中国で50~60年代に流行した連環画(子供向けの絵物語)から、中国の神話小説『封神演義』の一挿話を題材とした「ナーザの大暴れ(原題:哪吒闹海、哪吒鬧海)」です。哪吒(ナーザ、なた、なたく)は、道教で崇められている少年神で、托塔天王(毘沙門天)の三男で、哪吒太子(なたたいし)などと呼ばれる。中国人には非常になじみの深い神様で、封神演義のほか、西遊記で孫悟空と戦い敗れる事でも有名。
連環画『哪吒鬧海』
(1)殷の紂王の時代、陳塘関の李靖将軍に哪吒という息子がおり、元々は乾元山金光洞の太乙真人の弟子の霊珠子の化身であった。哪吒が7歳の時、暑かったので、母親に関の外に体を洗いに行くと告げた。
(2)母親は息子を熱愛しており、二人の将軍を哪吒と一緒に関の外に派遣した。小さな河には小波がたち、水がさらさらと流れ、両岸には柳の木が垂れ下がっており、涼しい素晴らしい場所であった。哪吒は歩いたため熱くなり、すぐに服を抜いて、体を洗い始めた。
(3)哪吒はこの世に降りてくるとき二つの宝具をもってきており、一つは乾坤圏(円環状の投擲武器)、一つは混天綾(魔力を秘めた布)であり、ともに太乙真人が彼に与えたものであった。哪吒はその威力を知らず、二つの宝具を持ったまま水に飛び込んだ。川には波が立ち、水がすべて混天綾の赤に染まってしまうほどであった。
(4)この九湾河はまさに東海の大門であり、哪吒の混天綾が水の中で揺れると、東海龍王である敖光(ごうこう=龍王の名前)の水晶宮を揺らし、宮門は軋み、敖光が立っていられないのみならず、水族の皆を混乱に陥れた。
(5)東海龍王敖光は巡海夜叉の李艮を派遣して、海を出て九湾河を見に行かせた。そこで、子供が体を洗っているのを見て、水から飛び出て、大斧を哪吒の頭頂部に目がけて振りかぶった。哪吒は李艮が襲ってきたのを見て急いで身をかわした。
(6)哪吒は右手につけていた乾坤圏を外し、空中に投げると、乾坤圏はまっすぐに巡海夜叉李艮の額に向かって飛んで行った。夜叉はこれをよけることができず、脳みそをぶちまけ、死んでしまった。
(7)龍王の敖光は李艮が戻ってこず、逆に龍宮の揺れがひどくなったのを見ると、龍兵を引き連れて自ら海を出ようとした。敖光の三男である敖丙は「父王が行くまでもありません。私が行って彼を捕まえてきましょう」と言った。
(8)敖丙は逼水獣に乗り、画戟(呂布が持っていた武器で有名)をもって、魚の兵、蝦の将軍を連れて、水をかき分けて哪吒を捕まえに来た。哪吒は彼に説明したものの、敖丙は聞く耳を持たず画戟で攻撃してきた。
(9)哪吒は彼と話しても無駄だと知り、敖丙と逼水獣に混天綾を投げ、これを踏みつけると、乾坤圏で彼の頭頂部を打った。敖丙は死んでしまった。
(10)敖丙が死ぬと本性を現した。それは小さな龍であった。哪吒は「龍だったのか。しょうがない、彼の筋で、父に鎧でも作るか」と言った。哪吒が龍の筋を引っ張ると、二人のお供の将軍はとても驚いた。
(11)敖光は哪吒が巡海夜叉の李艮と息子の敖丙を殺したと知ると、怒り心頭で陳塘関にやってきて、李靖に罪を問うた。李靖はその日、教練場で忙しく練兵しており、哪吒が問題を起こしたと聞いて、急いで庭に哪吒を探しに行った。
(12)李靖はまさに哪吒が龍の筋であそんでいるのを見て、驚いて何も言うことが出来なかった。やっと哪吒を捕まえて「この馬鹿者目が、大変なことをしでかして、はやく謝罪しにいくぞ」と言うと、哪吒は「竜の筋は動かないけど、返しましょう」と言った。
