で詐欺師のような偽聖人だ。彼は官職だけを気にする心の貧しい奴で、時代錯誤の復興をしようとしており、罪は非常に重い！はやく追い返せ」と言った。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6160" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/70.jpg" alt="" width="561" height="457" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/70.jpg 561w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/70-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 561px) 100vw, 561px" /></p>
<p>（70）しかし、孔子（孔老二）は厚かましくも去ろうとしなかったため、柳下跖は連れてくるように言った。孔子（孔老二）は柳下跖にあうと、お辞儀して両手を合わせて、彼にお世辞を言った。「将軍は見た目も良く、聡明で、兵を引き連れての作戦にも優れており、本当にまれな人材です。しかし、、、」</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6161" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/71.jpg" alt="" width="562" height="457" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/71.jpg 562w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/71-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 562px) 100vw, 562px" /></p>
<p>（71）彼はいきなり話を切り出して「お前は、人々から盗跖と呼ばれている。残念なことである。もし、お前が二度と反乱しないのであれば、お前に代わって君主に説明して、高官になれるように保証しよう」と言った。柳下跖は剣を抜いて「ふん！表面上は良い話をしておいて、裏では罠をしかけている悪人め！俺を騙そうとしても、それは無理だぞ」と怒鳴った。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6162" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/72.jpg" alt="" width="563" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/72.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/72-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（72）孔子（孔老二）はまたお得意の”克己復礼””修文武之道”を持ち出したが、柳下跖は馬鹿にしたように大笑いして「お前はこのごみような理論は天下に通じる論理だと言っているが、ではお前はなぜ斉や魯で出世できず、陳や蔡では包囲されて、衛では危うく死にかけたのか。どこに行っても壁にぶつかっているのは何故だ」と言った。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6163" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/73.jpg" alt="" width="563" height="457" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/73.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/73-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（73）柳下跖は孔子（孔老二）の鼻を指して「お前は名誉を求めて天下を惑わせている！正真正銘の盗丘（盗賊の孔丘）だ！お前が投降を勧めに来たこの芝居も、君主から褒美をもらいたいだけだろう！お前の君主に伝えるが良い。俺たちはまさに、お前たち自らが思っているこの”君子大人”の天国をひっくり返したいのだ」と罵倒した。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6164" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/74.jpg" alt="" width="566" height="455" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/74.jpg 566w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/74-300x241.jpg 300w" sizes="(max-width: 566px) 100vw, 566px" /></p>
<p>（74）言い終わると、柳下跖は命令して、孔子（孔老二）を追い払った。孔子（孔老二）は方向も分からなかった。顔は色を失って、慌てたため馬の綱も三度落して、頭を抱えて「早くいけ、早くいけ」と何度も叫んだ。一緒にやってきた顔淵、子貢も脱兎のごとく逃げた。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6165" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/75.jpg" alt="" width="564" height="456" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/75.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/75-300x243.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（75）この事で醜態を演じ、孔子（孔老二）は彼の孔家学校を継続せざるを得なかった。無学無芸の孔子（孔丘）は、革命理論を理解できない上に、労働もできない役立たずであった。彼が学生に教えたいわゆる礼楽仁義も奴隷主貴族たちの死にかかった旧文化であった。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6166" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/76.jpg" alt="" width="563" height="457" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/76.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/76-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（76）何人かの学生は、孔子（孔老二）の花崗岩のように固い頭で棺桶に入るような頑固な態度に不満を表した。樊遅は皆の前で田を植える知識を教えるように求めた。孔子（孔老二）は真面目に取りあわず「農民に聞け」と言った。樊遅はまたどのように野菜を植えるのか教えてほしいと言ったが、孔子（孔老二）は暗い顔をして「野菜農家に聞け」と言った。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6167" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/77.jpg" alt="" width="565" height="439" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/77.jpg 565w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/77-300x233.jpg 300w" sizes="(max-width: 565px) 100vw, 565px" /></p>
<p>（77）樊遅は続けてこのように言われて、去っていくしかなかった。孔子（孔老二）は裏で「樊遅は本当に小人である。君子がどうして自ら田を耕すのだ？畑仕事などしても飢えるだけだ、勉強して官僚になってこそ金持ちになれるのだ」と罵った。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6168" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/78.jpg" alt="" width="563" height="457" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/78.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/78-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（78）学生に全面的に奴隷教育をする以外にも、孔子（孔老二）は歴史書を編纂し、大胆に歴史を改ざんし、奴隷制を復活させるため、本を書いた。この歴史書は「春秋」と言い、奴隷主を美化し、新興地主を排斥し、歴史を逆戻りさせる反動歴史観を宣伝した。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6169" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/79.jpg" alt="" width="563" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/79.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/79-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（79）孔子（孔老二）が老いた体にムチ打ち「春秋」を完成させた時、すでに70歳になっていた。彼の学生たちは、死んだものは死に、去っていったものは去り、周りには数人しか残っていなかった。老人はなんども「私の理想は終わった！私の理想は終わった！誰も私を理解してくれず、まさに天のみぞ知るだ！」とぼやいた。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6170" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/80.jpg" alt="" width="563" height="456" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/80.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/80-300x243.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（80）紀元前479年の春、孔家の薄暗い隅っこで、73歳の孔子（孔老二）はすでに病膏肓（こうこう）に入り、薬も効かない状態になっていた。この日の朝方、彼はなんとか起き上がって、意識がもうろうとしたまま杖を突いて門に寄りかかった。大地には太陽の光がふりそそいでいたが、彼は反対に目の前が真っ暗に感じた。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6171" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/81.jpg" alt="" width="559" height="456" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/81.jpg 559w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/81-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 559px) 100vw, 559px" /></p>
