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漫画でわかる中国語連環画『関聖帝君』03 日本語翻訳(関羽が神となる物語)

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中国で50~60年代に流行した連環画(子供向けの絵物語、中国式の漫画)から、三国志の関羽が神格化された物語「関聖帝君(原題:关圣帝君)」をご紹介。219年の樊城の戦いで、志半ばに倒れた関羽であるが、非業の死を遂げた人物には強い霊力が宿ると言われており(日本でも菅原道真とかの例があり)、関羽も死後長い時を経て商売の神としてあがめられるようになった。この連環画にはその過程が描かれており非常に興味深いので、関羽ファンは読んでみることをお勧めする。

 

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漫画でわかる中国語連環画『関聖帝君』02 日本語翻訳(関羽が神となる物語)

中国で50~60年代に流行した連環画(子供向けの絵物語、中国式の漫画)から、三国志の関羽が神格化された物語「関聖帝君(原題:关圣帝君)」をご紹介。219年の樊城の戦いで、志半ばに倒れた関羽であるが、非 ...

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(41)呂蒙が呉に帰ると、思いがけず宮殿で7つの穴から血を吹いて倒れて死んでしまった。孫権はこれを見て、心の中で恐れて、急いで曹操を見習って、ジンコウ(香木)で関羽の顔を作り、荊州の当陽玉泉山の上に関羽親子を厚く葬った。歴史上では「玉泉塚」と呼ばれている。

(42)曹操と孫権は関羽を厚く葬ったが、関羽の体と頭は別の場所にあり、また彼はこの失敗を忘れることが出来ず、心残りであった。そのため、彼の霊魂はずっと荊州の当陽を徘徊し、玉泉山の上を漂い離れなかった。

(43)しばらくして、周倉が麦城で自害した兵士を引き連れてやってきた。みんなが集まりお祝いしている時、周倉は突然皆に「みんなここで休んでいてくれ、私はちょっと行ってくる」と言って、雲に乗って去っていった。

(44)周倉は長い間一緒にいた青龍偃月刀と別れがたかったのである。彼は呉の宮殿まで飛んでいくと、すぐにこれを見つけた。周倉は軽く柄を撫でると、感慨深げに「青龍偃月刀よ、私と行こう」と言った。

(45)周倉の声が届くと、突然冷たい光を発し、青龍偃月刀は二つに分かれた。周倉はこれを見ると、すぐに刀の魂をもって玉泉山に向かった。これ以後、呉に残った青龍偃月刀は魂を失い、普通の鉄の刀になってしまった。

(46)ところで、孫権は関羽の赤兎馬を獲得して以後、一生懸命世話をさせた。しかし、みな思いがけなかったことに、この馬は数日間絶食し、水も草も食べず、現在では虫の息であった。

(47)孫権がこれを聞くと大いに驚いて、どうすればよいか分からなかった。ある人が「私の家には一人の獣医がおり、医術は素晴らしく、馬の言葉にも通じています。彼を連れてくれば、この馬を助けられるかもしれません」と奏上した。

(48)孫権は大いに喜び、すぐにその獣医を呼びに行かせて、一緒に馬屋までいった。獣医が頭を低くして見ると、赤兎馬は骨と皮になり地に伏しており、わずかに頭をあげて悲しそうに嘶なくだけであった。皆これを見ると、どうしようもないと溜息をついた。

(49)獣医は体を伏して、赤兎馬を観察した。詳細に観察した後、馬語を用いて彼に「赤兎馬よ!実際にはお前はなにも病気など無い。このように弱っているのは、飢餓と気持ちがそうさせているのだ」と告げた。

(50)獣医は馬語を用いて続けて「お前の心の病は分かっている。関羽将軍を思って、彼に着いていきたいのだろう。しかし、死んだ人間は生き返らない。お前はどうしてこのように自分を苦しめるのだ。関羽将軍のために死のうとしているのか?」と言った。

(51)赤兎馬は両目から涙を流し、獣医を見ながらゆっくりと「私は自分の事を理解してくれた人のために死ぬのだ!関羽将軍は私の事を常に大切にしてくれた。私は将軍についていきたいのだ」と言った。言い終わると、ゆっくりと両目を閉じて、地に伏して亡くなった。獣医はこれを見ると、馬の体の上に伏して号泣した。

(52)孫権は理由を聞くと、思わず頭を揺らして「畜生ですらこのようなのだ。人ならもっと忠義をつくすものであろう。このように忠義の士が私に誤って殺されてしまったのだ。私はどの面を下げて天下の忠義の士と顔を合わせればよいのか」とため息をついた。

(53)その後、孫権は命令を下し、玉泉山の関羽親子の墓の傍らで、赤兎馬の葬儀を盛大に行った。自ら文武百官を引き連れてこれを祀り、号泣しながら赤兎馬の主人への忠誠を称賛したのであった。

(54)赤兎馬の魂は体を離れ、軽々と天高く舞い上がった。関羽将軍一行が玉泉山の峰で集会をしているのが遠くから見えると、すぐに走っていき、なんども頭を高く上げて大きく嘶いた。

(55)皆が振り返って見ると、赤兎馬が走ってくるのを発見し、みな大いに喜んだ。関羽もこれを見ると大いに喜び、すぐに駆け寄って、赤兎馬の首を抱き、感動して涙を数滴流した。

(56)これ以後、この幽霊部隊は玉泉山の上に駐留し、関羽将軍を命令を聞いた。彼らはいつも天下を巡遊し、長城内外で、多くの民衆ために、良いことをたくさん行った。天下の民衆はその恩徳に感謝し、各地で廟を作り、祀るようになった。

(57)関羽将軍はその名に恥じず、彼の兵と一緒に皆からの尊敬を集めた。しかし、深夜になると、彼はどこに居ようとも、魂は必ず玉泉山の峰に戻り、漂いながら「私の頭を返せ!私の頭を返せ!」と立腹しながら叫んだのであった。

(58)時は流れて、魏、蜀、呉の三国は既に存在せず、魏晋南北朝の三百年あまりの混戦の後、隋の文帝が隋王朝を建国し、天下は平定された。この日、仏教の天台宗の始祖である智顗(ちぎ)法師が仏法を発展させるため、単身荊州の当陽にやってきた。

(59)彼が遠くを望むと、玉泉山の様子がおかしく、山頂を大量の紫の雲が覆い、聖地の兆しがあった。智顗(ちぎ)法師は喜んで、すぐに玉泉山頂に向かって登っていった。

(60)彼があたりを見渡すと、天はすでに暗くなっていた。彼が足を組んで座禅をし、修行に入ろうとした時、突然「私の頭を返せ」と叫ぶ声が聞こえた。この声はとても恐ろしく、ゆっくりと近づいてきた。

 

<つづきはこちら>

漫画でわかる中国語連環画『関聖帝君』04 日本語翻訳(関羽が神となる物語)

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