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”夕”の物語 ~中国の大晦日・除夜の由来をご紹介~

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先日、”年”の物語をお話しましたが、今回は”除夕”(中国語の大晦日)の物語を紹介したいと思います。中国では日本の大晦日、除夜とはちょっと異なる過ごし方や風習がありますので、知っておくと中国人との話のネタになるかもしれません。

 

大晦日の物語

 

古时候有一种叫夕的怪兽,头长触角,凶猛异常,每到夏历的腊月三十,夕就出来吞食牲畜伤害人命。村村寨寨的人们扶老携幼逃往深山,以躲避夕兽的伤害。

その昔、”夕”という名の怪獣がいました。頭には角があり、とても獰猛でした。毎年、旧暦の師走の30日になると、”夕”が出て来て、家畜を食べたり、人を傷つけたりしました。村々の人たちは、老人や子供を連れて深い山に逃げ、”夕”怪獣の被害を避けていました。

 

这年腊月三十,桃花村的人们正扶老携幼上山避难。这时,村外来了个半大的孩子,只见这孩子长得浓眉大眼,漂亮可人。

ある年の師走の三十日、桃花村の人々は老人や子供を連れて山に避難していた。この時、村の外から一人の子供がやってきた。眉毛が濃くて、目が大きい、綺麗な顔立ちの子だった。

 

这小孩子来到村东头见到一位老婆婆,便问起大家为何惊慌。老婆婆无奈告诉孩子夕又来做乱,那孩子笑道:“婆婆,我的名字叫做年,让我在家呆一夜,我一定把‘夕’兽撵走”。老婆婆答应后上山避难去了。

この子は村の端でおばあさんを見かけると、何を慌てているのか聞いた。おばあさんは子供に、”夕”がまたやってきて悪さをすると伝えると、この子は笑って「おばあさん、私の名前は”年”です。私に一晩家にいさせてください。私が必ずや”夕”怪獣を追い出します」と言った。おばあさんは承知して山へ避難していった。

 

半夜时分,“夕”闯进村。发现村里村东头老婆婆家,门贴大红纸,屋内烛火通明。“夕”兽浑身一抖,怪叫了一声。

真夜中に“夕”が村に押し入りました。村のおばあさんの家の門に赤い紙とロウソクがともっているのを発見しました。”夕”怪獣は震えて、変な叫び声を出した。

 

 

朝婆婆家怒视片刻,随即狂叫着扑了过去。将近门口时,院内突然传来“噼里啪啦”的炸响声,“夕”浑身战栗,再不敢往前凑了。原来,“夕”最怕红色、火光和炸响。这时,婆婆的家门大开,只见院内一位身披红袍的小孩儿——年在哈哈大笑。“夕”大惊失色,狼狈逃蹿了。

第二天,避难回来的人们见村里安然无恙,十分惊奇。这时,老婆婆才恍然大悟,赶忙向乡亲们述说了年的许诺。

おばあさんの家を怒りながらしばらく見ると、大声を出して飛びかかった。門に近づくと、中から突然“ぱちぱち”と爆音がなり、“夕”は全身ぶるぶる震えて、さらに進んでいく勇気が無くった。実は、“夕”は、赤色や火の粉、爆音が苦手だったのだ。この時、門が開き、中に赤い衣をまとった子供がいて、その子供”年”は大声で笑っていた。“夕”は驚いて色を失って、狼狽して逃げ出した。

次の日、避難していた人たちが帰ってくると、村が無事だったことに驚いた。おばあさんは、思い出して、急いで”年”の事を皆に話した。

 

这件事很快在周围村里传开了,人们都知道了驱赶“夕”兽的办法。为此,大家纷纷都去拜会年,也就是现在的“拜年”(拜年的由来);大家都把年的图帖在门口或窗前,叫做年画(年画上的那个大胖小子就是年),年除掉夕的这一天就叫做除夕(除夕的由来)。

このことはすぐに周囲の村に広まり、”夕”怪物を追い払う方法が知られるようになった。ここから、みんな続々と”年”のところに挨拶にいったので、これが現在の”年の挨拶”(=新年の挨拶の由来)になった。みんな年の絵を門の前に貼るようになり、これを”年画”(年画の中のちょっと小太りの子供がまさに”年”)と呼ぶようになり、”年”が”夕”を駆除した日を”除夕(=日本語の大晦日)”と呼ぶようになった。