<p>（81）7日後、孔子（孔老二）は息を引き取り、彼の花崗岩のように固い頭と一緒に棺桶に入った。彼の奴隷制を復活させようという夢は、新興封建社会制が奴隷社会制に取って代わった、ごうごうと流れる歴史の流れにより、粉砕されてしまった。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6172" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/82.jpg" alt="" width="564" height="476" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/82.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/82-300x253.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（82）孔子（孔老二）が残したのは、歴史を改変した「春秋」以外に、門徒が孔子（孔丘）の反動言論を編纂した「論語」がある。のちに、古今内外の反動統治階級が、これらを人民を統治するための思想的な武器とし、孔子（孔丘）を”聖人”と言った。しかし実際には、孔子（孔老二）は反革命の頑固者であった。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6150" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/83.jpg" alt="" width="563" height="495" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/83.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/83-300x264.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（83）我が国の歴史上、労働人民は反孔子闘争の前列に立つ、孔子批判の主力軍であった。歴史上の農民革命闘争は、陳勝・呉広から太平天国までずっと、反動統治階級から”聖人”と崇められた孔子（孔老二）と彼の反動思想体系と猛烈に戦ってきたのである。彼らの孔子（孔老二）批判は、回を追うごとに勇敢に、深刻になってきたのである。彼らのこの種の反孔子の革命精神は、我が国の労働人民革命の闘争の歴史において、永遠に朽ちない光を放ち続けるのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>＜もっとたくさんの中国漫画”連環画”が見たい人は<a href="https://chinastyle.jp/tag/%e9%80%a3%e7%92%b0%e7%94%bb/">こちら</a>＞</strong></p>
<p>&nbsp;</p>The post <a href="https://chinastyle.jp/konglaoer4/">漫画で分かる孔子の一生4（中国語連環画日本語翻訳）</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://chinastyle.jp/konglaoer4/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>漫画で分かる孔子の一生3（中国語連環画日本語翻訳）</title>
		<link>https://chinastyle.jp/konglaoer3/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=konglaoer3</link>
					<comments>https://chinastyle.jp/konglaoer3/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[chinastyle]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 08 Jan 2021 02:00:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[歴史・文化]]></category>
		<category><![CDATA[孔老二]]></category>
		<category><![CDATA[連環画]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://chinastyle.jp/?p=6082</guid>

					<description><![CDATA[<p>中国で50～60年代に流行した連環画（子供向けの絵物語、中国式の漫画）から「孔子の罪深い一生」（原題：孔老二罪恶的一生）をご紹介。孔子と言えば中国では文聖とも崇められ、個人としてはおそらく最も尊敬され ...</p>
The post <a href="https://chinastyle.jp/konglaoer3/">漫画で分かる孔子の一生3（中国語連環画日本語翻訳）</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p>中国で50～60年代に流行した連環画（子供向けの絵物語、中国式の漫画）から「孔子の罪深い一生」（原題：孔老二罪恶的一生）をご紹介。孔子と言えば中国では文聖とも崇められ、個人としてはおそらく最も尊敬されている最高の人格であるが、文革時代には、封建主義の象徴として、林彪と一緒に批判の対象となった。この時に書かれたのが今回の連環画で、孔子が非常に批判的に描かれており、貴重な資料となっている。ただ、孔子の一生を勉強するという意味では有益である。</p>
<p>※孔子の子は先生を現す尊称であるが、文革期には本名の孔丘と呼びすてされ、さらには孔老二（孔家の次男坊）と蔑称された</p>
</div></div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>＜前回記事はこちら＞</strong></p>
			<a href="https://chinastyle.jp/konglaoer2/" class="st-cardlink">
			<div class="kanren st-cardbox">
								<dl class="clearfix">
					<dt class="st-card-img">
															<img decoding="async" width="150" height="150" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-150x150.jpg" class="attachment-st_thumb150 size-st_thumb150 wp-post-image" alt="" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-150x150.jpg 150w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-60x60.jpg 60w" sizes="(max-width: 150px) 100vw, 150px" />												</dt>
					<dd>
													<h5 class="st-cardbox-t">漫画で分かる孔子の一生2（中国語連環画日本語翻訳）</h5>
						
													<div class="st-card-excerpt smanone">
								<p>中国で50～60年代に流行した連環画（子供向けの絵物語、中国式の漫画）から「孔子の罪深い一生」（原題：孔老二罪恶的一生）をご紹介。孔子と言えば中国では文聖とも崇められ、個人としてはおそらく最も尊敬され &#8230; </p>
							</div>
																			<p class="cardbox-more">続きを見る</p>
											</dd>
				</dl>
			</div>
			</a>
			
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6131" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/41.jpg" alt="" width="565" height="477" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/41.jpg 565w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/41-300x253.jpg 300w" sizes="(max-width: 565px) 100vw, 565px" /></p>
<p>（41）新興地主階級の勢力は徐々に弱まっていき、孔子（孔丘）は続いて核新派の少正卯を逮捕して、５つの罪状を捏造した。１）過去から現在への変化に精通しており危険分子である、２）正道を歩まず、革新を実行しようとしている、３）きれいな言葉で革新道理を宣伝している、４）奴隷制を貶めている、５）奴隷制に反対する理由を宣伝している、である。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6132" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/42.jpg" alt="" width="564" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/42.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/42-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（42）孔子（孔老二）は横暴にも、少正卯のすべての罪状がひとつひとつ殺害に値すると認識していた。彼は凶暴さをむき出しにして、民衆を集めて徒党を組んで、邪説を喧伝し、正しい事と間違っていることを混乱させている、という罪で少正卯を死刑にした。死体を3日間晒して、革新派の人たちを威嚇した。これは瀕死の奴隷主貴族が新興封建勢力を残酷に鎮圧した、という事例である。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6133" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/43.jpg" alt="" width="565" height="461" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/43.jpg 565w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/43-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 565px) 100vw, 565px" /></p>
