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秦の建国は始皇帝より〇百年も前だった!建国の場所とエピソードを紹介

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中国最初の統一王朝、そして初めて”皇帝”という言葉を使った始皇帝で有名な秦。最近ではアニメキングダムのおかげでブームとなっているこの秦だが、いつ、だれにより、どこで建国されたかご存じでしょうか?今回は秦建国のエピソード雑学をご紹介したい。

 

建国の地~秦亭村(しんていむら)

 

秦は甘粛省の山間部、標高1500mにある秦亭村(現在の甘肃省天水市清水県)紀元前9世紀に建国されたと言われている。

当時の中国の中心であった中原から西に大きく外れた野蛮と言われた地域でひっそりと建国している。

 

当時、秦亭は草原と水、丘陵の揃った中国随一名馬の産地であり、この地は犬戎・西戎などと呼ばれる遊牧民族の支配する地であった。この馬が実は秦の建国に大きく関係している。

 

建国者の名前は非子(ひし)

 

秦の建国者は非子と言い、周がまだまだ求心力を持っていた紀元前933年 - 紀元前858年に生きた人だと言われている。ちなみに、周が牧野の戦いで殷を滅ぼしたのが紀元前1046年の事と言われており、周が滅亡したのが紀元前249年である。

 

ちなみに、戦国時代の諸子百家の法家の韓非の著書『韓非子』(かんぴし)は全く関係ないので混同しないように。ちなみに、余談だが韓非子は諸葛亮公明が劉禅の教育のために献上したと言われる良書であるので読んでみることをお勧めする。

 

在位期間で始皇帝とどれくらい時代が離れているかというと以下の通りである。

  • 非子 在位:紀元前900年頃 - 紀元前858年
  • 始皇帝(秦王政、嬴政(えいせい)) 在位:紀元前221年 - 紀元前210年

周が建国されて間もないころに生きていたのが建国者の非子で、700年近い時を経て、周が滅びたころに中国全土を統一したのが始皇帝ということになる。

馬を飼育する非子

紀元前900年ごろ、西周の孝王の時代、非子が名馬の馬飼いであるとの評判を聞き付け軍馬の飼育を頼んだと言われている。非子は優れた軍馬の増殖と訓練で大きな功績をあげたため、その功績により大夫の爵位を得たという。これにより、秦が建国されることとなった。

 

あの有名な秦が”馬”から始まったというのがちょっと面白い気もするが、当時、優秀な軍馬を得ることがとても重要であり、今でいうと、車や戦車を量産できた、という事とイコールになるので、やはり大きな功績であったのだろう。

 

秦建国前の伝説~悪来(あくらい)

 

この非子や始皇帝の祖先にあたる人物にとても有名な”悪来”がいる。そう、あの三国志の悪来典韋のもとになった人物である。

 

悪来は、非子からさらに100年ほどさかのぼった殷末の帝辛(紂王)時代の官僚であると言われている。『史記』では姓は嬴(えい)、字を来(らい)と言ったと伝えられている。悪来はあだ名で「悪い来」の意味。

 

 

悪来は非常に剛力であったようで、殷の紂王に仕えて国政を任せられるが、権力を乱用し多くの人を貶めたため嫌われ「悪来」と呼ばれるようになったという。現在では、殷の紂王は実は有能な王であったが、暴政を敷いたかのように汚名を着せられていたことがよく知られているが、悪来も同様なのかもしれない。周の武王が殷の紂王を討ったとき、悪来は紂王と一緒に殺された。

 

その剛力ぶりは伝説となっており、小説『三国志演義』では、曹操が典韋を見たときにその剛力ぶりを見て「これは古の悪来の再来だ」と言い、以後典韋のあだ名になったと描かれている。

 

三国志ファンなら横山光輝三国志で悪来とは何か、と思ったことがあると思うが、これも秦に関係する名前だった、という事で周りの知らない人にさらっと披露してマウントを取りましょう。

 



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