(13)哪吒は李靖と一緒に広間へやってきて、両手で龍の筋を持ちながら、一礼して罪をわびた。敖光は龍の筋を見ると悲しくなり、三男の敖丙は死んで生き返らないと思い、袖を払うと去っていった。玉皇大帝に奏上して、必ず雪辱を果たすと言い残していった。
(14)李靖はこれを聞くと声を出して大泣きした。殷夫人も良い方法が思いつかず、夫婦二人が泣けばなくほど良い考えが浮かばなくなった。哪吒は父と母がひどく泣いているのを見ると、急いで「私がやったことは私自身で責任を取ります。二人とも安心してください、私は先生に会ってきます」と言った。
(15)哪吒は土を一掴みして空に投げると、土遁の術で乾元山にやってきた。哪吒は金光洞に入り太乙真人に会うと、事情を話した。太乙真人は先に天宮の宝徳門に行って、敖光が訴えるのを邪魔して、彼を宮殿に入れさせないようにさせた。
(16)哪吒が集仙門の下で待っていると、敖光が冠をかぶり正装して、鈴をつけて、供のものを引き連れて南天門へ歩いて行った。哪吒はこれを見ると心の中で非常に怒り、大股で歩いて行って彼の前を遮った。
(17)哪吒は乾坤圏を振り上げ、敖光の背中目がけて打ち付けた。虎が獲物をしとめるかのように打ち付けると、敖光は地に倒れ伏した。哪吒はまた急いでこれを踏みつけると、敖光は動くこともできずただ叫ぶだけであった。哪吒は殴りながら「もう一度叫んだら、殴り殺すぞ!」と言った。
(18)哪吒が打つと敖光はただ叫ぶだけであった。哪吒は「虎は筋を取られるのを恐れて、龍は鱗を取られるのを恐れる」と思い、鱗をつかんで、敖光から血が滴る鱗を4~50枚はぎ取った。敖光はあまりの痛さに救いを求めて「もうお前を訴えたりしない」と言った。
(19)哪吒は敖光が宮殿に入ることを許さず、彼を陳塘関に連れてきたが、敖光は李靖を見るとまた哪吒を大いに罵り、4つの海の竜王を集めて霊霄宝に訴えに行くというと、一陣の風に変化して去っていった。
(20)すぐに、四海竜王の敖光、敖順、敖明、敖吉の連名で玉皇大帝に奏上し、天兵、天将を率いて、陳塘関にやってきて、李靖夫婦を捉えようとした。
(21)哪吒はすでに事態を丸く収める方法がないと悟り、剣を抜いて「私が貴方の家族を殺したので、私が命をもって償う。父と母は関係ない。私の骨と肉は父に返す。霊霄殿にいくなら、私が付いていく」と言った。
(22)哪吒は剣で自刎し、地に倒れて死んだ。敖光は宮殿に戻って玉皇大帝に報告した。殷夫人は泣きながら哪吒の亡骸を棺桶に入れさせると、埋葬した。哪吒の霊魂は乾元山の金光洞まで飛んでいき、先生を訪ねた。
(23)太乙真人は哪吒がやってきたのを見ると、何をしにやってきたのか理解し「母親の夢に出て、陳塘関の翠屏山にお前の廟を立てて、金の像をつくり、香を炊いてまつるようにお願いしなさい。そうすればもう一度人間に戻れる」と言った。
(24)哪吒が三日続けて母親の夢に出ると、殷夫人は李靖に隠れてこっそりと廟を立て、哪吒の像を作った。陳塘関の民衆たちはこの勇敢な少年の事を思い、みな廟にやってきて彼を祀り、香を炊いたので、とても賑わった。
(25)半年ほど経ったある日、李靖が野馬嶺で軍隊の演習を行う帰り道、翠屏山を通り、”哪吒行宮”を見かけると、怒って「畜生!お前は生前、父と母に迷惑ばかりかけて、死んでから香を炊かれるだと?」と言うと、哪吒の像を壊し、廟に火をかけた。
(26)哪吒の魂が戻ってくると、廟はすでに廃墟になっていた。判官は李靖が像を壊し、廟を焼いたことを告げた。哪吒は困惑し、乾元山の先生に会いに行った。