<p>（43）新興の封建社会勢力も、奴隷主階級の専制を許しはしなかった。彼らは離間の計を用いて、魯の定公を一日中歌や踊り、酒に夢中にさせて、孔子（孔丘）に対してい冷たくさせた。孔子（孔老二）はおかしい気配を感じ、試しに魯の定公に辞職を提出してみた。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6134" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/44.jpg" alt="" width="563" height="459" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/44.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/44-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（44）定公は引き留めることはなかった。55歳の孔子（孔老二）は学生たちを連れて魯国を離れざるを得ず、別の国に行って奴隷制を復活させようと夢想した。この時、子路の親戚が衛国の君主の寵愛を受けている臣下であることを思い出し、コネを使えると思い、まず衛国に行くことを決めた。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6135" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/45.jpg" alt="" width="564" height="459" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/45.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/45-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（45）孔子（孔老二）は様々な手段を使って衛の霊公に謁見し、また”君君臣臣”や”克己復礼”、”亡くなった国と家を再興し、旧貴族を採用する”といった一連の主張を喧伝した。衛の霊公は魯国と同水準の報酬で彼を採用することに同意した。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6136" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/46.jpg" alt="" width="564" height="460" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/46.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/46-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（46）衛国の新興地主勢力は早くから孔子（孔老二）を警戒しており、衛の霊公に「孔子（孔老二）は多くの従者をつれており、もしも彼が何かを画策すれば大変です」と警告していた。霊公も用心して、腹心を派遣して孔子（孔丘）を監視させた。孔子（孔老二）がどこに行くのも、この人は一緒についていった。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6137" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/47.jpg" alt="" width="564" height="440" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/47.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/47-300x234.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（47）孔子（孔丘）はこの扱いに耐え切れず、数か月もたたずに、学生たちと衛国を離れた。衛国辺境の匡城（今の河南省長垣）まで来たあたりで、突然、両脇から数百人の農民が飛び出してきて、彼らを取り囲んだ。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6138" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/48.jpg" alt="" width="562" height="459" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/48.jpg 562w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/48-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 562px) 100vw, 562px" /></p>
<p>（48）これらの農民は奴隷から解放されたばかりの者たちで、彼らは孔子（孔老二）が各所を訪れて、奴隷制を復活させて、奴隷主貴族による支配を復活させようとしていると知り、孔子（孔老二）を殺害しようとしていた。孔子（孔丘）の学生たちは、みな驚いて顔色をなくし、どうしようもなかった。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6139" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/49.jpg" alt="" width="563" height="459" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/49.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/49-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（49）匡城の農民たちは孔子（孔丘）たちを5日間包囲し、彼らに動くことを許さなかった。孔子（孔老二）は車の中で震えながら「私は中国文化の継承人だ。もし神が文化を滅亡させようとしているなら私ももう終わりだ。もしも神が文化を滅亡させようとしていないなら、匡城の人たちは私をどうにもできない」と自画自賛した。彼はまた”天命”を持ち出して、仲間を勇気づけたのだ。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6140" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/50.jpg" alt="" width="558" height="421" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/50.jpg 558w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/50-300x226.jpg 300w" sizes="(max-width: 558px) 100vw, 558px" /></p>
<p>（50）最後に、孔子（孔老二）は卑怯な手で、学生たちを農民のもとに派遣して哀願させて、やっと包囲は解かれた。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6141" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/51.jpg" alt="" width="564" height="457" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/51.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/51-300x243.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（51）彼らはぼろぼろになって黄河までやってきた。まさに黄河を渡って晋国に行こうとしたとき、晋国の権力者の趙筒子が旧貴族を二人殺害したという情報が伝わってきた。孔子（孔老二）は驚いて、晋に入ることが出来なかった。彼はこうこうと流れる濁流をみながら「神よ。黄河を渡ることができないのも、きっと運命なのだろう」と嘆いた。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6142" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/52.jpg" alt="" width="563" height="479" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/52.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/52-300x255.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（52）別の道がないため、孔子（孔老二）は厚かましくも衛国に引き返した。衛の霊公は彼がまたやってきたのを嫌がり、ある時わざと「どのように戦争すべきか意見を聞かせてくれ」と問うた。孔子（孔老二）は「私は戦争はできません。礼を行うだけです」と答えた。霊公は孔子（孔丘）を相手にせず、頭をあげて天を飛ぶ雁の群れを見ており、孔子（孔老二）は非常に居心地が悪かった。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6143" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/53.jpg" alt="" width="562" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/53.jpg 562w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/53-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 562px) 100vw, 562px" /></p>
