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漫画でわかる『愚公移山』中国語連環画 日本語翻訳

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中国で50~60年代に流行した連環画(子供向けの絵物語、中国式の漫画)から『愚公移山』をご紹介。愚公移山(愚公山を移す、ぐこういざん、ぐこうやまをうつす)とは、もともとは中国の紀元前の戦国時代の『列子』という本に書かれている故事であったが、毛沢東が演説の中で引用し、中国人なら知らない人は居ないほど有名になった。その昔、愚公という老人が、山を移すことなどできない、と笑われたが、ひたむきに山を開いたという故事。とにかく有名なお話なので、中国に関連する仕事をする人はぜひ勉強しておくべきである。

 

 

(01)この村は海と山に近く、住民は多くなかった。なぜなら、高い山が道をふさぎ、交通がとても不便であった。毎年、山の外に出て食料を売り、油や塩や布と交換してくる以外は、外の世界とは隔絶されていた。

(02)村には一人の老人が住んでおり、彼は何をするにしてもやる気があり、人は皆、彼を愚公と呼んだ。

(03)愚公はたくさんの物語を知っており、村の人はそれを聞くのがとても好きだった。彼はよく祖先の勤労・勇敢な話をして、子孫たちを激励した。彼は「我々の祖先がここにやってきたとき、ここは荒地であったが、今では金でも交換できないほど素晴らしい土地となった」と言った。

(04)愚公はもうすぐ90歳になるとしていた。子供もたくさんおり幸せであったが、心の中に一つだけ気がかりなことがあった。それは、ずっと山を避けて、峰を超えて往来しなければいけないことであった。「この道はロバを引いてしか行けない」

(05)ある日、彼は一家のものを皆集めて「山が遮っており、交通がとても不便だ。何か方法はないものか?」と言った。長男が「山はもともとここにあり、なんともしようがない。我々が引っ越す以外は」と言った。

(06)愚公は「我々が山に引っ越しさせられるなんてありえない!山を引っ越しさせるべきだ」と言った。皆これを聞くと呆然となった。孫たちは祖父が老いてボケたと思った。この山は高く、周囲は数百里もあり、どんな方法があるというのだろうか。

(07)愚公は皆が迷っているのを見ると「ある物語を聞かせてやろう」と言った。皆は話を聞くために座った。

(08)彼は話し始めた。昔、ある人が山の中で学んでいた。幾年か経ったが、自らの進歩を感じられなかった。彼はこのまま続けるべきか悩んだ。

(09)彼は耐えられなくなり、書籍をまとめて山を降りることにした。半分ほど降りたところで、おばあさんが鉄の棒を削っているのを見かけた。彼は不思議に思い、おばあさんに尋ねた。

(10)おばあさんは、針を磨いているのだと言った。彼はこれを聞くと笑いながら「こんなに大きな鉄の棒をどうやって針に磨くと言うんだ」と言った。しかし、おばあさんは「休まずに磨き続ければ、鉄は細くなる」と言った。

(11)この学者はそのとおりだと思い、山に戻って勉強を続けたという。

(12)愚公はここまで言うと黙ってしまった。孫たちは、その後どうなったのか聞いた。愚公は、皆の想像通りだと答えた。

(13)皆は物語を聞くと、愚公が山を開く事を比喩しているのだと理解して感動し、高い山を平にしようと決心した。愚公は「一生懸命頑張れば、高い山も平地なる。明日から始めよう」と言った。

(14)次の日の朝早く、愚公は皆を連れて山を開きに出掛けた。

(15)近所の人も彼の思いに感動し、皆手伝いにやってきた。7才の子供を連れてくる近所の婦人も居た。

(16)愚公が山を開いていることはいつの間にか広まっていった。山には一人の老人が住んでおり、この老人は非常に聡明で、人は彼のことを智叟(ちそう)と呼んだが、愚公の事が彼の耳に届いた。彼は全く信じられなかった。

(17)彼は、この世の中に山を移そうなどと考える愚かな人間がいるものか、と思った。彼はロバに乗りわざわざ探しに出掛けた。

(18)智叟(ちそう)がそこに着くと、やはり愚公が多くの人を引き連れて山を開いていた。彼は愚公が疲れて息も絶え絶えなのを見ると「あなたはこんなに年老いて、力にも限界がある。山を毛ほども動かせないないだろう」と言った。

(19)愚公は長い溜息をついて、婦人を指さしながら「あなたはあの婦人や子供とも比べ物にもならない」と言った。智叟(ちそう)はこれを聞くと怪訝そうに「私がどうして比べ物にならないのか?」と反問した。

(20)愚公は「我々は毎日掘り進めている。山の上の石は少なるなることはあっても多くなることはない。この道理は分かるだろう」と言った。智叟(ちそう)はこれを聞くと頭を振り「道理としてはその通りだが、貴方は年老いている」と言った。

(21)愚公は大笑いして「私は年老いた。その通りだ。しかし、私には子供がおり、子供は孫を生み、孫はまた子供を産み、それは尽きることがない」と言った。智叟(ちそう)は急いでロバに乗って「分かった!分かった!もう話す必要はない」と言った。

(22)智叟(ちそう)は愚公と別れて、一路頭を振りため息をつきながら家に帰った。彼は「天下にこのように物わかりの悪い愚か者がいるとは思わなかった」と独り言を言った。

(23)智叟(ちそう)は家に帰ると、息子に、愚公が山を移そうとしている話を子孫に伝承するように言いつけた。彼は将来、愚公の子孫が愚公の事業を引き継ぐことが出来るかどうかみたかった。

(24)愚公は皆を率いて山を開き、臨終の際にも、子孫たちにきっとこの山を平らにして、後の人達が大きな道を通れるようにするように言い残した。彼は「変わらぬ意思さえあれば、困難など恐れることはない。きっと成功する」と言った。

(25)愚公が死んだ後、彼の子孫たちは彼の遺言を忘れず、一生懸命山を開いた。

(26)多くの年月が流れ、ある日、突然、ある人が一枚の地図を携えて村を訪れ、ずっときょろきょろしていた。皆、不思議に思った。

(27)この人は一人の老人をつかまえ、ここの高い山がどうして無くなったのか尋ねた。老人は唖然とした。この人は手元の地図を指さして老人に見せた。

(28)老人はしばらくこれを見てやっと気づいた。そして、この山は愚公の子孫たちによって平地にされたと告げた。また遠くを指さして「見なさい、あの街から帰ってきた大きな車に乗っているのが愚公の子孫だよ」と言った。

(29)この人は老人にお礼を言い、大きな車を待って、挨拶すると「すいません、私はわざわざ貴方を探しに来ました。ちょっとお教えいただきたいことがあります」と言った。車を操っていた人は「はい。ここでは話をするのも難しいので、私の家にお越しください」と言った。

(30)家に着くと、この人は地図を開いて、あの山はいつ平らになったのか尋ねた。愚公の子孫は「ああ、私の数世代前です。我々は続いて道を修繕したのです」と言った。

(31)なんとこの訪ねてきた人は智叟(ちそう)の子孫で、地図は智叟(ちそう)が自ら書いたものであった。愚公の子孫は事情が分かると、彼を連れて村の外れまでやってきて、指さしながら「昔ここはすべて山だったが、現在では村となった」と言った。

(32)愚公の子孫はまた彼を海辺まで連れてきて「掘った石と土を海に捨てたため、また多くの土地ができた」と言った。

(終了)

 

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