(27)太乙真人は、金霞童子に蓮の花、蓮の葉、蓮の茎を取りに行かせた。蓮の茎で骨格を作り、花弁で筋肉、蓮の葉で皮膚を作り、地面の上に人形を並べさせた。その後、哪吒の霊魂を人形に込めると、哪吒はすぐに人間に戻った。
(28)哪吒が人間に戻ると、太乙真人は彼に豹の皮でできた袋と、金塊、風火二輪、火尖鎗(火を放つ槍)を与えた。哪吒は乾坤圏、混天綾、金塊を豹皮の袋に入れると、先生に別れを告げて山を下りた。
(29)哪吒は李靖がひたすら竜王に譲歩していた事を思い出し、すでに父子の感情はなく、恨みを抱いて、風火輪に乗って、陳塘関に飛んできた。
(30)哪吒は陳塘関にやってくると叫んで、李靖はこれを聞くと、すぐに馬に乗って、画戟をもって出迎えた。哪吒は「李靖、私はすでに骨と肉をお前に返したんだ。どうして私の像と廟を壊したのだ。これでもくらえ」と言った。
(31)李靖は画戟を用いてこれを防ぎ、哪吒を「親不孝ものめ!」と罵った。哪吒は槍をもってすごい力で襲い掛かり、数回切りあっただけで、李靖は疲れ果て、全身汗びっしょりになった。李靖は抗しきれず、逃げ出した。
(32)まさに李靖が危ない時、山の後ろから燃燈道人がやってきて哪吒を止めた。李靖は彼の背後に隠れた。燃燈道人は理由を聞くと、哪吒に止めるように勧めたが、哪吒はこれに同意せず、槍を掲げて罵った。
(33)燃燈道人が裾を上げると、火を噴く玲瓏宝塔が空中から落ちてきた。哪吒は避けることができず、塔の下に敷かれてしまった。塔の火は哪吒でも耐えられないほど苦痛であった。
(34)燃燈道人は哪吒に父親と無理やり和解させ、宝塔を李靖に授け「今の紂王は無道であり、お前たち親子が仲直りしたら、官僚なんてやめてしまっても構わない。周王が兵を起こし、紂を討つとき、お前たち親子は功績を立てるのだ」と言った。
完
ちょっとトリビア
哪吒に関連して、知っておくと、中国文化をすこしだけ良く理解できるトリビアをご紹介。
①本当の李靖は唐代初期の将軍
この物語は、殷~周の時代になっているが、実際の李靖は軍神と称えられた唐代初期の将軍である。突厥征伐など様々な大戦で戦功を挙げた。騎兵の機動力を活かした長距離奇襲戦法で常勝を誇り、中国では史上最高の名将と呼ばれることもある。
②李靖と托塔李天王、毘沙門天の関係
托塔李天王(もしくは、托塔天王、李天王)とは、上杉謙信が信仰した毘沙門天と李靖が融合してできた神格である。もともとの毘沙門天とは別の神格となり、毘沙門天などを含む四天王を統べる神々の将軍に進化している。
ちなみに、”托塔”とは、この物語にある、燃燈道人が授けた火を噴く玲瓏宝塔に因んでおり、「塔を託された」という意味である。李靖は哪吒の復讐を恐れているが、この塔は哪吒の復讐心を抑える力があると言われている。
③中国では大人気の哪吒
哪吒はもともとはインド神話の下級神ナラクーバラを前身としている。彼は財宝神クベーラの息子であり、クベーラが毘沙門天として仏教に取り入れられると、息子(三男とされる)のナラクーバラもその陪神として取り入れられ、那吒三太子の名で信仰の対象となったと言われている。
仏教で哪吒は忘れ去られてしまうのであるが、道教では民間信仰に取り入れられて、道教の神として高い人気を継続している。
2019年には哪吒を題材にした中国国産の3Dアニメが中国で放映され大人気となった。私も北京の映画館で子供と一緒に見た。Youtubeに映画がアップロードされているので紹介しておく。中国語がわかるのであれば見てみるとよい。