<p>（53）衛国には居場所もなく、孔子（孔老二）は不愉快ながらも宋国の領内にやってきた。この日、彼と学生は大樹の下で休み、”周礼”の演習をしていた。すると突然、名を桓魋という宋国の司馬（軍隊を管掌）を先頭とする人たちがやって来た。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6144" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/54.jpg" alt="" width="563" height="459" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/54.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/54-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（54）桓魋は宋国の新興地主で、奴隷主の忠実な下僕である孔子（孔老二）をとても恨んでいた。彼は部下に命じて大樹を倒させ、まだ偉そうに言うなら孔子（孔丘）を殺すと言った。孔子は強がりながらも恐怖して、ぶつぶつと「私は天から与えられた才能があり、彼が殺そうとしても私は恐れない」と言いながら、さっさと逃げてしまった。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6145" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/55.jpg" alt="" width="563" height="460" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/55.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/55-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（55）この後、孔子（孔老二）は陳国、蔡国、楚国を訪れたが、どこも”天下大乱”の時代であり、彼の”克己復礼”という時代に逆行した主張は、どこでも需要がなかった。孔子（孔老二）は一生懸命「私を重用してくれれば、一年以内に結果を出す」とうそぶいたが、誰も彼を信じる者はいなかった。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6146" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/56.jpg" alt="" width="564" height="477" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/56.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/56-300x254.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（56）陳と蔡の国境付近で、孔子（孔老二）は当地の新興地主に郊外で包囲された。数日間食べ物もなく、学生も病に倒れた。孔子（孔老二）は学生に「私は虎でもなければ野牛でもない。このように落ちぶれて荒野をさまよっているのは何故だろう」と問うた。子貢は「先生の主張は、今の世の中では通らないからです」と言った。孔子（孔老二）はこれを聞くと大いに怒った。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6147" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/57.jpg" alt="" width="560" height="457" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/57.jpg 560w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/57-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 560px) 100vw, 560px" /></p>
<p>（57）愛弟子の顔淵は「我々の主張は素晴らしいのに、各国の権力者はこれを実行しない。これは彼らの恥である。彼らが我々を顧みない事により、更に我々が偉大であると示している事になるのだ」と耳ざわりの良いことを言った。孔子（孔丘）は「すばらしい！顔家のせがれよ！もしもお前が金持ちだったら、きっと会計を任せていただろう」と何度も賞賛した。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6148" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/58.jpg" alt="" width="562" height="459" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/58.jpg 562w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/58-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 562px) 100vw, 562px" /></p>
<p>（58）労働者たちは頑固派の孔子（孔老二）を大変軽蔑し憎悪していた。鄭国では、孔子（孔丘）と門徒たちは離れ離れとなり、孤独に城の東門に佇み失望していた。鄭国の人たちは彼を”家を失った犬”と罵った。子貢がこの話を孔子（孔老二）に報告すると、孔子（孔老二）も自らが”誰も顧みない家を失った犬のようだ”と認めざるを得なかった。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6149" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/59.jpg" alt="" width="563" height="459" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/59.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/59-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（59）孔老二と学生たちは蔡国に向かう途中で道に迷った。孔子（孔老二）は子路を派遣して、畑を耕していた二人の農民に道を聞きに行かせた。全身汗びっしょりになった身長の高い農民が「車の上に載っている老人は誰だい？」と逆に聞いてきた。子路は「孔子（孔丘）様だ」と答えた。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6130" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/60.jpg" alt="" width="561" height="439" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/60.jpg 561w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/60-300x235.jpg 300w" sizes="(max-width: 561px) 100vw, 561px" /></p>
<p>（60）身長の高い男は「魯国のあの孔子（孔老二）か？」とまた聞いてきたので、子路は頷いた。彼は「ふん！」と冷笑し、「彼は天才なのだろ、道なんて知っているはずだ、どうして俺に聞くんだ」と言った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>＜つづきはこちら＞</strong></p>
			<a href="https://chinastyle.jp/konglaoer4/" class="st-cardlink">
			<div class="kanren st-cardbox">
								<dl class="clearfix">
					<dt class="st-card-img">
															<img decoding="async" width="150" height="150" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-150x150.jpg" class="attachment-st_thumb150 size-st_thumb150 wp-post-image" alt="" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-150x150.jpg 150w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-60x60.jpg 60w" sizes="(max-width: 150px) 100vw, 150px" />												</dt>
					<dd>
													<h5 class="st-cardbox-t">漫画で分かる孔子の一生4（中国語連環画日本語翻訳）</h5>
						
													<div class="st-card-excerpt smanone">
								<p>中国で50～60年代に流行した連環画（子供向けの絵物語、中国式の漫画）から「孔子の罪深い一生」（原題：孔老二罪恶的一生）をご紹介。孔子と言えば中国では文聖とも崇められ、個人としてはおそらく最も尊敬され &#8230; </p>
							</div>
																			<p class="cardbox-more">続きを見る</p>
											</dd>
				</dl>
			</div>
			</a>
			
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>＜もっとたくさんの中国漫画”連環画”が見たい人は<a href="https://chinastyle.jp/tag/%e9%80%a3%e7%92%b0%e7%94%bb/">こちら</a>＞</strong></p>
<p>&nbsp;</p>The post <a href="https://chinastyle.jp/konglaoer3/">漫画で分かる孔子の一生3（中国語連環画日本語翻訳）</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://chinastyle.jp/konglaoer3/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>中国最後の首切り死刑執行人 鄧海生の物語～一人につき1年分の高収入も晩年は悲惨な最期を迎える</title>
		<link>https://chinastyle.jp/guizishou/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=guizishou</link>
					<comments>https://chinastyle.jp/guizishou/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[chinastyle]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 Jan 2021 01:30:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[歴史・文化]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://chinastyle.jp/?p=6190</guid>

