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中元節(ちゅうげんせつ)の由来と歴史。1960年代北京の北海公園の中元節の写真も紹介

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中元は日本では地域によって異なるが7月15日もしくは8月15日に行われる行事で、特にこの時期に普段お世話になった人に贈る贈り物を「お中元」というが、もともとは中国の伝統行事である「中元節(ちゅうげんせつ)」からきている。ネットでは、中華圏の人にとって春節に次いで大切な行事と紹介しているところもあるが、これは大きな間違いで、台湾等では盛大にお祝いされるが、中国大陸では忘れられた行事となっている。そこら辺の経緯も紹介したい。

 

中元節の日程(2020~2030年)

 

中元節は旧暦7月15日に行われる死者を弔う祭日。そのため、現在の暦では毎年日にちが変わる。台湾では祝日となるが、中国大陸では休みとはならない日本のお盆、アメリカのハロウィンのような日と思ってほぼ間違いない。

  • 2020年9月02日
  • 2021年8月22日
  • 2022年8月12日
  • 2023年8月30日
  • 2024年8月18日
  • 2025年9月06日
  • 2026年8月27日
  • 2027年8月16日
  • 2028年9月03日
  • 2029年8月24日
  • 2030年8月13日

 

中元節歴史と由来

 

中元の起源は道教の三元と呼ばれる思想である。三元とは、上元(旧暦1月15日=現代中国では元宵節という)、中元(旧暦7月15日)、下元(旧暦10月15日)で、それぞれ、天官、地官、水官という神様の誕生日。中元は冥界の帝と言われている「地官大帝」の誕生日にあたる。ちなみに、この神様は「贖罪大帝」とも呼ばれており、懺悔や謝罪のために神にお供えをする習慣がここから来ている。

 

冥界の帝の誕生日で、冥界の門が開き、日本のようにご先祖様の霊が返ってくるだけではなく、中国ではすべての死者の魂や悪霊がさまようとされており、その霊を鎮めるためにお供えや燈籠流しなどの様々な活動を行う。

 

古代中国では、道教とは別に、仏教行事としての盂蘭盆会(うらぼんえ)があり、死者を弔う日としていたが、宋代には道教の中元節と一体となり、旧暦7月15日に一緒に行われるようになった。

 

中元節の伝統的な風習

 

では、伝統的な中元節の過ごし方を、日本との違いも含めてご紹介したいと思う。なお、あくまでも伝統的な行事のため、地域によっては行われていなかったり、現代中国大陸では廃れているものもある。

 

燈籠流し

<1960年代北京の北海公園の様子>

中元節では夜になると灯篭に火を灯して池や川へ浮かべて流し、その明かりで死者達の帰る道を照らすとされている。日本も同じであるが、これは中国大陸でもあまり行われなくなった風習。

 

お供え

家の前にご先祖様と、その他の霊のために、肉・魚・果物・飲み物などたくさんのご馳走を並べてお供えする。ざっくりいうと、清明節はお墓参りをする日、中元節は家に先祖の霊を迎えるとともに、その他の霊魂も含めて鎮める日、となる。

 

線香

線香を焚くことで霊魂が迷子にならず元へ戻れるよう祈りを捧げる。

 

紙のお金を燃やす

あの世で使うお金「紙銭(紙で作られたもの)」を燃やし、あの世の先祖などに届ける。金色は「ご先祖・神様用」、銀色は「悪霊」と用途が分かれていたらしい

 

法船を焼く

<同じく1960年代の北京の中元節の様子>

仏教の教えにより、民衆を極楽浄土に運ぶことを、舟にたとえていう法船 (ほうせん) というが、この日には紙で作った法船を焼いたりする。台湾ではまだこの習慣が残っているようであるが、中国大陸ではとんと聞かない。

 

贈り物

<60年代の中元節には様々な屋台が出て皆が買い物をした>

中元では皆いろいろな買い物を行い、死者たちへ贈り物をしていたが、それが転じて、友人や親せきに贈り物をする習慣が始まった。この習慣が後に日本に伝わり、お中元となった。

 

なお、中元節では、地獄の門が開き多くの死者の霊がこの世にやってくるため、おめでたい行事はタブーとされており、結婚、引っ越し、旅行などは禁忌とされた。また、霊が出歩くため、深夜には出かけない、夜に洗濯物を干さないなどという迷信も信じられていた。

 

中元節はどうして廃れた?

 

現在の中国大陸では、お墓詣りといえば清明節であり、清明節は国民の祝日となっているが、中元節は休みにもならず、日常生活で意識することが少なくなってきている。もちろん、お年寄りを中心に伝統的なお祈りをする人もいるが、若い人はあまり意識していない。

 

そもそも、1940年代以前の中華民国時代には中元節は中国全土で今の清明節などもよりも盛んに行われていた。しかし、1950年以降になると、無信教の共産党のもと、特に死者を祀るなどの宗教的要素が強い中元節は封建社会の遺物として嫌われるようになっていった。

 

1960年代になると、それまで盛大に行われていた北京の北海公園での中元節が行われなくなった。北海公園の当時の写真を見ると、湖に多くの「河灯」(日本語の灯篭のこと。「荷花灯」とも言う)が浮かべられ、とても盛大であったことが偲ばれます。また、すぐに文革が始まり、清明節を除いてすべての伝統節句が旧封建時代の風俗として取締りの対象となった。

1980年代後半から始まった改革開放により伝統行事も復活したものの、昔のように盛大に開催されることはなくなってしまった。

 

まとめ

 

以上、日本のお中元のもととなった中元節を見てきた。中国大陸では、昔は清明節よりも盛大に行われていたものが、現在ではかなり廃れており、日常生活ではあまり意識することが無くなってきたのは残念である。逆に、中国の都市部では、ハロウィンの行事が盛大に行われていたりするのも何か不思議な気分である。

 

とはいえ、中国の伝統行事として、文化の中で大きな意義を持っている行事であり、日本人にとっても馴染みが深いものなので、その起源や風習について知っておくことは必要だろう。

 

なお、盛大な中元節のお祭を見たければ、伝統文化が中国大陸よりも残っている、台湾の台北市の近くにある基隆の「基隆中元祭」か、台北の南東に位置する宜蘭県の頭城鎮という町で盛大に開催される、中元の最後を締めくくる「搶孤」というお祭りを見ることをお勧めする。

<台湾の基隆中元祭の様子>



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