 

从此每年除夕,家家贴红对联、燃放爆竹;户户烛火通明、守更待岁。初一一大早,还要走亲串友道喜问好。这风俗越传越广,成了中国民间最隆重的传统节日“过年”。

それから毎年の大晦日に、各家庭は赤い紙を貼り、爆竹を鳴らして、ローソクを灯して、”夕”から身を守るようになった。元旦には、親せきや友達を訪問して新年の挨拶をするようになった。この風習は徐々に広まり、中国の最も盛大な民間の伝統的な祝日“年越し”となった。

 

中国の大晦日の風習

 

続いて、代表的な中国の大晦日の過ごし方を簡単にご紹介します。先ほど紹介した”夕”の物語に由来する習慣も多くあります。日本とは似て非なる風習もありますが、基本的な考え方はあまり変わらない気がします。

 

团圆饭(Tuán yuán fàn)(おせち料理)

”团年饭(Tuán nián fàn)”もしくは”年夜饭(Nián yè fàn)”ともよばれます。大みそかの夜に欠かせないものです。おせち料理は、新年を祝うためだけではなく、これを機に家族が一つにあつまるためのものでもあります。おせち料理には、魚が欠かせません。それは”年年有余(Nián nián yǒu yú)(余yúと魚yúの中国語の発音が同じため)”を意味しているからです。

 

それ以外に、北方では餃子や”年糕”(gāo)(餅)が出されます。餃子は形が元宝(=金銀を馬蹄形に鋳造した通貨)に似ていることから富貴を意味し、餅は”年年高昇(Nián nián gāo shēng)(毎年成長する)”(中国語の餅=糕gāoと高gāoの発音が同じため)を意味しているからです。南方では、年越しに”汤圆(Tāng yuán)(団子)”を食べますが、これは”团团圆圆(Tuántuán yuán yuán)(家庭円満)”(汤圆Tāng yuán=と家庭円満=团团圆圆Tuántuán yuán yuánのyuánの発音が同じ)を意味するからです。

 

日本ではおせち料理は新年になってから食べることが多いと思いますが、中国では大晦日の夜に食べることが普通となっています。

 

贴春联(Tiē chūn lián)(春聯を貼る)※春聯は門の両側に貼る赤い紙

春聯の最初の起源は桃符です。昔の人は主に、門に神荼(Shén tú)(しんと)と郁塁(Yù lěi)(うつるい)を描いて魔除けにしてきました。その後、五代十国の後蜀になると、後蜀の皇帝である孟昶が「新年纳余庆,嘉节号长春」と文字を書いたため、現在のような春聯になった。現代の春聯には美しい意味の言葉を載せており、素晴らしい春聯はとても重要で、その家の文化レベルを表すようにもなっています。

 

放炮竹(Fàng pào zhú)(爆竹を鳴らす)

”炮竹(Pào zhú)”、または”爆竹( Bàozhú )”と言います。秦、周商の時代から爆竹を鳴らす習慣がありました。火薬が出る前の昔の人は火で竹を焼いており、パチパチという音がすることから爆竹と呼ばれていました。言い伝えによると、古代には”年”怪獣が害をなしていました。”年”怪獣を怖がらせるために、人々は火で竹を焼き、大きな音を立てました。年獣が赤いのを怖がることもあって、年越しには赤い提灯を飾るのが好まれます。

 

祭祖(Jì zǔ)(祖先を祭る)

大晦日には、人々は三獣六畜( 馬・牛・羊・犬・豕・鶏などの生贄)を準備して、先祖と年越しの喜びを分かち合うことを願いました。祖先を祭る習俗は各地で異なり、広東の豚の丸焼きもあれば、四川広安ではろうそくをともして料理を供えることもあります。規模は異なるが、先祖を敬い、家族を大切にする心は同じです。

 

それ以外にも、大みそかの夜は、ものを壊してはいけません。福の気を逃さないためです。大掃除をして、髪を切ったり着替えたりして、新年を迎えたりもします。

 

 

 



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