					<description><![CDATA[<p>&#160; 生涯で300人以上の首を切った中国最後の首切りによる死刑執行人である鄧海生の物語をご紹介したい。日本の江戸時代にも山田浅右衛門が首切りを行ったように、中国でも国家から委託されて首切りを生 ...</p>
The post <a href="https://chinastyle.jp/guizishou/">中国最後の首切り死刑執行人 鄧海生の物語～一人につき1年分の高収入も晩年は悲惨な最期を迎える</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p>生涯で300人以上の首を切った<span class="ymarker-s">中国最後の首切りによる死刑執行人である鄧海生</span>の物語をご紹介したい。日本の江戸時代にも山田浅右衛門が首切りを行ったように、中国でも国家から委託されて首切りを生業とするものが居た。<strong>山田浅右衛門が3万石の大名と同じくらいの収入があったというように、彼もお金には困らなかった</strong>が、罪の意識から出家をしようとしても断られ、生涯結婚してくれる女性もなく、晩年は悲惨なものであったという。</p>
</div></div>
<p>&nbsp;</p>
<h2>中国の首切り人の概要</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6191" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/a1a7ee66a6264a77859b1d27d9b69945_tplv-obj_724_579.jpg" alt="" width="600" height="480" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/a1a7ee66a6264a77859b1d27d9b69945_tplv-obj_724_579.jpg 724w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/a1a7ee66a6264a77859b1d27d9b69945_tplv-obj_724_579-300x240.jpg 300w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>古代から中国では、因果応報が信じられており、首切り人になりたいと思う人はあまり居なかった。しかしながら、朝廷が高額の報酬を支払うため、生活に困窮している貧乏人が死刑執行人になった。鄧海生もこのような貧乏人であった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>首切り人と言っても一生懸命に刀を練習しなければならず、カボチャや冬瓜を使って訓練し、<strong>ある程度の腕間になって初めて刑場に立つことを許された</strong>という。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>清朝が滅亡すると、当時の北洋政府は死刑の方法を銃殺と改めたものの、当時は軍閥が多すぎてコントロールできていなかった。各地の軍閥は見せしめによる犯罪抑制を目的に、従来通りの首切りを好んで用いた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そのため、首切り人という職業はなくなることはなく、清朝滅亡後も鄧海生が失業することは無かった。彼が60歳の時、法律で銃殺が明文化されると、ついに鄧海生は失業したのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>北京の死刑場</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>北京の死刑場は清朝初期に<strong>菜市口</strong>に定められた。現在の西城区の菜市口大街があるあたりである。下の地図で見ると、天壇公園の西側あたりにあたる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6224" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/noname.jpg" alt="" width="600" height="351" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/noname.jpg 1715w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/noname-300x175.jpg 300w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/noname-1024x598.jpg 1024w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/noname-768x449.jpg 768w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/noname-1536x897.jpg 1536w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>清朝初期に、満州民族は北京城内に住み、漢人は北京城外に住むという風に区別され、北京城外にあたった菜市口のあたりに刑場が移されたと言われている。これは、公開で死刑にすることにより、漢人への見せしめとするためであった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6223" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/cai.jpg" alt="" width="640" height="333" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/cai.jpg 640w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/cai-300x156.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>清朝末期の写真が残っているが、多くの観衆が見物に来ているのが分かる。この場で、戊戌の政変に参加し死刑となった譚嗣同などの六君子や義和団に参加した多くの民衆たち、その他多くの人たちの命が消えていったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>高額な報酬</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>鄧海生が語ったところによると、死刑執行に当たっては、彼は刀に酒を一口吹きかけていたようである。死刑囚の注意力を分散させるため、別の人が刀を持って死刑囚の前面に立ち、犯人が前ばかり気にしているときに、彼が後ろからこっそりと突然刀を振るい、犯人の反応が間に合わないうちに、死刑を執行していた。任務が終了して刑場を離れるときには、後ろを振り返らないようにしていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>鄧海生は当時、<strong>一人を斬るごとに4両の銀</strong>をもらっており、これは<span class="ymarker-s"><strong>普通の人の1年分の収入に相当する</strong></span>かなりの高収入であった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また<span class="ymarker-s"><strong>犯人の家族からも紅包（祝儀のお金）をもらっていた</strong></span>という。これは優しく首を切ってもらったお礼というようなものではない。当時、中国では、首と体が離れてしまうと、埋葬できず、刑場に野ざらしにされたため、犯人の家族は、皮一枚つながるように首を切ることを願ったという。これが成功すると遺体をすべて持って帰ることが出来たのである。鄧海生は剣技が優れた首切り人であり、これを簡単にやってのけたという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また、この時代の人はその他にも多くの迷信を信じており、<strong>人の血は病をいやすことが出来る</strong>と言われていたが、鄧海生に賄賂を渡さないと、血に触れることが出来なかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-6192" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/1352452413-3.jpg" alt="" width="600" height="301" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/1352452413-3.jpg 581w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/1352452413-3-300x150.jpg 300w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そのため、彼はお金に困ったことは無かったが、女性には事欠いた。彼を見ると男性も震え上がり、親戚や友人も彼と交流しようとはしなかったという。女性は言うまでもなく、ましてや妻をめとることは難しかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>悲惨な最期</h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>彼の晩年は悲惨なものであった。<strong><span class="ymarker-s">生涯で殺した人数が多すぎて、いつも内心不安を抱え、たびたび悪夢を見たという</span>。</strong>そのため、彼は善行を積もうと、家財を寄付したりもした。<strong><span class="ymarker-s">何度か出家して僧侶になろうとしたが、寺から拒否された</span>。生涯結婚もできなかったため、息子も娘もおらず、最後を看取るものもいなかった。</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>迷信が多かった時代であり、運命が悪いとされた女性が、彼と数日間を過ごし、その殺気で運命を変えようとすることはあったようである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>晩年の鄧海生には頼る者もなく、何日も食べずに念仏を唱えては、自らの罪の贖罪を祈ったそうであるが、僧侶になることもできず、最後には孤独に亡くなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>臨終の際には「<strong>人を殺すと言っても、国家の法律に則って行っただけなのに、私に何の罪があるというのだ？</strong>」と不平をこぼしたと言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>＜関連記事＞</strong><br />
			<a href="https://chinastyle.jp/lingchi/" class="st-cardlink">
			<div class="kanren st-cardbox">
								<dl class="clearfix">
					<dt class="st-card-img">
															<img decoding="async" width="150" height="145" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2020/11/assp-150x145.jpg" class="attachment-st_thumb150 size-st_thumb150 wp-post-image" alt="" />												</dt>
					<dd>
													<h5 class="st-cardbox-t">凌遅刑（りょうちけい）により処刑された最後の囚人の物語</h5>
						
													<div class="st-card-excerpt smanone">
								<p>凌遅刑（りょうちけい）は別名、千のナイフともいわれ、鋭いナイフを使用して北京ダックのように囚人から肉を切り取る。その回数は、犯罪の重さにより異なる。凌遅刑（りょうちけい）は過去の中国では最も残酷な刑罰 &#8230; </p>
							</div>
																			<p class="cardbox-more">続きを見る</p>
											</dd>
				</dl>
			</div>
			</a>
			</p>The post <a href="https://chinastyle.jp/guizishou/">中国最後の首切り死刑執行人 鄧海生の物語～一人につき1年分の高収入も晩年は悲惨な最期を迎える</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://chinastyle.jp/guizishou/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>漫画で分かる孔子の一生2（中国語連環画日本語翻訳）</title>
		<link>https://chinastyle.jp/konglaoer2/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=konglaoer2</link>
					<comments>https://chinastyle.jp/konglaoer2/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[chinastyle]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 06 Jan 2021 04:34:33 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[歴史・文化]]></category>
		<category><![CDATA[孔老二]]></category>
		<category><![CDATA[連環画]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://chinastyle.jp/?p=6081</guid>

					<description><![CDATA[<p>中国で50～60年代に流行した連環画（子供向けの絵物語、中国式の漫画）から「孔子の罪深い一生」（原題：孔老二罪恶的一生）をご紹介。孔子と言えば中国では文聖とも崇められ、個人としてはおそらく最も尊敬され ...</p>
The post <a href="https://chinastyle.jp/konglaoer2/">漫画で分かる孔子の一生2（中国語連環画日本語翻訳）</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="st-mybox st-mybox-class" style="background:#FFFFF0;border-color:#999999;border-width:2px;border-radius:5px;margin: 25px 0 25px 0;"><div class="st-in-mybox">
<p>中国で50～60年代に流行した連環画（子供向けの絵物語、中国式の漫画）から「孔子の罪深い一生」（原題：孔老二罪恶的一生）をご紹介。孔子と言えば中国では文聖とも崇められ、個人としてはおそらく最も尊敬されている最高の人格であるが、文革時代には、封建主義の象徴として、林彪と一緒に批判の対象となった。この時に書かれたのが今回の連環画で、孔子が非常に批判的に描かれており、貴重な資料となっている。ただ、孔子の一生を勉強するという意味では有益である。</p>
<p>※孔子の子は先生を現す尊称であるが、文革期には本名の孔丘と呼びすてされ、さらには孔老二（孔家の次男坊）と蔑称された</p>
</div></div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>＜前回記事はこちら＞</strong></p>
			<a href="https://chinastyle.jp/konglaoer1/" class="st-cardlink">
			<div class="kanren st-cardbox">
								<dl class="clearfix">
					<dt class="st-card-img">
															<img decoding="async" width="150" height="150" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-150x150.jpg" class="attachment-st_thumb150 size-st_thumb150 wp-post-image" alt="" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-150x150.jpg 150w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-60x60.jpg 60w" sizes="(max-width: 150px) 100vw, 150px" />												</dt>
					<dd>
													<h5 class="st-cardbox-t">漫画で分かる孔子の一生1（中国語連環画日本語翻訳）</h5>
						
													<div class="st-card-excerpt smanone">
								<p>中国で50～60年代に流行した連環画（子供向けの絵物語、中国式の漫画）から「孔子の罪深い一生」（原題：孔老二罪恶的一生）をご紹介。孔子と言えば中国では文聖とも崇められ、個人としてはおそらく最も尊敬され &#8230; </p>
							</div>
																			<p class="cardbox-more">続きを見る</p>
											</dd>
				</dl>
			</div>
			</a>
			
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6111" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/21.jpg" alt="" width="564" height="459" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/21.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/21-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（21）37歳の孔子（孔丘）はがっかりして魯国に戻った。当時、魯国で権力を握っていた李氏などの新興封建勢力を敵視して、反乱分子が権力を握っていると思っていた。自らの政治主張を実現することができないと思い、家で生徒に授業をして、自らの反動影響力を拡大しようと決めた。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6112" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/22.jpg" alt="" width="564" height="461" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/22.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/22-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（22）孔子（孔老二）が学生を教えるにあたり、”仁”という字から離れることができない。彼は”克己復礼”をとなえた。この奴隷制を復活させようという反動的な綱領は「自制して礼を復興させ、天下を仁に帰す」と言っており、つまり自己に打ち勝ち、自らの言行を周の礼制と一致させる必要があると言っている。このようにすれば、天下の人は孔子の統治に帰順するのである。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6113" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/23.jpg" alt="" width="564" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/23.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/23-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（23）”仁”は孔子（孔老二）の反動思想の核心である。”克己復礼、天下帰仁”と唱えることにより、殷周の奴隷制度を復活させ、歴史の歯車を昔に戻そうとしているのである。この夢を実現させるため、彼は再三学生に「仁者には勇が必要で、奴隷と核心派に対して厳しく対処することで、奴隷主の統治を維持できるのである」と言い聞かせている。</p>
<div class="graybox">
<p>TIPS：「仁」は孔子の儒教思想の根本概念ですが、孔子自身が明確な定義をしておらず、個別の説明が加えられているだけなので非常に理解しにくい概念。一般的には、”他者の心中を思いやること”であると解説される。ちなみに、同様に重要な”義”は”自己の利益を顧みずに他者のためにつくす”ということであり、孟子は”仁義”を最高道徳とした。</p>
</div>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6114" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/24.jpg" alt="" width="563" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/24.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/24-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（24）樊遅という学生が居たが、仁の意味するところをはっきり教えて欲しいと求めた。孔子（孔老ニ）は真面目な顔になり「仁とは皆を愛することだ」と言った。彼はある時は奴隷の虐殺を肯定し、ある時は皆を愛するという。この使い分けは全く詐欺のような話である。樊遅たちは全く理解できなかった。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6115" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/25.jpg" alt="" width="565" height="459" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/25.jpg 565w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/25-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 565px) 100vw, 565px" /></p>
<p>（25）講義の中で、孔子（孔老二）はいつも””仁義道徳”を話した。ある時、ある人がやってきて孔子（孔丘）に「私には同郷の古い友達がおり、正直な人間なのですが、彼の父が羊を盗み、彼はこれを告発しました。これは道徳なのでしょうか？」と尋ねた。孔子（孔老二）は彼に「私は、父親が羊を盗んだら、子供はこれを隠す、これこそが正直と呼ばれるものだと思う」と答えた。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6116" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/26.jpg" alt="" width="565" height="459" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/26.jpg 565w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/26-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 565px) 100vw, 565px" /></p>
<p>（26）孔子（孔老二）の考えでは、お互いに庇い合うのが”仁義道徳”であったようである。学生たちも授業を聞いておられず、サボる者がどんどん多くなっていき、ある時には顔淵一人しか残っていない有様であった。顔淵は孔子（孔丘）のお気に入りの学生であった。彼は孔子（孔丘）に、少正卯というものが塾を開いていて、革新道理を教えており、皆そちらに行ってしまったと告げた。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6117" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/27.jpg" alt="" width="563" height="457" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/27.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/27-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（27）少正卯は新興地主階級の政治思想上の代表であり、しばしば奴隷制の代表である孔子（孔丘）とぶつかった。彼は「西周の奴隷制に囚われて、これを復興するために時代を後ろ戻りさせようとしている人がいるが、必ず壁にぶつかってけがをするだろう」と明言していた。孔子（孔老二）は歯ぎしりをして少正卯を恨んでいたが、どうすることもできなかった。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6118" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/28.jpg" alt="" width="563" height="459" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/28.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/28-300x245.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（28）紀元前513年に、晋国の核新派が、奴隷主の権益を制限する法律条文を鉄の鼎の刻んで、これを民衆に公布した。これにより、奴隷主貴族の特権地位は制限と打撃を受けた。”刑鼎”による法律公布は魯国社会を震動させ、孔子（孔老二）の学生の間でも議論が紛糾した。</p>
<div class="graybox">
<p>TIPS：鼎に法律を刻んで民衆に公布する、という事がこの時期に開始された。春秋時代→戦国時代の移行期には戦争も大規模化し、富国強兵のための中央集権を進める必要があり、明文化された厳格に適用できる法律の必要性が高まっていた。時代はだいぶ後になるが、これを利用して強国化した秦が統一を果たすことになる</p>
</div>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6119" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/29.jpg" alt="" width="562" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/29.jpg 562w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/29-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 562px) 100vw, 562px" /></p>
<p>（29）孔子（孔老二）はこれに対して大いに反対し、カンカンになって「礼は庶人に下らず、刑は大夫に上らず。晋国が刑鼎を作ったのは、身分の貴賤を区別しておらず、国家が国家の様相を呈していない」と怒った。彼は急いで周りを取り囲んでいた学生を追い払った。</p>
<div class="graybox">
<p>TIPS：「礼は庶人に下らず、刑は大夫に上らず」というのは儒教の根本思想ともいうべき部分で、庶民は礼節を知らなくても仕方がないが、ひどい行いをしたら刑罰によって罰せられる、逆に身分の高い大夫は礼によって自らを律しているので法律は不要である、という意味である。君子は自らを律する高い道徳意識を持つべきであり、法律は道徳よりも下位であるとしている。身分を問わずに法律を適用しようとする法家とは、この点で根本的に対立した。</p>
</div>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6120" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/30.jpg" alt="" width="563" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/30.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/30-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>(30)孔子（孔老二）は、教師では志を実現できないと悟った。彼は奴隷制を復興させるには権力が必要だと悟り、官職を求める気持ちを抑えきれず、しばしば学生に「君子が一日とて官職につかないなどあってもよいのか？」と問うた。学生が「あってはなりません」と答えると、孔子（孔老二）は何度も頷き「私は3か月間も官職についておらず、心の中では不安が一杯なのだ」と言った。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6121" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/31.jpg" alt="" width="563" height="478" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/31.jpg 563w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/31-300x255.jpg 300w" sizes="(max-width: 563px) 100vw, 563px" /></p>
<p>（31）瞬く間に数年が過ぎたが、孔子（孔老二）はまだ官職に付けずにいた。ある日、授業が終わると、学生がやってきて「陽虎が人を派遣してきて、先生に会いに来てほしいと言っている」と報告してきた。「陽虎？」孔子（孔丘）はこの名を聞くと、若かりし時に季孫氏の門のところで彼に罵られたのを思い出し「先生は不在だと伝えてくれ」と言った。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6122" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/32.jpg" alt="" width="565" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/32.jpg 565w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/32-300x243.jpg 300w" sizes="(max-width: 565px) 100vw, 565px" /></p>
<p>（32）学生はとても困り「この陽虎は最近とても勢力があり、主人の季氏でさえ彼の手中で操作されています。それに、彼は肉をお礼にもってきています」と言った。孔子（孔老二）は急に閃き、とりあえず肉をもらっておくように言った。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6123" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/33.jpg" alt="" width="564" height="457" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/33.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/33-300x243.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（33）数日後、彼は陽虎が家に居ないのを確認すると、正装をして陽虎を訪ねた。しかし、ちょうど家に帰る途中で陽虎と出くわして、孔子（孔老二）はしかめ面をしながら、両手をあわせて、陽虎とあいさつをせざるを得なかった。陽虎は機会をうかがって彼に官職を探すといい、彼は何度もうなずいて礼を言った。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6124" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/34.jpg" alt="" width="564" height="459" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/34.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/34-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（34）しばらくすると、季氏傘下のもう一人の権勢がある家臣である公山不狃（こうざんふちゅう）が陽虎と連合して季氏に反乱を起こした。公山不狃（こうざんふちゅう）は季氏の本拠地である費都で決起し、彼と陽虎は孔子（孔丘）がずっと季氏に反対していたのを知っていたので、孔子（孔丘）を参謀として招こうと人を派遣した。孔子（孔老二）は心動かされ、とても費都に行きたかった。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6125" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/35.jpg" alt="" width="564" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/35.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/35-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（35）しかし、学生の子路は反対し「先生はいつも君は君、臣は臣と言われている。それが、公山不狃（こうざんふちゅう）が反乱を起こしのに、どうして彼のところで官職を得ようとするのか？」と反対した。孔子（孔老二）は下着を引きちぎりながら「周の文王や武王は最初は豊や鎬という片田舎から大きくなったではないか？ならばどうして私は費都から身を起こしてはいけないのだ」と言った。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6126" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/36.jpg" alt="" width="562" height="460" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/36.jpg 562w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/36-300x246.jpg 300w" sizes="(max-width: 562px) 100vw, 562px" /></p>
<p>（36）まさに孔子（孔老二）が行きたくてうずうずしているときに、陽虎は失敗して斉国に逃げ、公山不狃（こうざんふちゅう）はしばらく兵を動かさなくなったという情報が伝わってきた。官僚になる夢が潰えて、孔子（孔老二）は長い溜息をつき「ああ、私は50歳になったのに、物事は思い通りにならない、これは運命なのか」と嘆いた。彼はしばしば”天命”という言葉を口にした。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6127" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/37.jpg" alt="" width="564" height="477" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/37.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/37-300x254.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（37）孔子（孔老二）は学生たちに「死生有命 富貴在天（生死や豊かになるということは天命で決まっており、人間にはどうすることもできない）」という事を覚えさせた。また「上智と下愚とは移らず」と言い、奴隷主は生まれつきに聡明な上等な人であり、奴隷は下等な愚民で、永遠に変えることができない、と言った。彼は、唯心主義の天命論、天才論を声高に唱えて、これらを人民を使役する精神的な枷としたのである。</p>
<div class="graybox">
<p>TIPS：死生有命 富貴在天（しせいようめい、きふざいてん）と、唯上智与下愚不移（ただじょうちとげぐとはうつらず）は孔子の代表的な思想なので覚えておくとよい。後者は、上記のような奴隷制とは関係なく、本来的には、本当に賢い人間はどんな環境でも向上することを忘れないし、愚かな人間はどのような環境でも学ぶことをしない、というような意味でつかわれる。</p>
</div>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6128" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/38.jpg" alt="" width="564" height="457" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/38.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/38-300x243.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（38）しかしながら、50歳を過ぎると、孔子（孔老二）は突然魯国の政治舞台に躍り出た。魯の定公を代表とする奴隷主貴族が魯国で大権を握り、孔子（孔丘）を重用して魯の中都の宰（首都の行政を主管する行政官）とし、のちに、彼を工事を管掌する司空、法律を管掌する司寇へと昇格させ、また宰相の職務を代理させたのである。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6129" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/39.jpg" alt="" width="564" height="458" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/39.jpg 564w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/39-300x244.jpg 300w" sizes="(max-width: 564px) 100vw, 564px" /></p>
<p>（39）孔子（孔老二）は表舞台に出ると、すぐに奴隷制度を維持するために二つの事を行った。まず、魯の定公に「古い規定に則って、家臣たるもの自費で城を作ってはなりません。今のように、季孫、孟孫、叔孫の三者が費都、成都、郈都で覇を唱えていては、<em>心腹</em>の<em>大患となります。この三都を滅ぼさなければいけません</em>」と提案した。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-6110" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/40.jpg" alt="" width="565" height="456" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/40.jpg 565w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/40-300x242.jpg 300w" sizes="(max-width: 565px) 100vw, 565px" /></p>
<p>（40）三都を滅ぼすことは、新興地主階級を鎮圧することであり、魯の定公は当然すぐに賛成した。孔子（孔老二）はすぐに兵を起こして、郈都を滅ぼし、次いでが費都も滅ぼした。しかし、成都は比較的堅固であり、孟孫氏と家臣が必死に抵抗したため、魯兵は数か月攻めてもこれを落とすことができず、撤退せざるを得なかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>＜つづきはこちら＞</strong></p>
			<a href="https://chinastyle.jp/konglaoer3/" class="st-cardlink">
			<div class="kanren st-cardbox">
								<dl class="clearfix">
					<dt class="st-card-img">
															<img decoding="async" width="150" height="150" src="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-150x150.jpg" class="attachment-st_thumb150 size-st_thumb150 wp-post-image" alt="" srcset="https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-150x150.jpg 150w, https://chinastyle.jp/wp-content/uploads/2021/01/samune-60x60.jpg 60w" sizes="(max-width: 150px) 100vw, 150px" />												</dt>
					<dd>
													<h5 class="st-cardbox-t">漫画で分かる孔子の一生3（中国語連環画日本語翻訳）</h5>
						
													<div class="st-card-excerpt smanone">
								<p>中国で50～60年代に流行した連環画（子供向けの絵物語、中国式の漫画）から「孔子の罪深い一生」（原題：孔老二罪恶的一生）をご紹介。孔子と言えば中国では文聖とも崇められ、個人としてはおそらく最も尊敬され &#8230; </p>
							</div>
																			<p class="cardbox-more">続きを見る</p>
											</dd>
				</dl>
			</div>
			</a>
			
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>＜もっとたくさんの中国漫画”連環画”が見たい人は<a href="https://chinastyle.jp/tag/%e9%80%a3%e7%92%b0%e7%94%bb/">こちら</a>＞</strong></p>
<p>&nbsp;</p>The post <a href="https://chinastyle.jp/konglaoer2/">漫画で分かる孔子の一生2（中国語連環画日本語翻訳）</a> first appeared on <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a>.<p>Copyright &copy; 2026 <a href="https://chinastyle.jp">ChinaStyle.jp</a> All Rights Reserved.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://chinastyle.jp/konglaoer2/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
